4 - 出会ってしまえば変わること -



 昨日は時間が余った。1番の重要人物が早々に寝て、起きればすぐに帰ったので、男2人で最後の仕上げなんてものはせずに川崎さんの手伝いに徹したから。言っておいてなんだが、俺たちもう少し責任果たすべきでは?

 しかし本当に今日4月21日が誕生日なのかというのがわからないくらい昨日は何も言わなかったしよくわからない人だなぁと思う。……いや、忘れている可能性もあるな、さくらだし。

 昼の食堂に来ると当たり前かのように人が多く、そんなくだらない思考も次にはふっと飛んで考えることが変わる。いつも通りコンビニで買って食べるかと思ってゆっくり踵を返すとそこに肩を手を置こうとしていたのか真野さんが両手を少しあげた体勢でいた。

「あの……ビックリするから突然振り向かないで」

「難しいことですよ……」

 少し気まずい空気が流れてくる。少し顔を覗くと、いつものようにあまり化粧もせずメガネをしていて飾りっ気もなかった。いつも水曜日に集まる時はめかし込んでいるのに。普通学校の方がするべきではないのかと常々思うのだが、やっぱり俺が女性をわかっていないのだろうか……。

「とりあえず、俺はコンビニに行ってくるので」

「えーいいじゃん食堂で一緒に食べようよー」

「人が多いんですよ」

「そっかー」

「……あとその威嚇みたいな手下げていいんですよ」

 一瞬はっとした真野さんがなぜか元気よく助かるー!と言った。ポーズをやめるのは自分のタイミングで決めてほしかった。

 真野さんは大学内ではあまり目立ってはいない。優秀で少しお茶目な人柄もあまり表に出していないようだ。

 講義後にすれ違う時に見たこともあるので友達も割といる方だとは思うのだがこの人はひとりでなにをしているのだろうか?心配かけてるなら謝りたい。

「ごめんなさい」

「何が!?」

「あ、すいませんほんと」

「許す! なんちゃってー」

 えへへと可愛らしく笑ってすぐに話題を切り替える。

「ん、まあいいや、晴樹くんがコンビニ行くならついて行っていいかな?私もお昼ご飯買わなきゃいけないし」

「まあ、別にいいですけど……」

 するとすぐ真野さんはくるりと綺麗に踵を返して歩き始めた。すでについて行くとは違うがあまり言わない。

「そうそう、今日さくらちゃんになにか渡すんだってね」

「別にそんな大それたものじゃないですよ。ストラップです。……というか知ってるんですか」

「知ってるよ、俊太くんから聞いた。晴樹くんも珍しいことするもんだね」

 今まで誰かの誕生日に何かを送ることをしてこなかったので珍しいことだ。俺たち居残りはそんな関係じゃないと、多分全員が思っているからだ。どう言えばいいのか、みんな揃ってそういう形式のような相互関係は嫌っている。かくいう俺だってあまり乗り気じゃないが妹に乗せられてしまった。変に思われなければいいのだが。

「まあまあまあ、さくらちゃんと仲良くなるならいいことだよ。でも伊吹に変に思われないようにね?」

「あはは……バレたらまずいですよね」

「まずいかもねー」

 普通に殺意を向けられかねない。いつも向けられてるけど。見えないゲージが破裂すると怒りで髪が逆立って最大級のレーザーを放たれるかもしれない。姉が気を付けろと言うくらいなので注意力を万全にして挑む。

 今の真野さんは毎週見るスーツのしゃきっと感もなく今こうして先導する背中を見ても普通の大学生だ。上に羽織る淡いカーディガンと膝下半分が隠れるほどの長めのスカートでなんとなく大人のお姉さんを感じる。……何故か学校がオフのような感じになっているが本業学生なはず。

「というか真野さんはいいんですか」

「なにがー」

「こんな話を振る張本人が歳下の男と2人で喋ってバレたらまずいだとか、そういうやつ」

「別によくない?」

 俺が入学してまだ少しだが、実は2回は食堂で同じようにこんな感じでたまたま出会って食事を取ったことがある。こうなると真野さんが周りから誤解されないかが心配だが本人は気にすらしてない。して。

 というか、そもそもこの人は利他に固執する習性がある。唯一自分へのことを優先するものといえば、そうだな、あれだ。男同士の恋愛。

 俺自身オタクなのでそういう話題についても触れはする。あまりネットの海に身を浸かっているわけでもないがオタクのお店へ行ってみるとそういう集まりが垣間見えたりするのでなんとなく雰囲気もわかる。女性の繋がりとしても、言ってしまえば妹とはベクトルが違えどこの人もオタクなのだ。

 だからと言って幻滅するわけでもない。真面目でいい人だしちょっとイタズラを仕掛けるお茶目さも見えてなんだかんだ楽しい人でもあるわけだし。ただ少し押しが強く頑固さがあるので最近ではこちらがすぐ折れるようになってきた。

「まあ……そう言うならいいですけど……」

「こうして晴樹くんと過ごしたことって、結構伊吹に話すネタにもなるしね」

「伊吹ちゃんに俺の情報流す理由あります?」

 真野さんは前を向いたそのままハテナを浮かべるように首を傾げてからこちらを向いた。

「あるねー。伊吹がほしがりさんだから」

「いやもっと有益な、ほら、俊太のこととか」

 んー。と、真野さんは考え込みながらも歩みを進めた。

「難しいなぁ。どう伝えるべきか迷うけど、伊吹が晴樹くんのこと知りたいっていうのは事実なんだよね」

 いやわからなくもない。というか弱みに付け込む手段としての情報収集なのだろうということがすごくわかる。手枷足枷かけられた感じがすごい。


 程なくして敷地内にあるコンビニに足を入れ、2人で並んでパンを見ていた。真野さんは惣菜系が好きらしくコロッケパンとカレーパンをすぐ手に持ってペットボトル飲料の方へと足を運んでいた。

「……?」

 見ると、真野さんは迷わずコーラを選んでいた。2本。持ったまま俺の方に戻ってくるとすぐに真野さんは言った。

「先に買ってるね」

 あ、はい。と返すがどうも2本に気を取られる。もしかして全部飲むのか……?というか割と食べるものがしっかりしているが、スタイル維持の秘訣かなにかなのか……?

