理由

「それでは、単なる戦闘狂せんとうきょうではありませんね」

 高倉は珈琲を一口啜ると、そう呟いた。

 舟駅の中にある喫茶店は、天都のものと変わりない。内装は勿論、出される珈琲の味も。ただ、味覚が麻痺したのか、今の私に珈琲の味の善し悪しなど解らなかった。

 いや、味覚だけではない。五感の全てが不調を来したかのように、ぼんやりと朧にしか世界を感じ取れなかった。

「死ぬまで闘う……闘って死ぬ……それが、彼女の選んだ生き方なんです。それ以外の選択肢は、考えられないんだと思います」

 或いは、考えないようにしているか、だ。

 彼女の人生は、私のような人間が軽軽しく語ることが許されない程、苛烈である。泥に塗れ、血に塗れ、行き着いた先の、自身の生き方。それが「闘い」である以上、こちらの都合で止めろというのは、傲慢以外の何ものでもなく、いらぬ御節介に過ぎない。

 そんなことは覚悟の上で、彼女と対峙したはずなのに。彼女から闘いを取り上げることが不可能だと解ってしまった途端、気が抜けてしまった。

 闘うことこそが、銀鶏の存在意義なのだ。彼女から闘いを奪うと、最早それは彼女ではなくなってしまうのである。

「私は……彼女の闘う姿に憧れていました。その理由が、今ははっきり解る気がします」

 あれは彼女の「生」そのものだったのだ。飄飄と闘いながらも、その体の内は灼熱化した感情が渦巻いていたに違いない。

 私は、その姿に心を揺り動かされたのだ。

「……だから、本当のことを言うと、彼女に闘いしかないって解った時、ほんの少しですけど、嬉しく思う自分もいたんです。酷い人間ですよね」

 私は手つかずの珈琲があげる湯気を見つめながら、そこに銀鶏の闘う様を想像した。彼女から闘いを取り上げることは出来ない。でも、今のままでは遠からず彼女は死ぬ。生と死の狭間でしか、己の生きる意味を見いだせない彼女の自暴自棄的な闘い方では、やがて相手に捉まってしまう。それで全ては終わりだ。彼女の闘いも、彼女の命も。

「本音を語れる人間は正常な人間ですよ。ある意味では、異常というか間が抜けているというか。まあ、そう気になさらずとも良いでしょう」

 高倉は、珈琲を卓に置くと、感慨深げに言った。そして、暫く無言で仕込み杖を撫でていたが、小さく嘆息すると、

「そこまで彼女のことが解っているなら話しても良いでしょう。気持ちの良い話ではないので、敢えて資料には載せませんでしたが……まあ、後で高く売りつける魂胆もありましたがね」

 何のことか解らず首を傾げると、彼は自分の肩を叩き、

「銀鶏の腕の件です。彼女が何故、今のような姿になったか、その経緯についてですよ」

 思わず息を呑んだ。それは銀鶏自身が滅多に人に語らぬと言った情報である。隠していた高倉を責める気持ちなど最早起こらず、身を乗り出して、懇願した。

「教えて下さい。お願いします」

 高倉はまず落ち着くように促し、それからゆっくりと物語を暗誦するように語り出した。

「本名、籠井雀女かごいすずめ――銀鶏はこの世に生まれ落ちた時からあの姿ではありませんでした。むしろ、完全なる五体満足の健康体。おまけに容貌は優れているときている。底都の住人の殆どが何らかの遺伝子汚染の影響を受けています。ですから、これは奇蹟といっていい」

 舟駅前の雑踏を往来する百鬼夜行の如き人人の姿が、脳裡を過ぎった。太古の過ち。神ではなく人間自身の手によって創られた原罪を背負わされた人人である。

「両親はことの他喜んだそうです。何故だか解りますか?」

「生まれた子供が健康で綺麗なら誰でも……」

「違います。売れるからですよ。それも高値でね」

 信じられない言葉を、彼は事も無げに言った。むしろ、それが当然であるかのように。

 人身売買など天都では絶対に有り得ない。それを罰する法律自体があるかどうかすら怪しいくらいだ。そんな犯罪を思いつく人間は異常者だけである。

「人身売買なんて此処じゃ日常茶飯事ですよ。口減らしになるだけでなく、収入にもなる。そういった専門の職業すら存在します」

 耳を塞ぎたくなるようなことを、彼は平気で口にする。これでも表現を和らげてくれているのだろうけれど、聞くに耐えない話に怖気を覚えた。

「じゃあ、銀鶏の両親も彼女を?」

「いえ、結果的にはそうなりましたが、すぐには彼女を売りはしませんでした。言ったでしょう、五体満足だったと。それなら一回で丸ごと売るよりも、もっと得なやり方がある。解るでしょう? 喩えば――」

