同窓会②

「仕事は、どうだ? 今ライターをやってるんだって?」

 注がれたビールをぐいっと飲み干す。

「さすが警察官。個人情報も筒抜けだな」

「馬鹿か。さっき他の奴から聞いたんだよ」

 加納は神野の嫌味も受け流し、はははと笑った。

「なんか、雰囲気変わったか? お前、本当に健坊か?」

 神野は中学時代の加納を思い返す。中学時代の加納はもっと堅物で、あまり冗談を言わない人だったはずだ。‭小柄な体格は相変わらずだが、あれからずっと鍛えていたのだろう、筋肉の鎧でそれを覆っている。十五年の年月を経て顔つきも大人になり、あの頃では考えもつかなかった‪髭を顎に蓄えている。

「ごもっとも。いかにも俺は加納健介であり、健坊だ。仕事で遅れてしまって悪かったな。だけど、神野光太郎。お前の変わりようもなかなかだぞ。小説家の夢はどうしたんだ」

「まあ……な」

 小説家というキーワードに思わず口ごもった神野を察して、加納も深くは追及しなかった。

「まあ、人生は長い。いくらでも方向修正は可能だ」

「方向修正って……。なんだか間違った方向にいっているみたいじゃないか」

「いやいや、どれが正解なんてわからないだろう。間違ったところから正しいところだけではなくて、正しいところからより良いところへってこともある。もちろん正しいところから間違ったところってのもあるだろうけどな」

「健坊の方向修正はうまくいったようで、何よりだよ」

 神野は加納を労い、グラスを空にした。人生を謳歌している人間の言葉が今の自分に耐えられるはずもなく、アルコールで紛らわす以外の回避策が見当たらない。

「そう悲観的になるな」

 加納は神倉の肩をぽんと叩き、立ち上がった。「時間的にもそろそろお開きだろう。せっかく久しぶりに会ったんだ。この後付き合ってくれないか」

 神倉は加納の誘いに応えるべきか逡巡した。ステージ上では幹事らしき人物が「宴もたけなわですが──」と締めの句を発している。すると、同級生たちが神野の周囲へぞろぞろと集まってきた。理由は簡単だ。遅れてやってきた加納がいるからだ。

「加納、遅れてきた罰として、次も付き合えよ」

「せっかく来たんだから、この前の時みたいに警察官のエピソードとか教えてくれよ」

 加納を囲み、口々に誘い文句が告げられる。この前、というのは前回の同窓会の話だろうか。それとも自分の知らないところで行われたイベントの話だろうか。どれもこれも神野自身が二次会に誘われていないため、答えを知る術を持たない。

「悪いな」加納は、両手を合わせて、周囲の同級生たちに頭を下げた。

「俺が中学時代に、神野光太郎とよく遊んでいたのをみんなも知っているだろう? せっかく久しぶりに親友に会えたんだ。俺としては親友と二人で酒を酌み交わしたい気分なんだよ」

「でも、加納。神野は──」

「神野は、なんだ?」

 突如、鋭い口調で、同級生の言葉に被せた加納は発言した男の前へすり寄り、顔を近づけた。さすが警察官、というべきか、その雰囲気には威圧感といい、凄味があった。

「神野は、なんだ?」男に再度質問を投げるが、返答は無く、束の間の静寂が室内にどんよりと流れる。

「神野光太郎」

 鋭い口調のまま名前を呼ばれた神野は、びくんと身体が跳ねるのを感じた。腹に力を入れ、「お、おう」と声が震えないように返事をする。

「行こうぜ。興が醒める前にな」

 加納は神野を促し、店を後にした。神野もそれに続く。

「さあ、どこに行こうか。神野光太郎は何かうまい店とか知っているか?」

「全然。そんな呑みにも出掛けないし。いいよ。健……加納が行きたいとこに着いていくから」

「そうかあ、じゃあ俺が良く行くところへ行こう。駅から離れたところにあるから、ここからだと結構歩くかもしれんけど、大丈夫か?」

 頷いた神野は加納の後についていく。十分も歩けば、次第に周囲の音数は減り、人の声より二人の歩く足音の方が大きくなる。先程まで明るかった道中も街灯では灯りが暗闇に沈む。神野は加納の背中を見た。中学時代と身長は変わらず、小さく小柄なままなのに、鍛えて筋肉がついたせいか、神野自身よりも大きく感じる。警察官である加納の後を着いて歩いているだけなのに、どこか危ないに場所へ連れていかれるのではないか、と変な気分になったのは、酔っているせいだと自分に言い聞かせる。久しぶりとはいえ、中学時代の親友を悪く考えるのは、人として間違っている気がしたからだ。

「ここだ、ここ」

 目的地には同窓会の会場からおよそ二十分ほど歩いた場所にあった。周囲も閑散としているが、確かに入り口には藍色の暖簾がかかっており、これも暗闇のなかで今にも沈みそうだった。小さい入口に掛けられた暖簾には『こはる』と太い筆文字のフォントで記されている。

 周囲の喧騒が入り乱れる居酒屋ばかり経験している神野は、間接照明の暖かい光と優しく流れる琴の音色に厳かさを覚え、雰囲気に呑まれていた。

「よく来るって、あれか? かっちりした背広を着たお偉方と盃を交わす、みたいなところじゃないよな。持ち合わせもそんなに無いぞ」

 座敷に通された神野はぼそぼそと加納に耳打ちする。

「なんだそれ、ドラマの見すぎだろ」加納はかはは、と笑う。「そんなに畏まらなくていいよ。俺まで息苦しくなるから」

「でも、入ってすぐのカウンターなんて、檜の一枚板だっただろう。高級店の証拠じゃないか」

「さっき通された時、横目で見ただけで、そこまでわかったのか? すごい観察眼だなあ。流石はジャーナリストといったところか」加納は、手を叩いて感心し、神野を讃える。「でも残念だ。一枚板の檜で造られたカウンターは確かだが、それはここの女将の趣向なだけで、そんな値段も恐ろしいほど高いわけではないよ。つまり、別段高級店というわけでもなくて、ただ店があまりにもこじんまりしているから、有名でないだけの普通の居酒屋だよ」

「あら、そんな風に思っていたのね」

 気付けば、和服の女性が襖を開けてこちらに微笑んでいた。

「ああ、美奈子さん申し訳ない。悪気はないんだよ」

 美奈子さんと呼ばれた女性は小さく微笑みながら、あらそう、と言った。「小さくてこじんまりとしていても、ここは私の城で、私はここの城主ですからね」

 自らを城主と名乗る『こはる』の女将は、神野の方へ向き直ると、恭しく頭を垂れた。

「はじめまして。私、『こはる』の女将をやらせていただたいております。秋本美奈子と申します。今後ともどうぞご贔屓してくださいね」

 女将──美奈子はにっこりと微笑みながら、お通しとビールを配膳し、席を後にした。

「さあ、そろそろ本題に入ろうか」

 瓶ビールをグラスに注ぎ、加納は神野に差し出す。

「──十五年ぶりの再会に乾杯」

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