第十八話 お婆ちゃんと走りました!



 結構、私は運動が好きです。それは前世の頃からそうであって、更にその力を継いでしまった今は大いに楽しむことが出来るようになってしまいました。

 故あって、記録を出す時は力を抜いてすっとぼけてしまいますが、それ以外のフリーの時は八面六臂をやってみたり、優れた黒子に徹してみたりもします。

 球技は熱く、マラソンは熱苦しく、ハンマー投げはくるくるですね。運動部に入る人の気持ちは大いに理解できてしまいますよ。走ったり飛んだり跳ねたりする子供の遊戯の発展が、とんでもなく面白いのは自然だと私は思っています。

 勿論、それらが苦手、どころか嫌う気持ちだって、当たり前でもあるでしょう。何人にも最適な物事はありますし、おっくうなことばかりはやっていられないものです。怠けるのだって、意外と素敵なことですし。

 まあ、それでも私はやっぱり好きなスポーツを行うとそれはそれは白熱してしまうのですよね。

 バドミントンとか、結構本気出してもシャトルが逸しないので大好きなのですよ。どーんと、相手をしてくれている奏台にシャトルを打ち返して、私は言います。


「うー! やっぱり筋肉を動かすのって素晴らしいですねっ!」


 そう。結局の所、私は筋肉愛から、その躍動に悲鳴すらも喜んでしまうところがあります。我ながらとんだマニアックさですが、これが少しでも爛漫に映ってくれたら嬉しいのですが。流石に、深淵を覗かれるのは恥ずかしいですし。

 ふふふ、と私が楽しみに体育館のボール幾つも嵌め込まれた天井を見上げながらニコニコしていたら、何やら相手側に動きが。

 見下ろしてみるとなんと、奏台がうずくまっています。私は急ぎのあまりぴょんとネットを飛び越え、彼の元へと向かいました。


「どうしました、奏台!」

「うぐ……い、いや……これは……」


 しかし、伏したまま奏台は動かず、どうやらはっきりとしたことも言えないようです。何が起きたのかも判らないので動かして良いのかも不明な状態。これは、困りました。

 私は疾く訊くために私達のゲームの審判だけでなく点数まで付けてくれていた三越君に詰め寄ってしまいます。口をぽかんとしていた彼に、私は問いました。


「奏台が変です! なにがあったのです?」

「あー……星さん今、君の身長ぐらい高さあるネット、ハードルみたいにして跳んでなかった?」

「記録されていないからセーフなのです! でも、そんなことより奏台はどうしてさっきから足をぷるぷるさせたまま動こうとしないのですか?」

「それは……」

「それは?」


 驚きから変え、微妙な表情をはじめた三越君。なんだかまだるっこしいのです。けれども、なにか大事を口にしてくれるのかもしれないと、私は耳を澄まして待ちました。

 本当に、渋々としてから、彼はそれを口にしました。


「シャトルが、当たったんだよ…………あいつの股間に」

「股間に?」

「股間に……」


 思わず、私は聞き返してしまいます。私の全身全霊の一撃が、奏台の大切なところに。おお、それは痛い。

 私にも、強烈な記録として、それが大変な痛みを伴うものであるとは知っています。ぴょんぴょん慌てもせずに、必死に堪えているあたり、奏台は偉いのかもしれません。

 つい、私は彼に合掌をしてしまいました。そして、言います。


「ごめんなさい、奏台。貴方が女の子になってしまっても、私は友人を止めませんからね」

「こんなことで性転換させられてたまるか!」

「おお、起き上がった……流石だ」


 私が彼の玉の行方を思っていると、奏台は怒ってツッコミをしました。よかった、顔色は少し悪いですが、大丈夫なようです。

 何やら尊敬の目線で奏台を見つめている三越君と一緒に、私はほっと一安心。奏台の発言をゆっくりと咀嚼しました。


 まあ確かに、これくらいで性が変わるのなんて、あり得ない。

 でも、貴方は知らないのでしょうけれど。死んで起きたら性転換どころか別人になってしまうようなことも、あったのですよ。


「ホント、良かったです……そこに痛いの痛いの飛んでけ、したほうがいいですか?」

「変なことを口走りながらにじり寄るな! って……おい、真に受けた三越の野郎の目が凄まじいことになってるぞ!」

「市川……君はいいヤツだったよ……」

「過去形? 俺を殺る気かお前!」


 友達達の騒々しさの中で、改めて思います。

 本当に、私はあり得てはいけないくらいに、変わっていますよね。




「そういえば、奏台に大神先輩、闇の世界とやらはどうなったのですか?」


 お空の雲が美味しそうに見えるくらいにまんまるしていた帰り道。私は、じゃれ合っていた二人にぽつりと問います。

 奏台も大神先輩も揃って、私を驚いた目で見つめました。それもそうでしょうね。あまり、私がそっちの方に首を突っ込むことはなかったですし。


「ん。何だ。急に、気になったのか? 別にいいが……とはいえ、一体全体ネタバレされた後の世界なんて、つまんないもんだぞ?」

「だよねー。お父さんが引退してからもう、平和そのものになっちゃった」


 勇者奏台に、魔嬢唯は、異能で形作られたファンタジックな世界の変化について、平然とそう語ります。

 何やらいい年して魔王的なことをやっていたらしい大神先輩のお父さんが悪ぶるのを止めて、同格の能力者でプレイヤーたる奏台と現実で話し合った結果、闇世界での争いを無くしたのだと聞いてはいました。