 今度育ち盛りなマイシスター桃花に教えてやろうと思いながら、袋を携えて外で待っている真野さんに声をかける。

「遅れてすいません」

「いいよいいよ、私がもう決めてて早いだけだからね」

「そうなんですね……じゃあ、俺は教室で」

「待って待って!?一緒に食べようよ!いいところ知ってるから!ね?行くよ晴樹くん!」

 俺は押しが強い人には弱い。しかし、少しくらいは反論をすべきだと思った。それくらいは許されるだろう。

「あ、はいわかりました」

「そのまさしく反論したい心と裏腹な口に対応する顔、鏡で見せてあげたいほど面白いよ」

 全くもってそうだろう。誰もが……ん? なにかよくわからないことを言われた。それだと俺が反論してないみたいな……してないな。

「もう。晴樹くんはいつもそうだねー。さくらちゃんにはそんな下手なことしない方がいいよ?いつ弱みを握られるかわからないからね」

 さらっと恐ろしすぎる。

「そんなことする子じゃないですよ、きっと」

「フフッ」

 キュッと靴を鳴らすかのようにステップを小気味よく踏み出しながら、笑った。優しく微笑んだ芽依夏さんは少ししていたずらっぽい大人びた瞳に変わり俺の方を卑しく見る。

「そうかもね」

「多分そんな器用じゃないですよ」

「わかってるって感じだ。私よりも付き合い長いもんね、2人。あーあそんなわかってくれるような人私にもいたらなぁって思うこともあるよー趣味はわかってくれないことが多いだろうしねー」

「さくらとは、別にそんなんでもないです」

「うーんそうかなぁ……よし、着いた」

 少し歩いたところで真野さんはパッと立ち止まり、伸びをした。大学内は広いので人がたとえ多かろうと穴場のようなところも時々あるものなのだ。こうして招かれたほぼ敷地外の木が並ぶ林の入り口あたりで真野さんはそのまま座った。

「え……ここですか?」

「意外と人少ないでしょ」

「何が意外なんですか!?」

 居心地が悪いとは言わないが、田舎に見る舗装もされていない自然の空間にいる。ピクニックか或いは山登りに来た感覚に近い。学校にいるはずなのに。

「まあまあ、結構落ち着くよ?」

 圧倒的森ガール、いや林ガール感。服が汚れることを厭わないのも林慣れしているんだろう。さすが先輩。全然持ち上げ方がわからん。

 なんだかんだ人目は気にしなくていいので観念して俺も近くに座り、風に揺れる木々の音を聞きながらペットボトルのフタを開ける。そういや。

「コーラ2本買ってましたけど、飲むんですか?」

「1本は花にあげるよ」

 一瞬頭がおかしいのかと思ったが、「嘘、別に普通に2本飲むよ。」と言い直した。いやどっちにしろではないか。

「でもさ、花にコーラをあげても花びらに刺激は足されないんだよね。炭酸水は成長がよくなるんだけど、コーラは糖分だとかで水が吸えなくなるの。あ、刺激が足されないって、花びらがしゅわーってなるとかそんな話じゃないからね?」

 真野さんは手に持ったコーラを少し飲んだ後にコロッケパンを食べ始め、飲み込んでから話を続けた。

「そういうものなんだよ。余分な物って、実は上手くやるためにはいらなかったりすることがあったりする。それこそ私たちの馬鹿げた集まりでもそう。私たちには甘さは必要だけど、刺激はいらない」

 なんとなく、わかった。だからすぐに口から出る。

「どうせ、誰も変わりませんよ」

「甘いね」

 俺の言葉にひとことだけ言った真野さんは少し体勢を変えてからまたパンをまた一口。いつも水曜に見るような優しくて他人思いの彼女は見えない。

「んー、自分のことの主張は弱いのに、みんなのことの主張はしっかりと言えるのが晴樹くんだ。そういうらしさのところがさくらちゃんにも好かれる理由だね」

 それと……と言ってから少しの沈黙で風が囃してざわつかせる。

 ──なんとなく気付いている。真野さんがなにを言おうとしているのか。きっと、今のみんなの関係性を本心では変えたくないんだということ。

 少しすると優しく微笑んで顔を俺の方に向けた。

「あ、そうそう。さくらちゃんに連絡取るなら俊太くんだね。俊太くんはあの子と連絡取れるから聞いてみるといい。多分、今日は学校終わりからバイト先にいるはずだよ」

 いつものように振る舞う優しい先輩。そんな人だと知っているから、そんなものだで流す。

「わかりました」

「俊太くんにも私からって伝えといてね」

 真野さんは食べ終え残った袋をレジ袋の中に戻し、もうひとつの方、カレーパンを次は食べ始める。揚げ物惣菜パンをこんなに食べることは実は初めて知ったので少し驚いている。

「……どしたの、その呆気な顔。なにか私変?」

「……いや、コーラもそうですけどパンもこうなった理由ですよ。意外だなぁというか、結構油物食べるんですね」

「ああ、なるほど。結構好きなんだよね胃がぎゅっとなるのが。他だと……濃厚スープのラーメン食べるのと同じ感じ。……こんな女性らしくない私は嫌い?」

「別に嫌いとはなりませんし、女性らしくないとは思いませんよ」

 そっかぁと言いながら真野さんはパンを咥えたまま大きく木にもたれかかった。多めに着た服からでも大きなそれに惹かれてしまい、すぐはっとしてこの劣情を来たした目を背ける。くすりとした笑い声が聞こえた。

「じゃあ今度2人でラーメン食べに行こう!意外と食べるお姉さんを見せてあげる」

「別にいいですけど……いや、2人きりはさすがに」

「いいじゃん私たちの仲なんだし」

 軽く言うが、異性との付き合いとはそれほど簡単ではない、という、オタク並の感想。クラスカーストだとかに愛されない人たちの1人だったので近付かれるとビビる。

 とは言ってもこの人もオタクなのでなんだかんだ言っても信頼は出来る。……そういう趣味の話はそういやあまりしない。割といい機会なので乗っておこう。

「そうですね、2人の仲なら大丈夫ですね」

「乗るべきタイミングがよくわかってるね。決まり!」

 ノリが強すぎて眩しすぎる……。もう少しこう、あれ。思っていたものと違う。


 時間が過ぎ。何か特に変わった話はせず、食べ終わって校内でそれぞれの講義場所に分かれてから自分のスマホを確認する。そういえば、さくらや俊太の番号も知らないんだよな……。俺たちでなんとなく一線みたいなのを引いているみたいになっているが多分みんな長い間交換してないから言い出せなくなっているだけな気もする。俺がそうだから。

