電子界域


 電子界域は生身の人間には入れない空間である。

 壱と零によって構成された世界に入門を許されるのは、これも壱と零で造られた質量も実体ない電子代理体だけだ。電子代理体は人間より受けた命令を確実にこなす。彼等そのものに意志はなく、命令者に反抗することもない。

 私は自室に籠もり、最高に優秀な電子代理体を造っていた。

 もう何日もまともに寝ていない。起きている間は、ひたすらに構成を練り、構築に時間を費やしている。限界が来たと思ったら、ベッドに倒れ込んだ。そして、起きたら作業を始める。それに繰り返しである。

 私が造ろうとしている電子代理体は、如何なる防御壁も潜り抜けられる隠密性と強固な命令を高速で解析し書き換える能力を持つものである。完成すれば最高の工作兵となるだろう。あるいは最高の情報兵器である。

 天都では殺人や窃盗事件の発生率が著しく低い為、警察も警戒はしていない。代わりに情報犯罪には厳しい。捕まれば厳罰が科せられる。特に中央管理機脳に対する罪は重く、死刑はないが最悪の場合、天都に住む権利を剥奪され、追放、底都への流刑になるのは間違いない。

 だが、そんなことは百も承知の上だ。危ない橋だろうが渡ってみせる。相手は本物の命のやりとりをしている人間なのだ。生半可な覚悟で渡り合える訳がない。

 學高へはちゃんと登校していた。両親は眼の隈のことを心配していたが、読書に夢中になっているという苦しい言い訳で何とか誤魔化せた。不審に思っているに違いないが、日頃の行いのせいか勘づかれるまでには到っていないはずである。

 現在、私の部屋は中央管理機脳の眼にも映らない、完全な密室状態である。高倉との回線以外は閉じてしまっている。普通ならすぐに警察が事情を訊くに来るところだが、中央管理機脳は偽の回線に見事に騙されてくれているので、その心配はない。

 端末を前にして、ひたすらに指を動かす、頭を働かせる。高倉から随時送られてくる情報に眼を通し、電子代理体に改良を加えていく。

 空中にはいくつもの映像が浮かんでいた。殆どが記号や機械言語の羅列だが、一つだけ違うものがあった。

 銀鶏が闘う映像である。数十もあるそれを連続で流し続けていた。己を鼓舞するために。

 鼓膜を震わせる歓声に、心の臟が大きく脈打つ。朧気になる意識が覚醒する。紅と白銀の嵐の中で、銀鶏が闘っている。

 もう歓声を聞くだけで、どこの誰との試合か解る程になっていた。画面を見ずとも彼女がどう動き、どう敵を仕留めたか、その姿は海馬に刻み込まれているのだ。

 ズキズキと頭が痛んだ。寝不足に眼精疲労、脳味噌は端末と同じように冷却を要求している。しかし、それは却下だ。そんな時間などありはしない。一刻も速く完成させなければ。

『皆さん、おはようございます。今週の<闘技王見聞>では、なんとあの絶大な人気を誇る女闘士・銀鶏氏の貴重な御言葉コメントをお届けします。取材不可で有名な銀鶏氏の御言葉を、是非お楽しみに』

 届いたばかりの高倉からの情報を展開すると、そんな声が聞こえてきた。

 私は一旦作業をする手を止め、展開された画面に釘付けになった。闘技場の動画の音量を消し、此方の方の音量を上げた。

 番組では闘技場の最近の試合の結果や掛け率の変動、注目闘士の紹介などが次次と映し出されていき、最後になってようやく銀鶏が姿を現した。

 いつもの眞白の衣装を纏った彼女は一人椅子に座っていた。取材者は画面の外にいるらしい。質問する声だけが聞こえ、銀鶏は簡潔にそれに応えている。

『最近、試合数が減っているようですが、やはりこれは貴女と闘いたがる闘士が減ったからだと思われますが、銀鶏さんはどのようにお考えですか?』

『腰抜け、ばかり。至極、つまら、ぬ』

 銀鶏は炯炯と瞳だけを輝かせながら、退屈そうに言った。以前会った時よりも、窶れているように見えた。いや、余計な物が削ぎ落とされたと考える方が妥当かもしれない。博物館で見た刀剣のような、触れれば自然に膚が裂かれるような鋭さがあった。

『貴女を倒した者に賞金を出すという人も現れているようですが?』

『望む、ところ。なんならば、獣でも、よい、虎でも、獅子でも、連れて、こい』

 口の端を釣り上げて銀鶏は嗤った。

 そこに映っているのは、私が憧れた闘士ではなかった。

 死神との円舞曲を楽しむ、獣じみた殺戮の機械。壊れるまで動き続ける、壊れる為に闘い続ける、そんな一個の物体だ。

 気圧されたのか、取材者は早口になりながら、

『そ、それでは、最後に応援されている方へ一つ御言葉など頂けましたら……』

 銀鶏は暫し黙考した後、静かに呟くように、

『雀は、人喰いの、軍鶏に、なった。……雛は、如何に?』

 そう言うと、サッと立ち上がり、画面から消えてしまった。

 慌てて説明をする取材者の言葉など、もう私の耳には入っていなかった。

 あれは挑戦状である。彼女からの、私に対する、挑戦状。

 私達は眼が合ってしまったのだ。天から地上を見下ろす者と地上から天を見上げる者。ともに生きる場において異端者である二人。

 一方通行だった私の思いに、彼女は反応し、反撃し、挑戦状を叩きつけてきた。

 これに応えない訳にはいかない。望むところである。

 私は興奮する己に冷静さを要求し、頭痛や眼の痛みなど無視して、作業に戻った。意識は鮮明であり、脳内物質が思考回路の速度を限界まで引き上げる。

 私が造る最強の電子代理体。彼の敵は中央管理機脳。

 彼女が殺し合いをするように、私は己を庇護する世界の統治者と、闘うのだ。

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