 なるほど平和は良いです。何もなくて、つまらなくて眠くなってしまうくらいが実は一番幸せなのかもしれませんね。

 とはいえ、そのためにこれまで関わりを持っていたものが一度に失くなってしまえば、安否が気になってしまいます。そう、あの小さい子のこととか。


「そうなのですか……こっちに闇人が出てこなくなって来たのが、少し心配でしたので……」

「闇人?」

「あれだ。お前が隠れてこっちの世界で俺らを襲わせていた、執事の……」

「え、セバスチャンのこと? うわー……市川君ったらあいつのこと、闇人なんてそんなストレートに呼んでたんだ……」

「見た目まんまの方がなんも知らない星にだって覚えやすいと思ったんだよ……つうか執事にセバスチャンっていう名前もどうなんだよ」

「お父さんが付けたものだから、私は知らないー。ぴゅー」

「口笛吹けないからって、口で言うなよ……」


 そして、当たり前のように二人の口から語られていくのは新事実の連なり。

 闇人、執事さんだったのですね。そして、名前はセバスチャン。更に、大神先輩が口笛吹けないとは。これは驚きです。

 大神先輩がなにおうと、一生懸命口笛を吹こうと可愛らしく唇を尖らせている様子を認めながら、私はなお訊きました。


「……セバスチャンさんは、元気にしていらっしゃいますか?」

「んー。あいつ、こっちに来れるくらいには強いキャラだから、大丈夫じゃない?」

「あー……確かに、向こうだと無敵に近くて嫌な奴だったな。……それにしても、あの執事が完璧に守ってたかの有名なギロチン姫が、こんなガキだったとはなあ……」

「むぅ! その名前、私好きじゃないよ! それにどっちかといえば、ギロチンを使うよりも絞首刑にしたほうがずっと多かったし! ……痛!」

「過去の悪行を胸を張って語るな、バカ」

「……そうだね。それは、反省。ごめんなさい」

「ふーむ……やはり色々と、あったのですね」


 小突かれどこかに向けて頭を下げた大神先輩。その真面目さを、私だけは正しく理解したいと思います。

 こっちでは弱々だったセバスチャンさんが実はシマでは強かったとか、大神先輩が予想よりとんでもない悪女だったというのは驚きですが、私がそっちにばかり目を行かせることはありません。