 たださくらと俊太の間には連絡手段があるらしい。同じ中学同じ学年で一番付き合いが長いからそんなものなのかと思った。

「靴屋でバイトしてるのか」

 真野さんから聞いた住所を調べてみると、俺の家とは離れた場所の靴屋を指した。割とというかかなり意外だ。色を塗るのはあまり上手くなかったから細かいことは苦手とは思っていたのだが、意外と他人の靴の紐を結んだりだとかは出来るのだろうか。

 ……そういえば、最近になって少しこの店が人気の店だとか地域の雑誌か何かで見たな。バイトがイケメンでなんとかとか。辻褄が合ったぞ、俊太も俊太で苦労してそうだな。

 ともあれ一度は話すべきだろう。急に行っても困るだけだろうし。歳下の女性の家に急に行くと考えるとものすごく変な汗をかきそうになるし。

 そして講義を流すように受ける。大学に入ってまだ少ししか経ってはいないとはいえ高校とは比にならない授業のきつさがあるので最近は死にそうになりながら帰っているし、こういう日は……テストで死ぬらしい。友達もいないのでしんどい。帰っての妹の料理だけが生きがいになっている。そろそろ受験勉強で作ってもらえなくなるのが恐ろしくて仕方ない。



○○○○○



「あ、晴樹先輩こんにちは!」

 案の定、女性の靴を選定しながらの俊太がいた。こちらを見るや否や明るく挨拶をしてくれたが陽の雰囲気が強すぎて店を出たくなる。

「ちょ、ちょっと!あ、すいませんすぐ戻りますんで」

「帰るぞ!ちくしょう!」

「僕がいたからって帰るのはやめてくださいよ!ほら靴見に来たんでしょ?選んであげますから」

 ……あ、そう見られるのか。というかそれが普通か。どっちにしろだけど。

 俊太が腕を握って俺を止めるので帰るのを諦めて、とりあえず仕事に戻らせた。エプロンも似合っているしなんでも似合うのではないか?イケメンはちげえわ!やはり帰りたくなって来た。

「大変お似合いですよ」

 臭いセリフも俊太が言うと爽やかだ。対面している女性も心底嬉しそうだし、ホストクラブでもトップ張れるだろう。ちょっと何言ってるかわからない。

「お疲れ様です、どうしました?」

「いや、俊太ってイケメンだよなって」

 客の女性を見送ってから近付いてきた俊太の声に即答しそちらを見ると、なんと紅く染まる頬で硬直した俊太がいるではありませんか。お前いつもキャーイケメーンって囃されてるんじゃないのか?されてるだろ?されてそうだもん。

 妬み嫉みで迷惑をかけてはいけないと偉い人も言ったので、とりあえず話を続けることにした。

「真野さんから、俊太ならさくらに連絡とか取れると聞いて聞きにきたんだけど」

「ああなるほど。今日ですもんね。とりあえずチャットでも送ってみますから待っていてください」

 と言いスマホを取り出して束の間に俊太は他のことを話す。

「そういえば連絡先交換してなかったんですね。てっきりしてるものかと思ってました」

「お前とですらしてないからしてないだろ」

「じゃあします?」

 ──1人とは案外あっさりと交換することになった。今の時代ネットワークツールくらいは多分にあるものでメール以外でも連絡方法は色々あるが、そういう世界のものは割と楽に交換できるものだった。家族のしか持っていなかったので新鮮だ。

 少しして俊太の方から通知が鳴り、すぐに出た。

「あ、さくらちゃん?ちょっと時間あるかな」

『うん。あれ?今はバイトの時間じゃない?』

 電子を伝ったビードロの声が小さく聞こえる。今日という今日も声音はいつもと変わり映えしない気がする。

「あーまあそうなんだけどさ。ちょっと待って」

 それに続いてスマホをはい、と無言で渡された。待たせるのも忍びなく仕方がないので出る。

「さくら?」

『ひゃ!?……んんっ、こんにちは、誰ですか?もしかして乗っ取りですか?』

「あの……」

『あ、いえその……晴樹さん、ですよね?人違いなら』

「いや合ってる」

 言葉を出した瞬間のびっくりの度合いが尋常じゃなかったので本気でわからないのかと思った。まあ通話なんて本当はわかるもんじゃないので仕方はないとは思っていたが。

『どうして晴樹さんがいるんですか?えっと……』

「俊太経由じゃないと話つけられなかったんだよ。今から家に行ってもいいかと思って」

 前にいる俊太が何故かびっくりしている。それを隠すかのようにそそくさと無言で靴を物色し始めた。

 機械越しの子も少し違う理由で困惑しているようだった。

『え、今からですか……?少し待ってください。色々と立て込んでいるので……』

 今日のこと絡みだとどこか申し訳ない。一瞬ドタドタとガサツな音だけが聞こえては、少ししてガシャリと扉の開く音が聞こえたかと思うと途端静かになった。一度耳からスマホを離す。……いつも落ち着いた人がこんなに暴れていることが意外だった。

「……なあ俊太よ、俺は考えるんだよ」

「なんですか晴樹先輩」

「もし無人島にひとつだけ持っていけるものがあるとすれば、どんな状況でも冷静に対応出来る心を持っていきたいなと」

「はぁ」

 その、とりあえず病院に行けみたいな顔を向けるのをやめてほしい。そこまでおかしくなってない。

『晴樹さーん、晴樹さーーーん』

「あ、うん、おかえり」

 大きめの声が伝わってくるのでもう一度耳に戻す。少し荒げた息がマイクにかかってボフっと鳴っている。

『はぁ……多分大丈夫だと思います。その……少し頼みたいこともあるので出来ればなにか荷物を入れられるようなものがあれば、よろしくお願いします……』

 尻すぼみなぜか恥ずかしそうな声になっていった。

「わかった。今から向かうから待っててくれ」

『あ、はい、わかりました。早めに来てください』

「俺からはそんだけ、俊太に戻すか?」

『代わってくれると助かります』

 すぐに俊太にスマホを渡して交替。床に置いた荷物を手に持って通話が切れるまでなんとなく待つ。

「あ、うん、別にいいけど。直接言えばいいのに……はいはいわかった、伝えとくよ。じゃあまた。またなんかあればかけて」

 画面のなにがしかのボタンを押して腰のポケットにスマホを戻した俊太は、俺に視線を向けた。

「靴見ていきませんか?きっといいもの見つかると思いますよ」

 突然やってくるビジネスマン俊太の言葉に反射的にいいえと返してしまう。まあ、ですよね、と笑ったイケメンは「ではまた、なにかあれば交換した番号の方へ」と言い、客待ちするようにレジの方へと戻っていった。

