第5話 練習が進まない!

 その後の波野は突然抱きついてきたりはしなかったけど、今朝あいさつをしたときのように少しツンケンしていた。原因はよくわからないまま。

 そのまま放課後を迎え、出演する生徒は教室に残って劇の練習をすることになった。


「じゃあ最初の私と梨子のシーンからやってみよっか」

 

 しきっているのは平島だ。波野は緊張気味にその隣に立ち……ちらちらとこちらを見てくる。やっぱり様子がおかしい。


「えー、最初のシーンは主人公と相手役が木の前で……」

 

 俺たちが演じる劇のあらすじはこうだ。

 ある国に、王位の継承順位の低いお姫様がいた。お姫様が生まれた国は西隣の国と戦争をしているが劣勢が続いており、このままでは侵略を許してしまう。

 一方、北には友好関係を築いている強国があるのだが、この国の第1王子がその姫を大層気に入っているという。第1王子と姫との婚姻を条件に同盟を結ぶのであれば、西の隣国との戦争に加勢するという提案を北の強国がしてくる。

 しかし姫には、密かに思いを寄せる平民の出の男がいるのだった。しかし兄を戦争で亡くした男は終戦を強く願う一方で、西の国への怒りをつのらせており出兵に志願するか迷っている。姫は男への思いを取るか、男の願いの実現と出兵阻止のために王子に嫁ぐか、難しい選択を迫られる。

 やがて、男の親友であった男までもが戦死し、怒り狂った男は出兵を決断する。姫もそれを阻止するべく覚悟を決め、男に思いを告げた上で王子のもとへ嫁ぐと話す。冷静さを欠く男は、姫に犠牲を強いる現状にも怒りをつのらせ、自分が戦争を終わらせると豪語しその日のうちに戦地に赴く。

 一刻も早く戦争を止めるべく王子との婚姻に応じる旨通告し、北の国はそれに呼応して速やかに戦線に兵を投入した。戦争はすぐに姫の国の勝利により終結を見たが、姫は戦死した男の遺体と対面することになる。身寄りのない男の遺体は姫と逢瀬を重ねた木の下に埋葬され、嘆き悲しんだ姫婚約指輪を埋めると、北の国へと発つのだった。


「ちょっと、木」


 ちなみに波野は普通に女として主人公を、平島は男として相手役を演じそれぞれ「姫」と「男」ということになった。


「ねえ、木ってば」

「ああ、ごめん。俺か」

 

 さっきから遠くに聞こえていた平島の声が、俺を呼んでいたものであることに気づいて顔を上げる。


「木って言ってるでしょ」

「いや、一文字だと反応しづらくて」

「何よ、じゃあ『木くん』とでも呼ぶ?」

「『貴君』みたいで仰々しいな」

「『木さん』は?」

「『貴様』の方言みたいだな」

「ミスター・ウッド」

「普通の人名になった」

「あだ名はウッディね」

「フレンドリーかよ」


 なんかテンポのいいかけ合いになってしまった。

 もしかすると俺と平島は仲がいいのかもしれない。

 まあ平島は波野と仲がいいわけだから、知り合いの親友ということで友だちの友だちくらいの距離感にはなるのか。

 そんな事を考えていると、視界の隅に波野がこちらをじっと見つめているのが映った。よくわからないけど、何か落ち着かないような様子に見えるけどどうかしたんだろうか。

 同じタイミングで平島もそれに気づく。

 

「ごっ、ごめんごめん。そんなつもりじゃ」


 禁忌に触れたことを見咎められたように、両手を挙げながら1歩、2歩と後退りする。俺はいわくつきの財宝か何かか。

 波野もよく意味がわからなかったようで首を傾げたが、ややあって何かに気づいたように目を見開く。

 

「そ、そういうのやめてって。そんな関係じゃないんだから変な気遣わないでよ」


 そう言って慌てたように両手と首を振った。

 平島が真顔で頬をかきつつ波野の顔色を窺う。

 

「え、でも川を流されていく子犬を見つめるみたいな目で見てたし……」

「そ、そんな目してないよ!」


 ……どっちだ? どっちが子犬なんだ?

 いや、どう考えても俺は子犬って柄じゃないけど、波野が子犬だとしたらさっき平島の謝罪はなんだ? 

