第16話 再開の奏

 会議が終わった後、私たちは工場から南に少し離れたところにある居住区へ移動し、訪問客専用の屋敷に招かれた。ホルストと一緒に、ここの食堂に用意してあった夕食をご馳走になり、その屋敷で一晩を過ごした。次の朝、屋敷に住んでいる老夫婦が用意した朝食を食べていると、玄関の扉が開き軍服を着たホルストが入ってきた。


「おはようございます、皆さんよく眠れましたか」

「おはようございます、シャックマン大佐殿。良く眠れました」

「丁重なおもてなし、ありがとうございます」

「少しの時間、マコトをお借りしてもよろしいですか?」

 私は向井中佐に確認する。

「どうぞ、ご遠慮なさらないでください」

「それでは失礼して、出掛けてきます」

 私は飲みかけのコーヒーを急いで飲み干してから席を立ち、二階の部屋へ鞄を取りに行く。部屋から戻り、ホルストと一緒に屋敷を出た。


 屋敷を出ると、一台の車の前にカミラが立っていた。

「カミラさん! 昔とちっとも変わらないじゃないですか」

「スカパンさん、お久しぶり。あなたは随分変わったわね」

 カミラは私をじろじろ見てる。

「色々な苦労があってね。そうだ、日本からお土産を持って来たんだ」

 私は鞄の中から赤べこの張り子人形を入れた箱を取り出して、カミラに渡す。

「これは赤べこっていう名前の牛のおもちゃだよ、ちゃんと挨拶するよ」

 カミラは箱から赤べこを取り出した。

「ありがとう、可愛いわねこの赤い牛。あら、このおもちゃ頭を振るのね、本当だわお辞儀しているみたい」


「ところでマコト、昔の約束を果たそうぜ。覚えているか?」

「三人で動物園に行って、君のバイオリン演奏を録音する約束か?」

「そうだ、バイオリンも録音機も持って来た」

「動物は?」

「スカパンさんに貰ったこの赤べこでいいわ」

「良し行こうぜ!」


 三人は車でペーネミュンデの海岸へ移動する。この日は薄曇りで少し風が吹いていたが、時々日が差して、海の波も小さく穏やかな気候だった。防風林の役目を果たす松林の付近で三人は車を降りる。ホルストは車のトランクを開けてバイオリンケースと手回し式の電気録音機と収音マイクを取り出した。


「さあ、ここでバイオリンを弾くから録音の準備を頼む」

「ああいいよ、この電気録音機は知ってるよ。手回しでテーブルを回転させて、この中の発電機でマイクの音声信号を電気振動に変換して、レコード盤に溝を掘る機械だよね。この収音マイクも、風よけの毛が生えているやつだ」


 ホルストはバイオリンケースからバイオリンと弓を取り出し、演奏の準備をする。

「カミラは、録音機を回してくれ。マコトはマイク係だ」

 カミラはホルストの足元に赤べこを置いた。

 私は録音機のテーブルに載っているレコード原版に、針を載せる。録音機の手回しをカミラに任せ、接続した収音マイクを準備してホルストの合図を待った。


「俺の演奏が終わったら三人で一言ずつメッセージを吹き込んでくれ。バッハ のパルティータ第三番、ガヴォットを弾くぞ」

 ホルストは演奏を始めた。私はその優雅な音色に聞き取れて、ここが兵器実験場のミサイルが飛んでくるような場所とは思えなくなっていた。

 演奏が終わると、ホルストは弓をカミラに向けて私に合図する。私はマイクをカミラに近づけた。


「また皆で集まりましょう!」

 ホルストが、今度は弓で私を指す。

「早く戦争が終わってくれ!」

 最後にホルストは、


「こんな平和な時間を、もっともっと沢山くれ~!」


 短い時間だったが、三人の再会を十分に楽しむ事が出来た。最後にカミラが私とホルストが並んだ写真を撮ってくれた。「これは直ぐに現像してマコトに渡すよ」

 三人は屋敷へ戻ると、カミラは歩いて自宅へ帰って行った。車はそのまま向井中佐と山本少佐を乗せて再び兵器工場へ向かった。


 夕方になって視察が終わり、事務棟のロビーでリュウゲン島へ行く車を待っているいる時に、ホルストが私を別室に連れ出した。


「マコト、写真が出来上がったよ」ホルストは一枚の写真を見せる。

「良く写ってるね、ありがとう」

「それから、この真空管は君への贈り物だ」ホルストは白い紙の箱に入った最新の五極真空管を六本をくれた。

「これはありがたい、この真空管を使うといい音が出るんだ」

「あと、これも持って行ってくれ」ホルストは革の手帳を私に手渡す。

「何なの? この手帳」

「例の『Taifun』ロケットの詳細が書いてある。これを見れば同じ物を日本で作れる筈だ」私がその手帳を捲ると、何やらロケットの図面の様な物が描いてあった。

「こんな大事な物、持って行っても大丈夫なのか?」

「ああ、君なら分かるだろう、このロケットの重要性を。米国は必ず日本の本土に反撃してくる、君が軍を説得してこのロケットを作らせるんだ」

「分かった、大事に日本へ持ち帰るよ」

「次いつ会えるか分からないな、俺たち」

「平和が訪れる日が、必ず来ると信じてる」

「その日が来るまで、お互いに自分の国の為にがんばろう」

 二人は抱き合って背中を叩きあった。


 リュウゲン島の砦に着き、再び漁船に乗ってストックホルムを目指す頃には、日が落ちて暗闇のバルト海を静かに航行する。私はスウェーデンの沿岸に近づくまで、遠くに見える船の明かりと、時たま聞こえる飛行機の音に恐怖を感じた。


 沿岸を北上してストックホルムの港に着く頃には、真っ赤な朝日が顔を出していた。海鳥の鳴き声が聞こえる桟橋に着岸して、三人は船を降りる。桟橋から歩いて道路を横切ろうとした時、一台のバイクが甲高い爆音を立てて近付いて来た!


「おい、気を付けろ、離れるんだ」向井中佐が私の背中を押した。


 並んで歩いていた私たちは、急いで別々の方向に走り出す。

 桟橋の方向に戻ろうと走り出した山本少佐の所に、ヘルメットを被り革のジャンパーを着た男が乗るバイクが突っ込んで来た。


「何するんだ!」


 男はバイクの後輪を滑らせながら止まると、左手は傾いたバイクのハンドルを持ちながら右手一本で山本少佐の鞄を奪い取ろうとする。


 山本少佐は必死で鞄を取られまいと鞄を引っ張った瞬間、中からカメラが飛び出して地面に転げ落ちた。


 男はバイクを倒してカメラを拾いに行く。


 山本少佐もカメラを取り返そうと、倒れながら片膝を付いて手を伸ばす。


 その時! 走り寄っていた向井中佐が革靴の踵でカメラを踏んづけた!

 

 バキッ!!


 壊れたカメラを見届けた男はバイクを起こして跨り、右ハンドルのアクセルを何度も吹かしながら急発進して走り去って行った。


「あぶないところだったな、山本少佐、怪我は無いか?」

「向井中佐、申し訳ありません」

「このカメラを取られたら大変な事になる、最重要機密だからな」

 向井中佐がカメラを拾うと、中のフィルムが露出していた。

「折角撮った図面の写真が! もう駄目でしょうね」

「敵に取られるよりましだ、あきらめろ」

「どこで悟られたんでしょうか? 我々が兵器実験場へ行ったことを」

「ペーネミュンデにもスパイがいるのかも知れ無い……」


 私たちは身を持って、この地の激しい戦いを知ることになった。

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