 伝えておくのは俺じゃなかったようだ。少し思い込みが激しかったらしい。まあ、さくらなら誰かに頼まず自分で伝えるよな……。

 とりあえずゆっくりと手をズボンで拭ってから俊太になんとなく話を振る。

「あ、そうだ俊太。真野さんって実はコーラが好きなんだって」

「その情報今いります?晴樹先輩が実は今緊張してることと同列で、聞いてもふーんってなる情報ですよ」

「きっ、気を紛らわせようとしただけだから許して」

 何故か見透かされていた。手汗もかなり隠していたつもりだったのだが……。俊太はなにも顔色を変えずにレジ前に立っていた。悲しい。

 としていると新しい女性客が来た。さくらと同じ高校の生徒だろうかよく見たことのある制服だ。見た目はよくいる学校内で友達の多いようなタイプの人で、伊吹ちゃんよりも少し長いくらいの髪を綺麗に伸ばしている。

 俊太の爽やかないらっしゃいませの後にこちらを見て睨まれたので、すごすごと店を出る。

 肩重く店を出るともう日が落ちかけ辺りも暗くなろうとしていて、急いで向かうことにした。はやく来いと言われていたので早足めに歩く。



 ○○○○○



 帰る道とは真逆になるほどにそこそこ遠く、歩いて30分以上はかかってしまった。時刻としては6時手前。大学が4時ほどに終わったのでもう結構な時間は経っていた。春なのでまだ暗くはない時間帯だが、少し遅いのには変わりがないかもしれない。

 ガチャリと扉を開けて顔を見せたさくらは、少し不機嫌そうに見えた。

「やっと来ましたね。なにしていたんですか?川遊び?」

「え、見える?川遊びに?」

 全身全く濡れていないしそもそも道に川はひとつもなかった。よく見る住宅地に流れる川なんてわりかし幻想だ。

 逆にさくらの髪は、それこそさっきまで水の中にいたかのようにぺたりとしていた。玄関の明かりでキラリと光るのを見る。あまり目立たない水玉の緩いワンピースがまた似合っている。

「なんでもいいです、とりあえず上がってください。用件はさっさと済ませて帰りましょう。家にはなにもないですし」

「俺もすぐ帰るよ」

「助かります」

 自分の家よりも幾分か大きな敷地に足を踏み入れ、今までよく見ていた大きめの家の中にも初めて足を踏み入れる。

 少しいい匂いがした。玄関に置いてある芳香剤の香りだろうか。さくらの通った道に残るそれなのだろうか。と考えながらさくらの髪の揺れる背中について行き、客間へと通される。

「こんな部屋もあるのか……」

「いつもは父や母の客人をお招きする部屋です。晴樹さんは私のお客様なので今回は晴樹さんに使うお部屋ですね。大きくはありませんがくつろいでいただいても結構です。ただあまり長居はしないでほしいです」

 というか。

「なにをそんなに急いでるんだ。というか、家族は?挨拶くらいは……」

「きょ、今日は、いません。あ、飲み物持ってきます待っていてください」

 慌てて逃げるようにさくらは部屋を出て行った。なにこの、家には家族がいないから2人きりだね……的な雰囲気が出来上がってしまったのは。思い上がり甚だしいので考えるのをやめる。

 落ち着かないので辺りを見回すと、客室の通りに色々な触っていいのかわからないものが周囲に置かれ、あとなんといっても俺の部屋の2倍以上広い。暖かい無地カーペットの上で対面するように長いソファが2つ、その真ん中にガラスで透けたテーブルが置かれている。することもないのでとりあえず近い側のソファの真ん中に座るとすごくいいものを置いているのか身体が沈み、驚いて立ち上がってしまう。

「いや、待て。座るとお金取られるんじゃないか?はやく証拠を隠蔽するしかない」

 ソファに目をやり窪みが消えるのを待っていると、ガチャリと扉が開いた。咄嗟に身体を大の字にして隠そうとすると、カップとティーポットと煙の立つポットをお盆に乗せて運んできたさくらは目を丸くした。

