一章【同窓会】

同窓会① ニ〇一八年八月十一日

 人生というのはこうも不平等極まりないものなのか。

 神野はグラスに入った温いビールを口に運びながら、目の前で展開される喧騒をただぼんやりと眺めていた。何も見るものがないテレビ番組をただ垂れ流しているだけの感覚に近い。家にいるか、居酒屋にいるか。場所の違いこそあれど、それ以外は何一つ変わらない。

 強いて言うなれば、手にしているのはいつも飲んでいる安い発泡酒などではなく、生ビールであること。そして目の前の喧騒を演じている役者風情たちは、自分の見知った人物たちであるということ。

 彼らは神野の中学校時代の同級生であり、今日はその同窓会なる宴会が開かれていた。会場は駅から三分も歩けば辿り着く居酒屋ではあったが、店員に案内された宴会席は予想以上に広く、合宿などのご飯を食べる大部屋を彷彿とさせた。そこでは神野もまた演者の一人として参加しているわけである。

 神野はちびちびとグラスを傾けるが、決してビールを空にしようとはしなかった。テーブルの上に運ばれてきた料理は目の前に散らばっているが、彼の周囲には同級生が一人もいなかった。

 神野が座っている席は宴会席上の一番端である。畳の席上には十席のテーブルが敷かれ、奥には一段上がったフローリング調のステージが広がっている。同級生の大半はそこで盛り上がっていた。彼はその輪に入ることができず、同級生たちが楽しんでいるのを見ているだけだった。神野は中学のとき、こんなに引っ込み思案だっただろうか、と神野は思い返すが、分かったのは十五年の時を経て、変わりゆく同級生たちを他所に、外見だけ歳を喰い、その変化に対応できていない自分のみすぼらしさだ。だからこうして同級生たちを観察するだけの時間を過ごし、座敷童のごとくぽつんとただいるだけの状態をずっと演じている。いや、座敷童ならまだいいだろう。座敷童は、見たものに幸運をもたらすが、神野自身は何ももたらさない。

 なんでこんなところに来てしまったのだろう。そんな遅すぎる後悔に苛まれるが、反省点はそこにある。


◆◇◆◇


 今年で三十歳になる神野に同窓会の報せが届いたのは二ヶ月ほど前のことだった。こういう会を開催するのに尽力する者はどこのクラスにも一人はいるようで、三年から五年周期で律義に開催してくれているわけだが、神野は過去三回全て参加を見送っていた。中学時代の友人たちに再会するときは、自分が成功者であると心に決めていたことが、最初に断った理由だったと記憶している。最初の開催は十八歳の時だったから、大抵の人は高校で新しい人間関係を築いており、僕も例外ではなかった。それに中学時代に仲の良かった友人とは連絡を取り合っていたので、わざわざ高い金を払ってまで、自分と関わりの薄い同級生たちに会いに行く必要性を感じなかった。

 しかし、それはただの逃げだったと今では思う。ただ怖かったのだ。変わりゆく友人たちが眩しくて、薄暗い底から這い上がれず、もがいている自分が滑稽に思えるからだ。


『現実もちゃんと見れないで、夢や希望なんて語れるかよ。現実も見ずに見る夢はただの夢想だぞ。想像に道は繋がっていない』


 中学時代に健坊こと加納健介が発した言葉だ。それが今の神野の脳裏にこびりついて離れない。

 神野は自分が小説家になることを信じて疑わなかった。中学時代から小説を書き続け、様々な‌新人賞へ投稿を続けた。投稿した小説が一度だけ賞の最終選考に残ったのも、己惚れるには充分なハプニングだった。しかし、その最終選考に残ったのを最後に、あとは箸にも棒にも掛からぬ結果が続き、今にまで至る。

