第5話

[『Vie(ヴィ)』p.5]


 真夜中。

 突然目が覚めた。胸が苦しい。心臓がドキドキする。

 裂けるような痛みが、動悸とともに身体中に走る。ひと度ごと、大きくなる。

 きっと死ぬのだ。あの眩しい程の光の中のひとときが私の人生の最後の輝きだったのだ。あの幸福な苦しさが、私を殺すのだ。

『アゲハ』

 頭の芯で、あの子の声が。ライヤ。

『僕の名前を呼んで。僕の名前がカギになる』

 助けて。叫びたいのに声が出ない。

『アゲハ。あなたはこの苦しみから逃れることは出来ない。僕は出来うる限りあなたの痛みを和らげてあげたかったけれども。この急激な苦しみを通過しないことには、あなたはこれ以上大人になれない。だから』

 ライヤ、タスケテ。

『せめて僕が、あなたを見ているから。あなたと共にあなたの痛みを受けるから』

 胸が、破れるよ。もう。

『僕の名前を呼んで。大きな声で』

「ア・・・」


 無理だよ。くちびるから、ごぼごぼと血液が流れ出してもう喉は滅茶苦茶だ。全身が痺れて、裏返ってしまいそう。

『アゲハ! 僕をあなたなしの世界で生きさせるつもりか?』

「ライ…」

『僕を探しに来い。約束の場所へ』

「ライヤ!」

 声が、はっきりと出た。生まれて初めて、こんなに大きな声を出した。見開いた目に、いちどきに光が、飛び込んで来る。見たこともない色彩の嵐が来る。

 激しい痛みが身体を本当に引き裂いた。私の心臓に翼がはえる。背中を突き破り、大きく羽ばたいて、夜明けの空へ。





 朝陽の中。 赤いどろどろとした液体…ユリの花のように赤いそれを胸から流して、私が街頭に倒れている。

 その傍で、透明な涙で頬を濡らし、荘厳な激しくも美しいレクイエムを歌う少年。

 光に誘われて、そろそろと扉から現れた街の住人たちが二人を囲む。静かにうつむいて目を閉じて、来夜の音楽を聴く人々。

 そんな姿を見下ろしながら。極上の幸せを、感じている。私だけの為の彼の歌。これは、きっと間違いなく夢以外の何物でもない。そして、悪夢では、決してあり得ない。



 再び私は逆水槽の部屋の中で目を醒ました。

ざうんざうんと。あの懐かしく愛しい音楽に包まれて。


部屋の片隅、花瓶が倒れている。中の水は空っぽで、床を濡らしてさえいない。赤いユリがしおれて死んでいる。

シーツに固く身を包み込み、私は部屋中が水浸しになってしまうのではないかと思う程まで、泣いた。

あの子に、もう会えない。そんなそんな。

何から何が夢なのか。もうわからない。



涙が尽きて、心を決めた。ベッドから這い降りる。小さくて白い私の、裸足の爪先。

私には靴がない。でも、このままで、外へ行くのだ。

迷いなど何もない。

あの痛みも苦しみも恐ろしいよ、でも。あの子のいない未来なんて…もうだめだ。死んだ方がマシ、とさえ思わない。死よりも必要不可欠なあなた。あなたを探し求めて生きる以外私に道はない。彼に、揚羽という名を与えられた以上。

ガラス窓に両手を当て、ゆっくりと上向きに力を加えて。

予想よりは軽く窓ガラスがずれて。同時にものすごい勢いで、水流が、来る。私を呑み込む。でも。

大丈夫。私は絶対に死なない。あなたと出会ったから。


《It's a biginning.》

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Vie(ヴィ) 琥珀 燦(こはく あき) @kohaku3753

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