「なにをしてるんですか……?なにか変なことしたんですか?破るとか」

「え?いやいやそんな(さすがにまずい)ことはしないけど」

 じゃあなんなんですか?と真に迫るように寄ってくるさくらに負け、俺は誠心誠意頭を下げることにした。

「ごめんなさい!」

「はい……え?」

「え?」

 顔を上げるとキョトンとしたさくらと目が合う。まるで俺の犯した罪を理解していないようだった。ぱちくりと瞬きが増えたさくらは少し考えを見せた。

「うーん、と。とりあえずそのソファの方に荷物を置いてください」

「そんな……っここに置いちゃったら!」

「なんなんですか本当に……私本当に晴樹さんのことただのお客様だと思ってるわけじゃないんですから、もう少しリラックスしていってくださいよ」

「いやいやそんなそんな、客としても迎え入れてもらわなくて大丈夫なんでこのままで、ほら」

「あの、そこまでして言わせないと気が済みませんか……?わかりました」

 さくらは足元のガラスのテーブルにお盆をゆっくり置いて俺の方を真剣に見つめた。

「きょ、今日は来てくれてありがとうございます。……その、ゆ、友人を呼ぶことなんてなかったので、ど、どうすればいいかわからなかったんです……!許してください……」

 途中から恥ずかしさで下を向き、ぼそぼそと喋り始めたさくらはいつもよりもしおらしく可愛い。

 というか少し話に整合性がない。

「えっと、座るとお金取ったりとかは……」

「え……?どうして取るんですか」

 さくらは驚いた顔でこっちを向く。

「すごくいいソファだから、座った分のお金取られるんじゃないかと」

「と、取るわけないじゃないですか。もしかして晴樹さん、お客様としてこういう部屋に呼ばれたことないんですか……?」

「友達もいない一般人には普通ないことだぞ……」

「じゃあ、私が思っていたことは……っ!」

 向けられていた顔に赤みが増して、ばっと駆け巡った瞬間にさくらは後ろを向きそのまま話を続けた。

「わ、私、晴樹さんに本気で友達としての対応を間違えて、呆れて帰りたがってると思っ……じゃ、じゃあ、後ろを隠してた理由は座ったことを……」

「なんか……ごめん」

 ……さらっと友達と言ったことを話さないでおくことにした。


 というか2人してこういうことは初めてなのだ。なにか不都合があればこうなることはわかりきっていた。

 なので俺は息をついてから安心して座り、さくらも少し落ち着くとゆっくりとお茶を入れて俺の座る前のテーブルに置いた。

「それで来た理由はなんですか?」

「ああそうだよな。なんだほら、今日はさくらの誕生日だろ」

「ええっと……どうしてそれを?」

「あの日さくらが俺の家で風呂に入ってる間に、妹が学生証を見て知った、が正しいかな」

「思ったよりも犯罪に近いですね」

 最初は別に個人情報を攫うつもりはなかったらしいが。桃花曰く。

「それで、まあ妹にうるさく言われて、誕生日を祝えということで。わかりやすくプレゼントを渡そうってなって」

「その説明は回りくどいですよ」

「ごめん、初めてだからいい感じに纏まらん」

 さくらは少し縮こまり、無愛想に声を出した。

「その、私も初めてですよ、知り合いからプレゼントをもらうことなんて……なので、早く渡してください」

 言われ、鞄の中を漁る。少しだけ違うポケットに隔離していたのですぐに出すことが出来た。梱包も綺麗に整ったままだ。これ以上くどくても収まりつかないのでさっぱりと手に乗せる。

「小さいものだけど……ほら、ストラップ。マカロンと、クラゲ」

「開ける前に言うのはネタバレ?ってやつですね。……あの、マカロンはなんとなくわかるんですが、どうしてクラゲなんですか?私別にクラゲ好きでもないんですけど」

「なんか似てたから。可愛いなあと思って」

 さくらが袋を開いて中身を取り出した。そのクラゲはデフォルメ調で桃色に近い色をしていて、少し不思議な雰囲気を醸している。

「似てますか?このぷにっと感とか」

 さくらが顔の横にそのストラップを並べて見せてくるか。可愛いのでやめてほしい。

「ま、まあ、そうだな」

「なんですかその返事……まあ、ありがたく受け取ります。ありがとうございます」

「携帯なんかにつけると」

「それは──」

 さくらは話の続きを遮るように口を閉じた。また少し動揺している。

「あの、多分ですけど、玄関の扉が開く音がしました。少し待っていてくれませんか……?」

 と言ってまたすぐに髪を揺らし部屋を出て行ったさくら。またひとりになったので、次はゆっくりくつろいで入った湯気の立つお茶を飲む。

「絶対いいやつだろこれ……」

 匂いが鼻をくすぐるハーブティーで心が安らぐ。というのとは逆に落ち着かなくなってきた。1週間分の出費をこの何分で堪能した気分にさえなるのでそわそわする。

 少しして廊下を走るような音が聞こえ、また静まる。そこからまた少し。帰ってくるのが遅いので少し不安になる。


 ゆっくり廊下に出ると、さくらの嫌がる声が聞こえた。なにが起こってるのか気になりすぎるので向かい、多分リビングであろうところを覗くことにした。もし強盗なんかに入られているなら、俺がどうにかしなければならない。そんな思いで重い扉をゆっくり開けると、高そうなスーツに身を包んだカッコいい男の人がさくらを抱きしめていた。

 さくらと目が合い、彼女は固まった。それに続いてその男の人とも目が合う。

「「あ」」



 客間へと戻った俺とさくらと、この人。さくらの父親だ。2人がテーブルを挟んだ俺の前に座り、父親は笑ってさくらは嫌そうにしている。すごい光景だ。さくらが隣にいれば付き合ってる報告になるところだった。

「いやあまさか、さくらが友達連れてくるなんてなぁ!よかったよかった」

「よかった、って、なんですか……」

「さくらが迷惑かけてないか?いや、かけてるだろうなぁさくらだもんな」

 何故か爽やかに笑う。逆に心底嫌そうな顔をしたさくらが俺に目を合わせてきた。助けての合図だろうがなにをすればいいのかさっぱりわからない。なので逃げに徹することにする。

「あの、お邪魔でしたら帰りますが……」

「晴樹さん!?」

「ああ君が晴樹くんか、さくらがよく名前に出すからどんな人だろうと思ったけど、なんだろうなあ、結婚はまだ早いな!」

「しませんから」

 さくらはむすりとした。なんとなく、この親あってこの娘、という感じがする。冗談を冗長に言うことや思ったことを口に出すことは父親譲りなのだろう。

 少し父親の話を授業を流すかのように聞き、痺れを切らしたさくらが父親に席を外すよう促した。嫌がる父。嫌がる娘。傍観する俺。

 説得され、「さくらになにかしたら許さないからな!」と俺に言い残し嫌々出て行った父親の後ろ姿を見送り、さくらとまた2人きりになる。

「すいません……帰ってくる前に用事を済ませようとしていたんですが……」

「俺の母さんのこともあるから、なんだ、そういうこともあるって……」

 少々の沈黙。2人して少し疲れていたのでこそばゆい空気が流れる。

「あ、私の頼みなんですが……本当はお父さんが帰ってくる前に買い物へと出かけて食材くらいは買おうと思っていたんですが……もう遅いですし、お父さんに付き合ってもらおうかなと思います」

 今日1日どこか落ち着かないさくらは意外と珍しく見えた。

 そんな彼女がもじもじ、肩を狭めて少し近寄ってきたかと思うとソファの空いている横にゆっくり正座で座った。3人くらいは座れるものなので少し離れることにすると距離を離さないようまた少し寄ってきた。

「近くない?」

「そんなことはないです」

「というか、いつも思うけど距離おかしくない?」

 突然さくらはピタリと、逃げるように端に寄っていた俺に近付くのをやめ、子犬が寂しさを見せているような目を向けてくる。

「……やっぱりおかしいですか?」

「いや、一歩だけ近いと言うか……パーソナルスペースが取り払われてない?ほら、2人の仲じゃん、恥ずかしくとかないのかな、と」

「……少し、考えていることがあります。きっと晴樹さんの疑問への回答になるでしょうが、まだ、少し言えません。待っていてくれませんか?整理がつけば多分言えますから」

 そう言って息を吐いてから置いてあったもうひとつのティーカップに口をつけている。いやに艶やかで気品がある。い草に包まれてコンビニでも売っているようなお菓子を食べる人と同じとは思えない。

