第4話
[『Vie(ヴィ)』p.4]
それは、私の歌だった。彼だけの歌でありながら、私だけの歌。私の過去で未来で現在。今までの私とはまったく別ものの、でもこれは私が以前からずーっと知っている。私の歌だ、と思って涙が流れた。
強い大気の流れが、私の背中に長くもつれた髪を靡かせる。
「カゼ・・・」
「そうこれが風」
彼が右手を空高く上げる。指先に、ヒュルと戯れて行く熱風の動きが、目に見えるような気がした。
「生きとし生けるものすべての運命を運ぶ。時に目に見えぬ壁となり、時に全てを壊す嵐となる。そして僕とあなたをここに二人立たせた」
「私は、あまりにもたくさんの事を知らなすぎる・・・。自分が情けなくて怖くて不安だわ」
ふと彼は、しゃがみこんで泣きじゃくる私の目の前に座り、私の手を取った。
「あなたの溜め息のように、言葉をくちびるにのせるのだね、揚羽」
はっきりとした発音。
「あなたのその愛らしい声は小さな土笛のようだけど」
うつむいた彼の、頬に影を落とす銀色の睫毛。その先に止まる光を見ていた。
「それでは想いが相手(ひと)に伝わらないよ」
だって、会話の仕方というものを私は知らない。眩しくて目を伏せると、また涙が爪先に落ちる。
「僕の名は来夜(ライヤ)。覚えて」
突然彼が言った。・・・え?なに?ライヤ?
「言ってごらん、ライヤ」
「ラ・イ・ヤ」
本当に、何と美しい名前。何と美しい響き。何とキレイな目。私を見ている。
「来夜」
「もっと大きな声で」
「ライヤ」
「覚えてくれたね」
柔らかな、笑顔。光がこぼれ落ちて来る。
胸が、ぎゅうっと痛いよ。二人きりのこんな眩しい世界で、私の心臓をこんなに不規則に滅茶苦茶に鳴らす人に出会ってしまったら、ただいっとき、すれちがうだけで終われない。
「部屋へ帰して」
混乱が言葉になって零れてしまう。彼の表情に少し影が落ちる。
「何もかもがいちどきに起こりすぎた。何がなんだかわからないの。お願い、眠らせて」
頭を抱えて泣きじゃくる私を来夜はそうっと包むように抱きすくめる。
「揚羽。よく聞いて。あなたはこれからとても辛くて苦しい時を通過しなくてはならなくなってしまった。今まであなたはたくさんの危険から守られ過ぎていた。其の分、その急激な苦しみを通過しないことには、あなたはこれ以上大人になれない。それはあなたの無意識の間に過ぎてしまったことだけれども、責任はあなたにあるのだから。あなたは苦しみから逃れることは出来ない。僕は出来うる限りあなたの痛みを和らげてあげたかったけれども。だから」
そう柔らかく囁きながら、髪を撫でて。
「僕の名前を覚えておいて。あなたの扉の鍵になるから。せめて僕が、あなたを見ているから。あなたと共にあなたの痛みを受けるから。だから、最後は必ず僕のところに辿り着いておいで」
それだけ言って、私を抱き上げ、窓から部屋の中に入れてくれた。
私は彼を振り向く気力もなく、そろそろと、ベッドに潜り込んだ。呑み込むように眠りが私を襲い来る。
私は自分ひとりでは動けない。こうやって、大きな流れに身を任せて漂うことでしか生きられない。
私をこの部屋だけに閉じ込めていてくれた水を失った今、いっそこのまま死んでしまいたいと思いながら、眠りに墜ちる。
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