05.夜話。やがて身を焦がす焔。





 セルカレイド教会堂。それがベネッタやフランシスカが籍を置いている教会の名だ。もっとも籍を置くというよりかは、身を寄せているといった方が遥かに適切であるのだが。


 宗教国家ヴェルニに構える六つの教会の中で、セルカレイド教会堂は中程度の規模にあたる。そこではマールスに誓願を立てた数十人の若い神官が共同生活を営み、信心深い国民の模範となるべく規則正しい日々を送っていた。その慎ましやかな暮らしを束ねる者こそが大神官ルイスであり、ルイスの責務は、この国のすべての聖職者を統率する大司教グランゼへと密な報告を行うことである。


「やあベネッタ。君の浮かない顔を今宵も見たくなってね」


 しかし毎夜の如くベネッタの寝室を訪れるルイスの行いは、聖職者の掟から外れた不道徳なものであった。もしも月のない晩に彼と擦れ違おうものなら、夜伽の相手を求めて彷徨う亡霊のように映ることだろう。事実、真夜中に悪霊が徘徊しているのを見たと噂する神官もめずらしくはない。


「……こうしてルイス様がいらっしゃることが、私の憂鬱の原因の一つだとは思われませんか」


 言葉とは裏腹の疼きを隠すために、ベネッタはこれ見よがしの溜め息を吐き出した。あからさまに無礼な仕草だったが、ルイスが目くじらを立てる様子はない。それどころか彼は、ベネッタの精一杯の強がりに愛おしさを覚えたとばかりに、性急な動きで彼女の寝衣の裾に指先を滑り込ませるのであった。


「君の反応を見ている限り、そんな考えに思い至る男はいないさ」


 恥じるべきはルイスの言動だろうか。それとも自らの肉体だろうか。寄せては返す波の中で、ベネッタは自問自答を繰り返した。未だ貫かれたことのないベネッタのうろが、空腹に泣き喚く赤子のように何かを欲している。その欲求を言葉にしてしまえば、堕落へと向けて真っ逆さまに転がり落ちてしまう予感があった。


「きっと、きっといつか、あなたは身を滅ぼします。必ず」

「そうだね。誰かが声を上げれば、きっとそうなるだろうね」


 決して媚びているわけではない。なのに、震わせた声の中に滲み出てしまう喜悦の色が、なおさらにベネッタの感情を昂ぶらせた。ルイスの不道徳を拒みきれない己を自覚することで、頬が紅潮するほどの熱が生まれていく。日常の憂鬱を払うくらいに大きな何かが、手を伸ばせば届く距離でちかちかと揺れ動いているのだ。


 だが。


 ──誰か? 誰かって、誰?


 突如として湧き出たその疑問は、すでに声と成ってベネッタの口元から放たれていた。ルイスの戯れの相手が、自分一人だけだなどとどうして思えるのだろうか。そもそもこの部屋を訪れない夜に、彼が何処で何をしているのかを尋ねたことはない。


 無知で無垢なる少女に、嫉妬の種を植え付けることにまんまと成功したルイスは、整ったかんばせの下で下卑た笑みを噛み殺しながら問う。


「どうしたんだいベネッタ? 僕が何か変なことを言ったかな」

「……いいえルイス様。何も、何でもありません」


 上擦った声で、ベネッタはルイスを撥ね退けた。今さっきまでの熱が嘘のように引いて、ベネッタの脳裏には何故だかフランシスカの冷笑が浮かぶ。その理由は、ベネッタの知る女性の中でフランシスカが誰よりも魅力的であるからに他ならなかったが、困惑の最中さなかにいるベネッタが、そのことに気付けるはずもなかった。


 生まれたばかりの嫉妬と向き合うすべを彼女は持たない。ましてや得体の知れない苛立ちや焦燥が混ざり合い、心臓を鷲掴みにされたかのような息苦しさに襲われているのだから。


「さてベネッタ。僕はそろそろ自分の仕事に戻るよ」


 ここぞとばかりのタイミングで、ルイスがベネッタに背中を向ける。すると激情にも似た強い想いが、ベネッタを衝き動かそうとした。問い返さなくてはならない。このまま眠れぬ夜を過ごしたくないのならと。


「ルイス様!」


 悲痛なベネッタの声。これに振り向かないままで、ルイスはにんまりと笑んだ。薄汚れた嗤いを声には漏らさず、努めて真摯な口調で告げる。


「大丈夫だよベネッタ。声を上げる者なんてどこにもいないさ。君以外にはね」


 ベネッタがルイスの言葉の意味を汲み取るのに、たっぷりと三秒を要した。引き止める背中はすでにベネッタの前にはなく、その代わりに彼女の虚を潤す熱がもう一度蘇るのだった。





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