 多少の沈黙のあと、ふとしてさくらが手にカップを持ったまま話を変えた。

「お父さん……私のことをペットを可愛がるようなのであまりいい感じがしません。……苦手なのだと思います」

「なんだそれ。普通にただ愛されてるんだろ」

「それがわからないです。……晴樹さん、やっぱり、買い物に付き合ってくれませんか?2人で外に出たいので」

「えっ……いや全然いいけど」

 言い方が愛らしくドキッとしてしまったのでたとえ荷物持ちになるとわかっていても断るなんて出来やしない。あとちょうどいいのでひとつやりたいことも出来た。

 ──いつしか見ていなかったこの子の気持ちを、久々に感じた。そして、なんでも言うようなはずなのに、家族に対してだけ吐き出せない口。




 家に帰るのが少し遅くなることを桃花に電話で連絡すると、おっけー!と1つ返事が軽く帰ってくる。多分あいつ、さくらと会っていることまで加味しての返事をしたんだろうな。

 と思っているとひとこと付け足された。

『今回の責任は全部私だから、にぃは何も考えなくてもいいよ』

 少し意味ありげな言葉だ。多分さくらの誕生日を知ったことからストラップの選択までのことだろう。そんなのはさくら共々あまり気にしていないので言われなくてもいい。

「まあなにかあればお前に押し付けるわ。ご飯は帰ってから食べるからよろしく」

『じゃあ今日はお母さんとお父さんと待ってるね』

 そう言ってすぐプチっと途切れる。集団で尋問されるかもしれない……。

 肩を落として隣を見ると、大きくはないコートを上に着たさくらがいる。また暗い夜道を綺麗な女の子と2人で歩いているので、警察に見られていると捕まるかもしれない……。

 ふとビードロの声が聞こえてくる。

「どうかしました?」

「いや、自首した方がいいかなって……」

「なにを言ってるんですか……?」

 隣でさくらは少し考えてから屈託無い笑顔をこっちに向けた。

「でもまあ、悪いことをしたなら仕方ないですよね。ちゃんと自首すべきだと思います」

「満面の笑顔で言うなよなんかやったみたいだろ」

「冗談です」

 さくらがふふっと優しく笑った。

「今日初めてその笑い方を見たな」

「あっ……そうですか?なんとなく緊張も抜けましたし、家にいない時の方が多少なりとも気持ちは落ち着くので自然と出てしまいました。楽しいで……」

 話す途中ではっとして口を噤み、きゅっと恥ずかしそうに身を縮めた。そんなにも自分を必死に咎めるのは珍しく、何ヶ月かぶりにこうしてまた一緒に過ごしたがこの数ヶ月かで彼女は少し変わったのかもしれない。

 ──いや、実際は変わってないのだろうな。それでもなんとなく、さくらが自分で自分の気持ちを抑えて吐き出してを繰り返しているのが身に染みて感じて、今こうして久しぶりに会った彼女にこの数日間驚いているだけだ。

 そんな彼女の方がいい──


「さくら、可愛くなったな」

 さくらは俺のそのひとことで唐突に足を止め、離れるかのように少し身を後ろへ下げた。蛍光灯に照らされる驚いた顔が見える。

「晴樹さん、先週は言ってくれなかったのに今言うなんて、いい性格してますね……!」

「そんなに引かなくてもよくない?」

「あ、その、突然身の危険を感じてしまって」

「犯罪者かな?」

「犯罪者なら自首するべきですね」

 と言って肩の力を抜いてまた一歩を歩き出した。

「冗談です。もし"ひかれる"なんてことがあったなら、それはもう少し晴樹さんを知ってからでしょうから」

 またいたずらめいて笑う声が聞こえた。嬉しそうに弾む後ろ姿と揺れる髪が街頭によってキラリと映える。




 大きくもないスーパーだ。地元の人たちだけが寄るようなそんな場所で主婦のように買い物カゴを持ったお嬢様のさくらを傍目に少し離れて見守っている。食べるものが足りないようで、普通の甘いお菓子のついでほどにインスタントの食べ物を積み込んでいた。お嬢様のインスタント生活、甘味生活。加えてあまり運動も得意ではないはずなのでなぜその体型を維持出来ているのか不思議で仕方ない。女性の体型の話はよそう。

 適当に桃花の好きなおもちゃのついたお菓子を眺めていると、さっきまで遠くに見えていたさくらが少ししてやってきて話しかけてきたので振り返る。

「すみません、晴樹さん」

「どうされましたお嬢様」

「やめてください、享受してないので。……とりあえず、買いたいものはこれくらいです。スーパーは値段を気にしなくていいのでつい買ってしまいますね」

 自分が知らぬ間に受け入れているという二段オチ。カゴから大量の箱や袋が見えていて、これがさくらの買い物か……と、桃花の買う物との差で驚く。我が妹なんて、これはこっちの方が安いから! だとか、買いすぎだから戻してきて! だとかうるさい子なので、好きに買い物するのを見るのは結構新鮮だ。

「えっと……私、料理が出来ないのでこういうものしか食べられないんです。母親も作ってはくれないので……父親は作ってくれますが」

「料理出来ない人は結構いるし気にすることはないけどなぁ」

「晴樹さんはそう言って出来るじゃないですか。羨ましいです」

 むすっとして少し重そうなカゴを下に置いたので、とりあえず俺が代わって持つことにする。それに、あっ、と小さく言葉を出してしまったさくらはその口を閉じ、またむすっとした。

「どうせ荷物持ちは俺だし、今から持っても大差ないからな……というか思っていたより重い」

「飲料なども買っていますので。とりあえずこれだけあればなんとか……」

 そのままさくらは足をレジの方へと向けた。機嫌はあまりよくはなってない気もしたが、横目に見たときは少しだけ笑った顔をしていた気がする。気のせいかもしれない。



「そういえば、行きたい場所とは?」

 スーパーを出てすぐ、首を傾げて可愛らしい仕草でこちらに疑問を投げる。

「今日さくらの誕生日だし、先週食べたところのケーキ買おうと思って」

「あっなるほど。本当にいい性格してますね晴樹さんは。では甘えていいですか?」

 先導するように、少し急かすように鼻歌交じりに軽い足取りで前を進んでいった。俺は重い荷物を持っているのであまり付いていくことが出来ずに苦笑いするしかなかった。

 と、すぐに立ち止まりこっちにくるりと振り返る。少し困りげで恥ずかしげな顔だ。

「……そういえば私には場所がわかりませんでした。晴樹さん、よろしくお願いします」

 なるほど。気が先にあって目的地については知らなかったのか。たしかニューオープンのチラシが家のポストに投函されていたが見ていなかったのかな。そのチラシによれば7時半閉店らしく営業もギリギリやっているはずだ。

 とりあえず立ち止まったさくらを横目に先を歩き、すぐ近くの大きくもないケーキ屋へと向かって行く。2回ほど曲がるだけで着くスーパーから近い、小さな白い外装が時間もかからない距離で目に止まる。