 なにせ、私は別世界の諸々よりもこの人を贔屓してあげようと思ったのですから。

 だから、そろりと私は低いところにある彼女の頭を撫で付けます。ああ、びっくりするほど大神先輩は小さくて柔らかですね。


「よしよし、です」

「うう、子供扱いしないでよー……」

「はぁ……なこと言いながら、顔、ニヤついてんぞ」

「市川君の意地悪ー……」


 熱に思わず縋り付く子。それに親愛からちょっかいかける男の子を眺めながら、私は胸中のこの世で一年だけ長じているばかりの未熟な柔らかさを愛おしみます。

 私がはぐはぐなでなでをしていると、大神先輩は、ぽつりと溢します。


「お母さん……」


 涙は胸に滲みて分からずに、その声はこの耳にしか届いていません。だから、私は黙したまま返事の代わりに、抱きしめる力を強めました。




「何だか今日は、色々とあった気がしますねー……ちょっと、疲れました」


 私をしきりに送ろうとしてくる奏台に近いから大丈夫と辞した私は、独りゆっくりと暮れはじめた道を帰ります。

 遠くの茜色の稜線を見つめながら、目をゴシゴシ。何だか、口から溢れてしまった独り言を気にしながら、私は一歩。すると私が気にしなかった暗がりから声が発されます。


「おや、疲れているのかい……今日は止した方が良かったかねぇ……」


 見ると、そこには皺深く、腰を曲げて微笑む老婆の姿がありました。その矮躯は、闇の中に良く馴染んでいます。まるで、あって当たり前であるかのように。

 見知ったそのもんぺ姿に、私は思わず破顔します。


「あ、ターボなお婆ちゃんじゃないですか。お久しぶりですー。腰はもう、大丈夫ですか?」

「おお、そういえば、お久しぶりだね。星ちゃん。腰はもう、すっかり大丈夫さ。何なら今から首都高だって攻められるよ」

「相変わらずの走り屋ぶりですね! でもご健勝なのは何よりですー」


 私の言葉に、ニコリと、皺が歪みます。相変わらずのお年を召した、そして健康体。

 全人類が彼女のように年を深められればいいのですが。まあ、人でなしだからこその、この有り様ですからそれは無理なのでしょうね。

 そう、俗にターボばあちゃんと呼ばれるこのお婆ちゃん、百メートル三秒の口裂け女の三井さんよりもなお脚の速い彼女は、私のお化け友達なのでした。

 ああ正確に言えば、お婆ちゃんは怪人ですね。車に乗った人の、追い抜かれる恐怖が形になった、人なのですよ。

 お婆ちゃんは私が初めて遭った、お化けさんでもあります。何でか彼女、老人ホームに紛れ込んでいたのですよね。仲良くなってから、正体を明かしてくれました。


 お婆ちゃんは、暗がりから一歩出て、私の前に来ます。その優しげで小さな姿を見下げながら、私はつい私の元にやってきた理由を訊いてしまいました。


「それにしても、私に何か御用ですか? お手伝い出来ることなら良いのですが……」

「星ちゃんは話が早いねえ。そして、脚も速いところが私の好きなところさ」


 にこりと、深まる笑み。がっしと、お婆ちゃんの細い手が私の腕に絡みつきます。


「えっと、どうしましたお婆ちゃん、急に私の手を握って……え?」

「ちょっと飛ばすよ」

「え、わわー!」


 お婆ちゃんの脚は廻り出し一気に加速。引きつられた私も、それに合わせなければなりません。

 やがて、私達は風になりました。



「はぁ、はぁ……疲れましたー」

「いやあ、流石は星ちゃんだねえ。普通の人間なら脚がもげるどころか擦り切れて私が持った腕しか残らないほどの速度で引っぱられたのに、これだからね」

「それは、お婆ちゃんが私に合わせてくれたからですよー」

「ふふ。そういうことにしておこうかね」


 少し強引だった二人でのツーリングは、それなりに早く、そしてとんでもない速さで終わりました。おかげで、膝が笑っていますが、なんとか私は健在です。

 しかし人間の二乗な私がぜえはあ言っているのに、お婆ちゃんはけろり。なんとも健康体なお化けさんですよね。

 私がお婆ちゃんの底知れない体力を思いながら周囲を見渡すと、辺りは高い壁ばかり。そして、当然のように人気も何もありませんでした。

 あ、ゴミがちょっと落ちていますね。後で拾っておきましょう。でも、それくらいしか見て取れなかった私は、お婆ちゃんに素直に訊きました。


「そういえば、ここはどこですか?」

「実は高子に頼まれてね。なるだけ人気のない袋小路に星ちゃんを連れてきてくれっていう話だから、急ぎちょっと遠くまで駆けたのさ」

「高子さんですか。なるほど、あの人はシチュエーションに拘る人ですからねえ」


 お婆ちゃんの言葉に、私は納得です。そう、高子さんはその恐るべき長身から比較対象が高くなければいけない怪異。それならば、こんな二メートル以上の高さの塀に囲まれた場所は絶好のロケーションと言えるでしょう。

 ほら、そう考えていたら姿が見えました。真っ先に麦わら帽が現れて、そうしてから悪い意味で平均的なその顔、次に長い首にゴスロリチックに彩られた胴体、やがて腰元が見えてから、彼女は屈みました。

 塀から身を乗り出して私と目を合わせてから、高子さんは嗤います。


「ぽぽぽぽぽ、こんばんは。星ちゃん。いい夜ね」

「はい。真っ暗でいい夜ですね。高子さん」

「ぽぽ。星ちゃんなら、そう言ってくれると思ったわ。ぽぽぽ」


 私の前で、くねりと揺らぐ、ゴスロリの塔。どこか気味の悪さが勝つその光景が、けれども私は嫌いではありません。

 鉤のような指で隠した口元から届く血なまぐさい臭気もなんのその。そっぽを向いているお婆ちゃんを放って、私は彼女に用向きを尋ねます。


「ところで私に、何用ですか?」

「ぽぽぽ。単に、どうするか、直に訊いてみたくって」

「どうするか、ですか?」


 しかし、返答は少し煙に巻かれたようにゆるりとしていました。

 はて。私がどうするか、ですか。どうしようもなく、いい人にはなりたいのですが、しかし彼女のまっくろくろすけな瞳はそんなことを問うような風ではありません。

 二つ塗りつぶされたクレヨンの黒の前で、私は首を傾げました。


 それに、ぽぽぽ、と彼女は上から告げます。まるで神の位置ほどの高みから、その怪人は呟くのでした。


「ぽぽ。ねえあの子――――奏台君を、放っておいてもいいの?」


 そう、彼に殆ど知られていることを私が知っているのだろうと、彼女は暗に言うのです。

 それに対する私の答えは一つです。


「ええ、私は彼を、信じていますから」


 奏台は、闇と殆ど同じ。故に日の当たる部分に出ているところばかりを信じるのは、愚かであるのかもしれません。

 けれども、それでも私の信念とか関係なく、ただ一言だけで私が贔屓してしまう理由は説明できてしまうのでした。


「だって、私は直に、男の子の強がりの凄さを見知っているのですから」


 歪な私は男の子だった女の子で、だからこそ弱さに負けない奏台の強さを信じることが出来るのです。悲しくも、それに恋すること出来ないままに。


「ぽぽぽ」


 風一つ。月は雲に消え、暗がりも想いもあっという間に闇の中に消えます。

 返ってきたは、淋しげな笑い声一つでした。


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