 川を流される子犬は、自分の過ちを悔いて謝らなきゃいけないってことか? なんて無慈悲な世界なんだ……。

 などと世界中の子犬たちの運命に思いを馳せていると、波野が不意にぶるぶると首を横に振った。それこそ子犬のように。

 

「そ、そうじゃなくて、えっと……」


 何か考え込むような仕草を見せてから、コホンと咳払いを1つ。


「わ、私はそもそも、別にナギくんのことなんて気にしてもいないし」


 そして明後日の方角を向きながら、つっけんどんな物言いでそんなことを言ってくる。

 ……え、なんで俺いきなり無関心を宣言されてるの?


「り、梨子……一体、何が……」


 平島はそうつぶやいて一瞬目をパチクリさせたあと、すぐに俺を鋭くにらんだ。

 

「本当、あんた何したの!?」


 ……なんでさっきから2人揃って俺への風当たりが強いの? 木だから? 気は風に吹かれてなんぼなの?


「波野相手に限らず何もしてない」


 逆に考えてみてほしい。俺に何か、プラスであれマイナスであれ、他人の心を動かすほどの何かができるような、行動力があると思うのか。

 俺は黙って、ただ目でそう訴えかける。

 

「…………」

 

 平島は一拍おいてから、ゆっくりと哀れむようにうなずいた。

 うまく伝わったらしい。俺たちやっぱり仲よしなのでは?

 ……ん? 仲よし? この流れ、さっきもなかったか?

 

「――――?」

「――――っ」


 俺たちはやはり同時にそれに気が付き、平島が恐る恐る視線をやるのにつられて俺もゆっくりと顔をそちらにむけた。

 波野が慌てて目をそらした。

 

「あー……」


 それを見た平島は自分の額を叩き、痛恨の極みという感じの、梅干しのようにしわまみれの顔になって深々と頭を下げる。

 

「誠に申し訳ございませんでした……」

「本当に気になんかしてないんだってば!」


 波野は目を合わせずにそう言ってパタパタと高速で手を振る。

 平島はさっき俺に向けたのと同じような達観した顔を波野に向けて、自分と波野の両方を諌めるように2度うなずいた。

 

「わかった。話はそのうち聞かせてもらうとして、今はとりあえず練習を始めましょう。そうすれば私も2度と誤ちは犯さない」


 そういう平島は今にも切腹しそうだった。

 ……しかし、本当に波野はどうしたんだろう。

 俺を避けてるのかと思ったら急に「お兄ちゃん」とか言いながら抱きついてきて、そしたら今度はまたこうして突き放される。

 嫌われたなら嫌われたでちゃんと距離を置くべきだと思うし、その辺ははっきりさせてほしいところなんだけど。

 

「はい、じゃあウッディそこに立ってて」


 机を教室後方に寄せてできた黒板前のスペース。その教卓の前を指さして平島が言う。……っていうか本当にウッディでいくのか。

 指示された通りの位置に立ってみるが、直立しているとどうにも手持ち無沙汰だ。これじゃあ木というより柱だ。


「なんか手とか動かした方がいいか?」


 両腕を右に向け、ひらひらと波打たせながら言う。平島が眉間にしわを寄せてにらんでくる。

 

「それじゃフラダンスよ」

「……風になびく柳のイメージだったんだけど」

 

 さすがにクライマックスの悲嘆に暮れる姫の後ろでアロハオエーはまずい。バカンス気分で悲壮感が台無しだ。

 

「本番では演劇部から大道具借りられるらしいから今は突っ立ってて」


 俺が黙ってうなずくと平島は台本を持った波野を誘導し、俺の前に立たせた。自分は教室のドアの方まで下がり、咳払いをした。

 

「じゃあ行くよ」


 平島はそう言うと小走りで波野のもとに近寄っていき、波野の前で片膝をついた。

 

「お待たせいたしまして申し訳ございません、姫様」

「たまたま近くに用事があって早くついただけです。あなたを待ってなんていませんよ」


 つれない言い方で言い放つ波野。平島はまばたきを繰り返してから台本に目を落とした。

 俺も台本を開いてみる。元の台詞は「あなたを待つ時間は決して長くなどありません。なぜなら、私のまぶたにはいつもあなたがいるのですから」だった。

 ……いきなり大胆に変えてきたな。

 

「さ、左様でございますか」


 平島は苦笑いでうなずくと、立ち上がって両腕を大きく広げた。そして清々しい笑顔を浮かべて言う。


「私は、私と姫様を隔てるこの道を果てしなく長く感じました。早くお会いしたいという気持ちのはやりが、足の速さを何倍も上回るのです」


 しかし今度は一転して表情を曇らせる。

 