「あの」

 嬉しそうな顔で俺の方を純粋に見つめる彼女は、いつも見るよく優しく笑うさくらだった。

「今日はありがとうございます。こんな私のためになにかと」

「いや……まあ、妹に色々仕込まれたのもあるからな」

「そうですね、みんなあまりしてこなかったことですもの。晴樹さんだけならこんなこと絶対しませんから」

 嬉しそうにそんなことを言って、軽やかに店の自動ドアを開ける。2つ混ざった甘い匂いがすぐに伝わってくる。

 ──そうだよな。多分水曜だけの集まりの6人の誰もがそう思う。俺ですらだ。

 ショーケースをまじまじと見つめる子供のようなさくらの背中を見ながら店内へと足を踏み入れると、綺麗な女性がにこやかにいらっしゃいませと声を出した。

「彼女さんですか?」

「あ、いえ、違います」

 俺がすぐ否定すると店員さんが見るからに残念そうにした。女性特有のそういうノリだ。……さくらは全く聞かずに何かを悩み始める。すごく変な空気が作られた。

「晴樹さん晴樹さん。晴樹さんはどれが食べたいですか?先週の分です」

 少しして、珍しくテンションの高いさくらが俺の方に顔を向けて聞いてくる。

「いやいいよ別に」

「ケーキ、嫌いですか?」

「そんなことはないけど」

「では、私と食べましょう。家に帰って一緒に2人でです」

 そんなことを早々と口にして、はっとして少し顔を逸らされた。その後ろの人の優しい笑顔が直に当たって痛い。

「じゃあまあ、2人分で……いちごショートでいいよ。さくらは?」

「私は決まってます。モンブランです」

 先週に気に入ったらしく、それは即決していたらしい。すごくにっこり笑顔の店員によろしくお願いしますと伝えると、すぐに取り出し箱に優しく入れてくれた。

「あ、お父さんの分は」

「あー……あの人は甘味が好きではないらしいので心配はいりません」

 いてもいなくてもとても恐ろしい環境で食べることになるので大差はないが、いない方が気分はマシなので少し安堵してしまう。さっきまで気まずそうに目を逸らしていたさくらは、何も気にしないよう箱を手に持ち、早く帰りたいのか俺が金を払ううちにすぐに店を出て行った。

 はぁと息をこぼして俺も出ようとすると、後ろから、お幸せに、と的外れな声が聞こえてくるので苦笑いをして扉を開く。



 ○○○○○



 そういえば、とさくらがゆっくりとカップを皿に戻して言う。

 ──家に戻り玄関に入るとさくらの父親が娘を心配していたのか玄関でハラハラとした態度で待っていた。それを見たさくら本人はめちゃくちゃ嫌らしくぶすっと顔を不貞腐れさせたまま微動だにせず、父親が少し落ち着いたところでスルーするように俺の腕を引っ張って客室まで戻った。

 俺を投げ入れるように部屋に押し入れ、ばたりと強く扉を閉めてから綺麗なため息を吐いてガラスのテーブルに箱を置いていた。そんなさくらも買い物の袋を台所に持って行ってから香りのするお茶を淹れて落ち着いて、やはり俺の隣に居座ったままこっちを向いて話しはじめる。近い。

「そろそろ夜も深いですし、色々と準備もしなければなりませんね」

 言い方に問題を感じる。

 そう言って立ち上がり一度部屋を出てすぐに帰ってくると、百貨店で見るような厚めの紙袋を携えていた。さくらはまた俺の横に座ってからそれを渡してくる。

「家族方に渡しておいてください。この前のお返しですので……その、あまりこういう恒例のやり方もわからないので、こんなものでいいのかと思う気持ちもありますが」

「そんななにもしてないからな……まあ断る義理もないし受け取っておくよ。母さんも喜ぶだろうし」

「ありがとうございます。またお伺いいたしますので、その時はまたどうか」

 低い姿勢でそう言ってから、買ってきたケーキを持ってきていた皿にひとつずつ乗せてくれた。嬉しそうな横顔が見えてなんとなく安心する。

「施しだとかにたいしては私も少しは返したいんです。私にだってプライドはありますから」

 羞恥心は少し足りていない気がするが、さくらにもさくらなりになにか思ってはいるらしい。ただの天然じゃなくてよかった。親身。

「……なんですか?こちらをずっと見て。私また変なこと言いましたか?」

「いや別に言ってないから安心して。まあなんだ。これからもよろしくな」

「え、あ、はい。……突然改まられるとむず痒いですね。また来てください、小さいことでももてなしますから」

 しおらしくもじもじと、また身を揺らして俯いていた。こんなにも素直に可愛らしいな彼女を見るのはやっぱりなんとなく珍しい。いつもはニコニコした皮肉屋なので特別な日らしいなとよくわからないことを思った。


 少しして扉が優しくノックされる。さくらがはいと返事をすると開けられ、父親が寂しそうな顔を見せた。

 さくらはため息を漏らして立ち上がって扉の方を向いた。

「……なんですか」

「いや、夕飯どうするか訊こうと思ってな。……っと、2人でケーキか。ありがとう晴樹くん、俺は甘いもの食べられないからこうして一緒に食べてくれる人がいて嬉しいよ」

「もう……後で食べますから、待っていてください。晴樹さんは……」

 ちらりと確認するかのようにこっちに目配せしてきた。

「俺は帰ります。家族を待たせてるんでさすがにそろそろ帰らないとまずいかなと」

 というのは建前で、妹に連絡が入ると帰らせてはくれないので体裁保って帰ろうという算段だ。こうでもしないとあいつは納得しない。

 さくらもひとつ頷いた。

「なので後で食べますから、今は少し待っていてください。あまり気乗りはしませんが」

 すっと父親の曇っていく顔が目に入った。

「お前はそのまま直すつもりはないんだな、その言葉遣い」

「え、あ、いえ、その……」

「らしいからいいけど、それで色々な人に迷惑かけるなよ?」

 ──そうだった。こうして傷を付けるのを目の前で見るのは久しぶりだ。

 俺が気にしていないだけで、周りを変えることくらい容易な厭われた口なのだ。それは親にさえ受け入れられてなどなかった。



 ○○○○○



 帰り道でも甘い匂いが抜けなかった。いいものでもなんでもなく、ただ甘いクリームの匂い。

 あの後は2人でなにもなく、並んだままケーキを食べた。父親とのことについては何も話さないので俺も口は閉じたままにした。

 さくらはずっと家族の話をしない。会ってから一度だけ話として聞いた事と言えば、父親は会社の社長であるということだけだ。母親の話を聞いた事はずっとないし逆に無意識に零すように話すのが、嫌われている、ということだけだ。