 これならいける、絶対に賞を獲れる。

 これならいける、きっと賞を獲れるだろう。

 これならいける、最終選考には残ってくれるだろう。

 これならいける、一次選考で落とされることはないはずだ。

 こうやって次第に自分の志が低くなっていることには目を背け、それでも自分が小説家になることを信じて疑わない、矛盾の気持ち悪さを抱えながらずっと生きていた。

 僕の書いた小説がウケないのはたまたまだ。きっと一度世に出れば、一気に売れる。それを編集者がわかっていないだけだ。

 無謀な論理展開だということは心の奥底に仕舞い込んだ。

 親は当然のように反対したが、それに対して逃げるように東京の大学の文学部に入学したことで、四年間の猶予は貰えた。しかし、小説家の狭き門をくぐるには四年の年月はあまりにも短かった。大学で結果を残せなかった神野は、それでも東京に残り、一心不乱に小説を書き続けた。ここで地元に戻ったら負けな気がした。何と勝負していたわけでもないのに。

 だけどそれももう限界だった。小説を書く時間を確保するため、アルバイトなども極力せずに、親の仕送りに頼っていたが、それも二十五歳のときに打ち切られた。もう一文無しとなり、神野は小説家になることをいったん保留し、働かざるを得なかった。小さな雑誌出版社からライターとしての仕事を貰い、その記事を書く。小説とは違い、空想ではなく、現実を書くことが求められるが、もちろんそれだけではなかった。現実の方が面白ければ現実を記述し、現実が面白くなければ、少しばかりの脚色を加えることも多々あった。多々あったというより、ほとんどだった。それがこの会社が生きていくために必要な事項だ、と所長は口癖のように熱弁をふるっていた。神野は曲がりなりにも小説を書き続けてきた甲斐もあって、ライターとしての仕事はそれなりにあった。だから生活に困ることはなかったが、代わりに小説を書く時間はめっきりと無くなった。

 神野は四回目の同窓会開催通知を見たとき、これまでの自分の人生が走馬灯のようにフラッシュバックで蘇える。実に醜く、内容の薄い短編小説のような人生だったが、健坊やみっちゃんはどうしているだろうか、とふと気になった。健坊とは以前はよく連絡を取り合っていたが、彼も有言実行で警察官となり、忙しくなったところで連絡もしなくなってしまった。みっちゃんも言わずもがなだ。だが彼らも含め、もう三十歳となる。この同窓会を機にまた馬鹿話で盛り上がれたらいいなあ、と呑気に考え、参加に丸を書き、ポストへ投函する準備をした。


◆◇◆◇


 蓋を開けてみれば、なんて浅はかな考えだったのだろうと後悔が荒波のように押し寄せてくる。同窓会の会場の居酒屋は駅から降りてすぐの場所にあった。居酒屋に入った神野は二人を探したが、どうやらまだ来ていないらしかった。そもそももう久しく連絡を取っていないのだ。同窓会に来るのかどうかも定かではなかったはずなのに、初めから来ると思い込む方がどうかしている。周囲の同級生たちは、最初こそ久しぶりだなあ、と声を掛けることもあったが、彼らの多くはすでに家庭を持ち、早い奴らは二人の子供までこさえていた。そして神野がライターをやっていることや、仕事の内容を聞くと、少し侮蔑の表情を浮かべながら、少しずつ距離を置いていった。

 そうして今の構図が出来上がった。神野はステージの方へ視線を送る。考えてみれば、なるべくしてなった構図なのだから、後悔とか反省とかいえる立場には無いはずだ。それでももっと上手く立ち回れたら、きっと今頃はステージ上でバカ騒ぎの一つでもできたことだろう。そう思えて止まない。

 そんなことを考えていると、隣にどかっと誰かが座った。ステージに集中していたのと、思い出に耽っていたので、びくりと身体が強張る。

「おいおい、そんな隅っこで呑むようなキャラじゃないだろうに。もっとうまく立ち回らんと取り残されるぞ、神野光太郎」

 隣に座った男は快活に笑いながら、神野のグラスにビールを注いだ。友人に対しても必ずフルネームで呼ぶ人物を神野は一人しか知らない。

「……健坊か」

「正解。久しぶりだな、神野光太郎」

 健坊こと、加納健介は神野に右手を差し伸べた。神野もそれに応え、右手を差し出す。握手を交わし、ビールの注がれたグラスを重ねる。こつんと乾いた音が耳の奥でいつまでも響いていた。

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