大博打
闘技場は凄まじい歓声に包まれていた。観客席にいたら耳がおかしくなってしまうくらいに。でも、その心配はいらない。この闘士控え室には、その木霊が地鳴りのように聞こえるぐらいですんでいるから。
「凄い声……闘技場が壊れちゃいそう」
私は銀鶏の白銀の髪に櫛を通しながら、そう呟いた。
関係者以外、立ち入り禁止のこの部屋には、私と銀鶏の二人だけしかいない。既にいつもの白装束に着替えている彼女の、鏡に映る顔はふて腐れた子供のそれだった。
「何処かの、馬鹿、賭け札、買い占めた。ワレの、相手側の。ワレが負ける、ボロ儲け。ワレが勝つ、大損」
「成程、大騒ぎになる訳ね」
私は髪を
底都の賭け札一枚の値段は端金で買える。だが、全てのとなればかなりの金額になる。天都の人間の財産に比べればやはり端金ではあるが、それは大人の使える金の話だ。子供がそんな大金を扱える訳がない。
「……しかし、解せ、ない。旦那に、聞いた、ナレ、大枚叩いた、この髪梳きの、為に」
しかし銀鶏は、その不可思議な願いを拒絶はしなかった。何故なのか、その理由の本当のところは彼女にしか解らない。私はただ邪推するだけだ。
「綺麗だもの。こんなこと言ったら、貴女は怒るかもしれないけど、私はこの髪が羨ましい」
跳ぶ度に、舞う度に、時に疾風の如く、時に流水の如く、たなびく白銀の尾羽。絵画でも彫刻でもない、生き物だけが持つ美しさ。
「なら、買えば、いい。高値に、なるが」
彼女はフンと鼻を鳴らした。私は苦笑しながら、
「結構よ。この髪は貴女の髪だから価値があるの。私の頭に植えても意味はないわ。それにそんなにお金を持ってる訳じゃないし」
白銀の髪は何の抵抗もなく櫛の歯を受け入れる。彼女の飼い主には感謝する必要があるかもしれない。髪の手入れに専属の人間をつけてくれていたからこそ、数えきれぬ闘いを潜り抜けて尚、この髪は美しさを保っていられたのだから。
「金、ない……嘘。賭け札、買い占めたの、ナレ。如何に、した?」
予想した通り、と言うより、こちらの思惑通りに彼女は私が犯人だと気づいていた。
私は他人の名義で賭け札を全部買い占めた。勿論、そんなお金は、私にはない。
その資金の出所は、天都の運営予算である。老朽化した施設の補強及び改善費用、回線速度の低下を回復するための費用、医療関係の薬剤や道具の補充、その他諸諸の現状維持の為の費用を、中央管理機脳が要求した。それらは形ばかりの議会に上げられ、問題なく通り、予算が下りた。
だが、実際は全て架空の費用だ。施設は老朽化していないし、回線速度も落ちてはいない。医療関係も問題はない。だが、中央管理機脳はそれが必要だと判断した。まことしやかな嘘を吹き込まれたのだ。
私が造りあげた電子代理体は、防御壁を越え、言葉巧みに機械仕掛けの神を騙した。神の署名を貰い受け、神の恩名において、天都の祭司達に託宣を下した。
義務の為だけの労働、演劇の役者のような為政者達は、唯唯諾諾とそれを受け入れた。
かくして私は大金を手に入れた。不当な手段で、正当な資金を。
私は銀鶏の耳にそっと囁いた。
「お金は天都の人間から盗んできたの。これからも、盗み続けるわ。そして、貴女の相手の札を全部買い占める。貴女が勝てば、私は大損。つまり、天都の財は溝の中へ」
銀鶏は言った。己の爪が届くならば、天都に突き刺すと。だから、私は用意した。彼女の爪が、天都を脅かしうる状態を。
これが、私に出来る、私の闘い方だ。
「ワレの爪、天都に、届くと?」
「だとして、貴女の爪で、天都に傷をつけられる?」
鏡の中の銀鶏の顔を眺めながら、私は煽り立てるように言った。
「笑止。天都の、臓腑に、爪、突き刺す。金の血、流させる。ナレ、賭ける、限り、ワレ、敗れぬ」
鼻を鳴らして、彼女は不敵に微笑んだ。
彼女は理解しているはずだ。今日の敵に大金をかけている私、そしてその資本である天都こそが、本当の敵であり、勝利すべき相手なのだと。
その時、扉を叩く音がして、闘技場の関係者が顔を見せた。出番が近いので、急いで来て欲しいとのことだった。
銀鶏はぞんざいに答えると、立ち上がった。私は櫛を懐に仕舞い込み、後ろに身を引き、部屋を出て行く彼女のあとを追った。
闘技場の門につながる道を二人で歩く。
銀鶏は軽い足取りで、白銀の尾羽を振りながら。
私はそれに遅れまいと、半ば競歩のようになりながら。
歓声がドンドン大きくなっていく。思わず足が竦んでしまい、立ち止まってしまった。それ以上は進めない。そこから先は、私が踏み込めない領域なのだ。
私を置いて、彼女はそのまま進んでいく。ただ、それに気づいた彼女がポツリと、だが自信に満ちた声で呟いたのを、私は聞き逃さなかった。
「雛、軍鶏に、勝つ、無謀、だが、愉快」
銀鶏は突き進む。己が己であれる場所へと。舞いの舞台、そして闘いの舞台へと。
私は彼女と闘う。それぞれの闘い方は違うけれど、どちらかがヘマをして負けるまで、闘い続ける。命が尽き果てるまで。
それが、生きるということなのだから。
了
銀鶏 志菩龍彦 @shivo7
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