 俺はピンとこないままだった。家族揃って仲はいいし、ふざけ合ったりもするから。

 たださくらにとっての家族とは気の置けるものだということが今日ひしと伝わった。帰りに俺に呟いたすみませんのひとことで強く心に残った。家に帰りたくないの一点張りもただただ家が素直に好きじゃないからだ。

 俺は歩きながらスマホを取り出し、桃花に連絡するより先に夕方交換したばかりの新しい番号へとかけることにした。すぐに相手は受話を取る。

「もしもし、俊太?」

『はい、俊太です。どうしました?恋しくなりましたか?』

「そういうところかもしれないな」

『ぶっ』

 なにかを吹き出すような音を出し、多少の沈黙の後に話を向こうから切り出した。

『で、本当はどうしたんですか。今は……さくらちゃんところからの帰りでしょうか?』

 マイク越しに伝わる特有のガサガサと鳴る歩く音からの推察だろう。こんな時間まで本当にいると思っているのか?いや間違ってないけど。

「なあ、俊太は家族と仲良いか?」

『そうですね……悪くは、ないかと思いますが』

 そう言って一呼吸、俊太は真剣な声音に変わった。

『……晴樹先輩は仲の悪い家庭はあってはならないものだと思いますか?』

「いや、必然性は置いておいてもありえることだと俺は思ってる」

『ならば尚更。さくらちゃんの家族のことなら晴樹先輩が知ったところでロクなことにならないでしょうから、知らない方がいいです。……もう少しだけ、きっと話してはいけないことを話しましょうか』




「ただいま」

 玄関に入ると、床をドタドタと騒がしい駆け足が鳴った。

「にぃーおかえりーどうだったどうだった?まるで話しかけたらゴールドもらった時みたいに喜んでたんじゃない?」

 俺の顔を見るや否やにやけ顔を隠さずに、いつも通りにジャージ姿の妹が近くまで来て荷物をすっと手に持った。相変わらず変な例えを使ってくる。

「というかゲーム内通貨くらいの価値なのか……その例え微妙すぎないか」

「あ、それもそう……?とりあえずご飯食べよう。今日は家族みんなで食べるんだから、ちゃんと報告しなよ」

「なんの報告だよ……そんな恋人みたいな関係じゃないから」

「えっ……」

 何かを期待していたらしいが、その妄想も虚しく散っている。何がいけなかったのか、と深く考え込むような桃花をすり抜けてリビングへと行くと、両親が嬉しそうな顔でこちらを見てきた。なので一度ドアを閉めてゆっくりと歩いていた桃花の方にとりあえず戻る。

「桃花。2人に何言った?」

 聞いてみると曇りなく首を傾げられた。

「え?別に何も言ってないよ、遅くなるとしか。というかさくらさんのことは話したことないし。初めて知ったのは先日の夕飯の時のはずだし」

 そう思えば母さんはさくらを見た時に何故か驚いた反応をしていたし、なんとなくさくらについては話してない感じはあった。となると、一枚隔てた向こうで2人して奇妙な笑顔を向けていた理由がいまいちよくわからなくなった。

 とりあえず戻って簡素なテーブルに置かれた素朴なサラダに目をやる。……いやダメだ、豪勢な部屋がフラッシュバックして侵食してくる。周りよりも一回りは大きい家だとは思っていたが、中もなかなかに恐ろしい場所だった……。

 父さんに手荷物を渡し、台所で手を洗った序でに桃花の用意した温めた料理を運んでから、2人の視線に反応を示さないよう父さんの隣の席に座る。

「おかえり父さん。進捗どう?」

「おうよ、夏開始には余裕のスケジュールだ。今日は普通に帰ってこれたしな」

 威張るようそう言った父さんに母さんは心底呆れるようにため息を漏らした。

「そんなに自信満々ならちょっとは期待していいの?」

「まかせろって」

「まあそれなら期待するよ?とりあえず晴樹も帰ってきたし食べよう。いただきます」

 1人で先陣を切って食べる母。父さんは律儀な人なので呆れながらゆっくりと手を合わせて箸を持ち、それに合わせて俺と桃花も食べ始める。

「そうそう、にぃ。さくらさんはどうだった?」

「……俺の手の届かないところにいるなぁと思ったよ」

「あー……うん」

 桃花は苦笑いしてそれ以上なにも聞かなかった。

 フラれたと勘違いされている。まずそんな話に発展すらしてないのに。

 


 ──『僕はそんな彼女が嫌いです』。俊太は通話の最後にそう言った。言葉を選ぶ俊太が一番言わないようなひとことに息が止まった気がした。



 さくらは今なにをしているだろうか。家族が嫌いな彼女は……そんな感情でふと楽しく団欒をする周りに目をやると桃花がこっちを見ていた。深く深く、真意を覗く目。

「きっとにぃが思っているよりも、みんなは近くにいるよ」

 桃花が微笑んでそう言って、その隣の母さんがその言葉で思い出したように口を開ける。

「そういや晴樹、彼女とはどうだったの?」

 流れ変わったな。

「彼女なんていないから……」

「あら?さくらちゃんってそういうんじゃないの?じゃあなんなのよ」

「いや、なんなのかと考えると、なんなんだろうな……」

 よくよく考えたらそれもよくわからないと素直に思う。さくらは出会ってからずっと、俺の側にいる理解し難い女の子だ。


 ──それでも俺はあいつのことを放っておく気にはなれない。それこそどこか運命の糸のように繋がって、離してはくれない鎖のように固く思わされる。

"それなら俺は、そんなあいつを変えたい"

 そう、俊太に伝えた。

 いつまでも一歩も踏み込まないままで、今そのままではダメだと、そう思った。俺とさくらは真野さんや俊太のように上層で生きる人間じゃないが、近付けるのは彼女と同じアンダーグラウンドの俺だけかもしれないと思ったから。

 それはきっと誰も望んじゃいないかもしれないけれど、ならばこれが最初の一線だ。


「晴樹は母さんみたいなすぐに無理を通す無茶な人とは付き合うなよ」

「おいそんなこと言うなよ旦那、これでもウチら結婚した仲じゃん?」

「ほんとなんでなんだろうなぁ」

「ひどっ!」

「まあ……俺も注意するよ」

「晴樹も乗らないでよろしい!」

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