じとりと
一握りの期待をふくらませてドアノブを回す。洗面台のドアからこちらを見ている。
急いで電気をつけた。スッと暗がりへ引っ込んでいく。
今日から部屋は、どこもつけっぱなしにしておこう。
それから手早く夕ご飯を食べた。生ニンニクを潰してパスタに絡める。
一口食べる事に視線の距離が離れていく。ニンニクは有効だ。毎日食べよう。フォークをくわえたまま、引き続きネットで除霊氏を探す。
ただ、どこも吸血鬼を堕とすとは書いていない。これは問い合わせて見るべきだろうか。
ついでに引越し物件も追加で探してみる。
休みをまとめて取る余裕が無いから、合間合間でやっていくしかない。
原因の男は、目を見開いたまま私をずっと睨んでいた。
***
「最近やつれました?」
同僚からの声に曖昧に頷く。
口臭も気になるが、連日のニンニク漬けで体臭が酷いのではないか。
香水を振って誤魔化しているけれど、そういうものは掻い潜られて潰される。
「今度リフレッシュに旅行へ行きませんか?」
「旅行、ですか」
魅力的なお誘いだ。
私は二つ返事に答える。
「いいですね、行きたいです」
あの男のことを考えなくて済む時間がほしい。睡眠以外では、隙間という隙間に視線がいって怯えながら暮らしている。
今のところ被害はない。
ただ、慣れて油断する頃に牙を向かれるのが世の鉄則だ。
「……ストーカーですか?」
声を潜めて聞かれる。あはは、と笑うしかなかった。
私の幻覚なのだろうか。
暗くなった夜道をさ迷うように帰っていく。
精神内科に通ったら楽になるのか。
でも耐性は付いてきた。
耐性というのか、取り敢えず電気を消さずにニンニクを食べておけば、平気だという自身は生まれている。
均衡が破れる前に、私は決断をしなければならない。
十字架のペンダントを、首から下げて握りしめた。
不意に目が覚めると、男と目が合った。
私を見下ろしている。直立で立ったまま、視線だけがこちらに向いているのだ。
私は硬直した。
しまった。記憶がない。なぜ真っ暗な部屋になってるのか。酒は飲んでない。何を間違えたの?
「チヲ、ノマナケレバ」
「あ……」
真っ暗な中で見る彼は異様だった。
目の隈が浮き彫りになり、丸い目を強調していた。ギョロリと目が動く。息が引きつった。
「どれ、どれくらい、ですか」
ひゅうひゅうと息が漏れる。動転しながらも声が出た。ペンダントを握りしめた。
男は視線を動かさずボヤいた。
「ヒトリブン」
「ちょ、ちょっとずつなら、ちょっとなら」
冷静になろうと呼吸を繰り返す。
男は口を半開きにしたままこちらを見て、言った。
「オマエ、クサイ」
ハッと息が漏れた。
実践していてよかった、けれど直接言われるとは思わなかった。
「チヲ、ノメナイ」
「おおおかえりください」
一筋の光だ。希望が見えた。
穴が開くほどの視線からようやく解放される。しかし男は動かない。
「カエラナイ」
「いや、まずいです。私はまずいです」
「チハ、ノメナイ」
男の手が光った。銀食器のナイフとフォークだ。
「いやいやいやいやなんでそんなもの」
「チハ、ノメナイ」
繰り返してゆっくりこちらに手が伸びてくる。逃げたい一心で体に力を入れるけれど、まるで動かない。男は虚ろにこちらを見たままだ。
「だってだって吸血鬼でしょう!?なんで銀なんか」
「チ、ダケジャナイ」
ギリと太ももにナイフが刺さった。
痛みで声がひっくりかえる。過剰に反応したせいで深く刺さった。
血が流れて、男は動きを止めた。
「ニクモ、クエナイ」
そうか、血から染み込んだニンニクか。
興奮状態で、必死に後ず去ろうと藻掻く。
男は、ナイフとフォークを落とす。
じっとりとした目で私を見た。
「オマエ、イヤダ」
「帰って!!帰って!!」
「オマエ、ユルサナイ」
殺されるのか。いや食われるよりマシだ。
しかし男は怒っているが動かない。じいっと至近距離で睨まれている。
夜は明けない。どくりどくりと、意味の無い血が流れて行った。
カーテンの裏側に、男 空付 碧 @learine
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