同窓会③

 神野と加納はしばらくの間、中学時代の思い出話で席を賑わせた。その時だけは、神野自身も加納と同じ元同級生だったんだと自覚できた。

「やっぱりあの頃は楽しかったよなあ」

 神野は体を後方に傾けながら、ため息にも似た調子で呟いた。「あの頃に戻ることが出来たらなあ」

「そうか? 俺は今も変わらず楽しいけどな」

 加納は運ばれてきた手羽先を頬張りながら、もごもごと返す。

「そりゃあ、健坊はそうだろうよ。なりたかった職業に就けてさ。やりたかったことをやってるんだから。その点、俺なんてどうよ。何にも変われてないじゃないか」

「それのなにが駄目なんだ」加納はきょとんとした表情を浮かべた。「変わらないことが罪とは俺は思わない。それに神野光太郎は中学校を卒業してから十五年間、何もしてなかったわけじゃあないだろう。それくらい神野光太郎の目を見ればわかる。その目は挑戦して、挫折して、打ちひしがれた目だ。そして、周囲の人間を過度に美化してしまっているせいで、卑屈になっている目だ。でもそれは挑戦してきた証拠だろう。もっと胸を張っていいことだと俺は思う。それに、俺から言わせれば、俺も神野光太郎も、他の同級生たちも大して変わらんよ。みんな同じ十五年を過ごしてきたんだ。そこに優劣は無いはずだと思っている」

 加納の熱弁をふるう姿が中学時代の彼と重なった。周囲からは冷静沈着な奴だと思われているだろうが、彼は元来、感情のコントロールが苦手な人間だ。想いを込めて話すと弁が長くなる傾向にある。そんな彼の性格が今如実に出ていることが嬉しく思えた。

 加納の言うとおり、変わらないことは罪ではない、と神野も願っていた。それは自身の否定と同義であり、挑戦の敗北を意味する。だからこそ加納の言葉に少しだけ救われた。

「ありがとうな。健坊も大事な部分は変わってなくて安心したよ」

 神野は素直に加納に感謝を告げた。しかし、加納はひらひらと手を振って、「俺は変わっちまったよ。いろんなところが、さ」とビールを口に運びながら返す。謙遜だな、と神野は思った。そして大人になった親友とこうして今も酒を酌み交わすことが出来ることを感慨深く感じた。

 思い出話にも限りが近づくと、話題は互いの近況報告となった。

「警察の仕事はどうなの? やっぱり大変か」

「漠然とした質問だが、まあいいだろう。一応忙しくさせてもらってるよ。だが、それもやり甲斐を感じているから苦には感じていない。今は捜査一課で動いている大きなヤマがあるからな。俺としても大きなチャンスだと思ってる」

「そんなの本当にあるのか」

 ドラマのような話に神野は身を乗り出していた。

「それは俺にもわからないさ」加納はかぶりを振った。「ただ、そういうところにチャンスは転がっているんじゃないか、とは思っているけど」

「なるほどねえ」神野はビールを勢いよく飲み干し、ため息を吐いた。

「神野光太郎こそ、今はどうなんだよ」

 加納は女将に瓶ビールの追加を頼み、メニュー表を眺めなから神野に尋ねる。「あ、揚げ出し豆腐追加で」

「俺は別にいいだろう」

「散々人のことを聞き散らかしておいてか? 小説は? 書いているのか」

「書いてないよ。もう何年も」

 嘘だった。まだ神野は今も尚、小説を書いてはどこかの公募に投稿を続けていた。それは一種の義務のようなもので、物語を紡いでいる最中は不安と期待が混沌とし、生きた心地がしない。それでも神野が書いている理由はただ一つ。物語が好きだからに他ならない。それに書き上げた時の高揚感を神野は知ってしまった。選考に残った時の言い知れぬ感情を覚えてしまった。自分の書いた小説を面白いと思ってくれる人がいた。それだけで、神野は書き続けられた。神野が吐いたそれは嘘と言うにはあまりにも見え透いたものだったが、「まだ書いている」という発言はこびりついて離れない錆のようなもので、決していいものではないと思っていたからだった。

「そうなのか。俺は神野光太郎の書いた小説は好きだったんだけどな」

「うるさいなあ。もう覚えてないだろう。それに世に出回ってない作品を好んだって一円の価値にもなりゃしないさ」

「価値は何も金銭のみでしか測れないものではないだろう」

「俺は金銭での価値を要求しています」

 こうやって軽口を叩いている方が気が紛れて楽に思えた。変に気を遣われて、腫れ物に障るように扱われたりするよりは、こちらも対応がしやすい。そして、そういう気遣いを決してしないのが、加納だった。

「──で、話を戻すけど、何か捜査一課と絡む事件がどうとか言っていたけど……」

 照れ隠しに無理やり加納の話へ戻そうと試みる。

 何か大きい事件についてネタが見つかれば、記事としても小説のネタとしても美味しい話だ。

「あ、ああ……それはな」

 神野の問いに対し、加納は急に歯切れが悪くなった。ただそれは致し方のないことだろう。一般人相手に話せる案件ではないだろうし、相対しているのは、ゴシップ記者の人間である。警戒するのは当たり前だ。神野もそれはわかっていたが、加納の反応を確認するためにわざと尋ねた。

「……その反応から見ると、結構大きい案件かな。てことはやっぱり、例の誘拐事件か」

「……やはり記者の目はごまかせないな」

 加納は両手を上げて観念したポーズを見せた。「神野にはその件も含めて、いろいろ聞きたいことがあってな。ここに呼んだ理由がそれなんだよ」

 加納が語ろうとする話に神野は耳を傾けた。相手に悟られないように、右手て素早くデニムのポケットを叩き、レコーダーを起動させる。

 図らずして転がり落ちてきた大きいネタに、神野は何の迷いもなく飛びついた。

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霞色の錯覚 歌野裕 @XO-RVG

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