「止めて下さい!」

 それ以上は聞きたくなかった。聞かなくても想像することは容易である。そして、それは恐らく正解だ。人道も人権も倫理観も、底都にありはしない。理解は出来ても、認めたくはなかった。人間にそんな所業が出来るなどと、認めたくは。

「……そうして、手に入れた金で、彼女の家族や彼女自身も飢えを凌ぐことが出来たんです」

 古き世の詩人が残した、とある詩を思い出した。水族館の忘れ去れた蛸の詩。己の脚を喰らって生きていた蛸の詩。物悲しい、物悲しい、詩。その蛸の如くにして、彼女は生きてきたのである。

「ですが、結局、彼女は逃げ出しました。流石に、脚は勘弁だったんでしょうね。その後、闘士として闘技場に姿を現すまでの経緯は残念ながら謎です。これは本当に私にも掴めませんでした。あなたに隠していたのは、これで全部です」

 高倉は冷めた珈琲を一口飲んで、沈黙した。

 私は何も言えなかった。文字通り、絶句していたからだ。銀鶏という少女の人生の凄惨さ、苛烈さ、やるせなさに。

 天都の人間は言う。底都は地獄だと。それは偽りのない真実である。彼女が生きてきた場所が地獄でなくて、何だというのか。

 だが、彼女はその地獄で生き残った。両腕をもがれても尚、否、それ故に己を闘争の権化と昇華させ、修羅道の覇者へと上り詰めた。

 私が彼女と同じ境遇だったらどうだろうか? きっと耐えられず、自ら死を選んでいただろう。彼女が受けたものに耐えることなど出来はしない。

 逆に、もし彼女が天都に生まれていたら?

 そんな埒もあかない問答が頭の中でグルグルと回っていた。そんな斑模様の思考の中で一つだけはっきりとしていることがあった。

 彼女を死なせてはならない。地獄を生きてきた彼女だからこそ、命を簡単に投げ出させる訳にはいかない。喩え闘争そのものが、彼女の生き方であっても。

 私は歯を食いしばり、キッと高倉の双眸を見つめた。念が通じたのか、彼は呆れたように頭を振り、

「お嬢さん、貴女という人は……。貴女はこう思っていますね? 彼女に死んで欲しくはない。そのために闘うことを止めて欲しい。だが、本当は闘う彼女であって欲しい、と。我が儘もここに極まれり、ですな」

 返す言葉もなかった。矛盾した私の願望。それは眼を背けたくなるほど醜い。孤高な彼女の気高さと、美しさと比べることも出来ない程に。

「しかし、方法がない訳ではない」

 高倉の言葉に、愕然として私は顔を上げた。彼は冷笑ではなく、何処か楽しげですらある笑みを浮かべていた。

「要は、彼女に別の目的を与えれば良いのですよ。銀鶏は闘いそのものを目的としている。それ故に、態と危ない闘いをしようとする。しかし、喩えばそれを、闘技場における闘士の本来の〈目的〉に、変えることが出来たなら、あるいは……」

 闘士の本来の目的。そんなものは考えるまでもない。

「それは、勝利すること、ですか?」

 そう言うと、高倉は大きく頷いた。

「勝利を第一に考えるならば、自暴自棄じみた危険な闘い方はしなくなり、慎重になる。少なくとも殺される確率はぐっと低くなります。問題は、どうやって勝利に執着を持たせるかですが……彼女の天都への憎悪を利用すれば、あるいは」

 そこで高倉は、私の眼を凝ッと覗き込んだ。彼はその方法を知っており、確認をしているのだ。私にそれをする覚悟があるかどうかを。

「私に出来ることがあるなら、何でもします」

「それが非合法なことであっても? 天都を追われる重罰を受ける危険性があるとしても?」

 高倉は再度、確認をしてくる。引き返すなら今だ、これから先、後戻りは出来ないぞ、と。

だが、それは愚問というものだ。

 私は答える。

「構いません。きっとそれが、唯一つ私に出来る――私の闘い方ですから」


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