人探し

三津凛

第1話

破れた水道管の上を、虹が走る。勢いよく噴き出す水にわたしは夢中で唇をつけた。ぬるかった。

8月の空は、焼野原の上で真っさらに輝いていた。わたしは土ぼこりの舞う中で、妹と母を探していた。はるばる疎開先の九州から広島まで来たものの、そこには何もなかった。背の高い建物は何もない。わたしは葉書に書かれた住所を元に片付けられていない瓦礫の上を歩いた。妹と母がいるはずの工場はなくなっていた。爆弾が落とされたあの日も、妹と母は工事で働いているはずだった。影も形もない。

わたしは初め、あてもなく闇雲に歩いて探し回った。見つけられる期待があったわけでもない、希望があったわけでもない。ただ、わたしは探し続けた。

からからに干上がった防火水槽の中に、大きな炭のような塊が入っていた。よく見てみると、それは焼かれた人であった。空っぽになった路面電車の中には、つり革を持ったまま死んだ人がそのまま残っていた。わたしはまるで観光地にでも来たような不思議な心地で、そうやって転がる、死んだ人たちの顔を覗き込んで妹はいないか、母はいないかを確かめて回った。

やがて広島の街には凄まじい腐臭が漂うようになった。わたしはタオルで鼻と口を覆って、瓦礫をかき分けて探し回った。

ある少年が死体の口を開けて回っているのが目について、わたしは声をかけた。

「なにしてるんだ」

「父ちゃんと母ちゃんと、やちよを探してるんだ。父ちゃんは銀歯だったから、分かるはずなんだ」

「やちよ?」

「赤ん坊だ、俺の妹だ」

わたしは黙って、少年を見つめた。大人でも炭になるほどの灼熱だ。赤ん坊は……。

「そうかい、わたしも妹と母さんを探してるんだ」

「へぇ」

少年は瓦礫の陰に目を凝らした。土ぼこりで汚れた頰は色が悪く、痩せていた。

「腹減ってるか」

「うん」

わたしは乾パンの残りを少年にやった。

「あっちの方に、破れた水道管があるんだ。水はそこで飲みな」

「うん」

少年はわたしの話しにはあまり耳を貸さずに、乾パンにがっついた。それ以上家族を探し回る少年にかける言葉が見つけられずわたしはそっとその場から離れた。

わたしも妹も母も見つけられなかった。



それからひと月ほど、探し回ったがわたしは突然ひどい下痢に見舞われた。起き上がれないほどのひどい下痢に、わたしは死を覚悟した。

なんとか担ぎ込まれた病院で、医者がうんざりしたように言った。

「最近あんたみたいな患者が多いわ……」

ろくな薬も食べものもなかったから、わたしはその1週間でひどく痩せた。それでもなんとか下痢が治まってくると、わたしはまた妹と母を探し回った。

幾分か、瓦礫の山も片付けられて道のようなものができていた。わたしは入院している間に避難所やら、病院やらの場所を聞き出して書き留めて、一つずつ当たり始めた。

だが結局どこにも妹も母もいなかった。どこも死体と病人と怪我人で溢れていて、みんな痩せていた。超えているのは蛆ばかりで、元気なのは蝿だけだった。

半年ほど、わたしは探し回ったが結局指の爪の先、髪の一筋ほども見つけることはできなかった。

下痢も相変わらず続いていたし、そのうち髪も薄くなってごっそりと抜けるようになってきた。

広島の巷にはわたしのような人間が多くいるらしい。そういう人間たちが、衰えて死んでいっているのを見ると、わたしもそう長くはないかもしれない。



それからさらに半年経って、わたしが広島に来て1年になった。

しつこい下痢に、気休めに整腸剤でももらいに病院を訪れた帰りに、玄関に痩せた少年が座り込んでいるのを見つけた。わたしはかつて両親を探していたあの少年を思い出して、思わず顔を覗き込んだ。でもあの少年にしては幾分年嵩で、顔つきもまるで違った。声をかけようとして、肩に手を置こうとすると、とがった肩に触れないうちに少年は床に倒れた。

「もう死んでるよ」

待合室で頭に包帯を巻いた男が呟いた。わたしは手を引っ込めて、胸のポケットに入れた整腸剤の紙袋のあたりを押さえた。

わたしだって、いつ死ぬか分からない。



わたしはそのまま広島にいた。仕事も見つけて、働きながらそれでも妹や母の痕跡を探し回った。

妹によく似た女学生や、母の後ろ姿によく似た割烹着姿を見つけると思わず駆け出しかける。

わたしは緩やかに衰えていた。下痢も治らない、髪は薄いままで生えてこなかった。近頃は目も悪くなっているようだった。

路面電車の通るようになった広島の街は、表向き歩き出しているようだった。わたしは路面電車に乗り込んで、隅の席に収まった。

すると向かいに座ったわたしと同い年ほどの青年が、じいっとわたしの顔を見つめて訴えるように頷いた。

わたしは彼の気持ちが分かる。

弟か、兄か、親戚か……。

彼もまた誰かを探しているのだ。

わたしは無言で首を振った。青年は一瞬だけ光らせた瞳を、すぐに曇らせて下を向いた。泣いているのかもしれない。だが、その涙も枯れ果てた。

こんな風に、みんなが人探しをしている。

広島の街では、誰かを探す人々で溢れていたのだ……。

妹も母もまだ見つかっていない。

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人探し 三津凛 @mitsurin12

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