「それほどまでに気持ちがはやるのには理由があるのです。それはつまり、この景色がすべて私の空想の産物なのではないかという不安です。姫様、ご無礼を承知でお聞かせいただけないでしょうか」


 そして平島は波野に真っすぐ向き合うと、真剣な顔つきになる。

 

「本当に、私などを愛しておいでなのですか? この実直以外に取り柄のない平民を、単なる鍛冶屋の息子を、高貴にして容姿端麗なる貴方様は、まことに愛してくださるのですか?」

 

 平島の台詞は台本通りだったが、真に迫る熱演だった。

 続く波野の台詞は、台本通りなら「はい。この木よりも高く――いえ、あの山よりも高く――いいえ、いいえ、あの空よりもはるか高く積もる愛が、私の胸を満たしているのです」となる。

 果たして波野は――。

 

「――べ、別にあなたのことなんて好きじゃないわ」


 平島とは目も合わせず、波野はそう言った。

 

「…………」

「…………」


 俺も平島も、後ろの方に下がっている他の出演陣も、「おいおいどうすんだこれ」という顔で黙っていた。

 そして平島が鋭く俺をにらみつけた。いや、なんで俺。

 

「そ、そっかー。そうでしたかー」

 

 ほとんど素に戻った平島が、引きつった笑顔で何度もうなずきながら言う。そのまますり足で後退りしていき、ドア付近まで下がる。

 

「いい夢を見ることができました。私はこの思い出を胸に、父を継いで立派な鍛冶職人になってみせます。それではどうか、お元気で――」


 深々と頭を下げながらそういうと、ドアを開けて退場する。

 

「あっ……」

 

 波野はそんな声を上げて手を伸ばす。

 いや、「あっ」はこっちの台詞だよ。もう台本なんてまったく関係なくなっちゃってるぞ。本当にどうすんだこれ。

 姫が男のことは別に好きじゃなくて、男も普通に身を引く。これじゃあ話を進めようがない。姫は躊躇なく結婚できるし、男も心置きなく戦地に行ける。何も起きずに幕引きだ。ジ・エンド。

 ……ん? ちょっと待てよ。こういうときこそ、舞台と観客をつなぐ木によるナレーションの出番なんじゃないのか? 

 ――状況を収拾し、適当にまとめて締める。

 俺は慌てて咳払いをすると、なんとかして劇をまとめにかかる。 

 

「か、かくして、姫はあっさりと男を振り男も潔く諦めたため、それ以降特に何事が起きることもなく、姫はためらわずに北の国に嫁いで戦争を終わらせたのでした。めでたしめでた……し?」


 見ていた他の出演者……というか、出演するはずだったけどたった今出番を失ったやつらから戸惑い混じりのまばらな拍手が湧く。

 

「めでたいわけないでしょうが!」


 ピシャッとドアを開けながら言い放ったのはもちろん平島。難しい顔をして、その場に棒立ちする波野に歩み寄っていく。

 

「……本当に大丈夫? どうしちゃったの、ねえ」

「え、えっと……」

 

 波野がうなりながらうつむく。やがて観念したように顔をあげると「耳貸して」という風にに平島を手招きし、何事かをひそひそとささやく。

 

「あー、あー……そういうこと。それはまた面倒くさいことを……」

「め、面倒くさい……」


 波野が複雑な顔でつぶやくと、平島は大きくうなずいた。


「そうだよ、面倒くさい。でもまあその気持ちと努力は買ってあげたいから私も協力する」

「本当に?」

「まあちょっと台詞考える必要はあるから今すぐには無理だけど。先生のチェック火曜日だっけ? なるべく早くしないとね」


 どうやら平島は波野が何を考えているのか理解したらしい。波野が平島の耳元から離れてからの会話だけじゃ何もわからないな。

 

「なあ、何がどうしたんだ?」


 俺が波野と平島を交互に見ながら問うと、波野は目をそらし、平島は盛大に舌打ちして俺をにらみつけた。

 

「全部あんたが悪い。以上」

「えー……」

 

 そうなんだろうとは思うんだよ。問題はその内容だ。しかし波野も平島も、そこまで話してくれる気配は微塵もない。

 俺は思わず頬を引きつらせることしかできなかった。

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