第6話 映画デート

 その日の練習は他の出演陣が一通り最初の出番のシーンを少し演じ終えたところでお開きとなった。

 波野のも平島も、何を考えてるのかわからなすぎて疲れた……。

 

「明日、映画見に行かない?」


 帰り支度している女子グループが、ドア付近に集まってそんな話をしていた。波野と平島もその中に混じっている。

 明日は土曜日。近場に娯楽施設はそう多くないが、近所のショッピングモールには映画館が入っている。映画鑑賞はこの学校の生徒の休日の過ごし方の定番だ。

 

「あ、私アレみたい、アレ」

「いや、どれよ」

「アレ、アレってうちのおばあちゃんみたいだよ?」

「えっ、ひどくない!?」


 そんなやり取りに続いて賑やかな笑い声が上がる。

 せっかくの休日に休まず遊びに行くなんてとんでもない。それじゃあ遊日じゃないか。

 休日っていうのは可能な限りベッドから出ずに漫画とゲームとネットで時間を潰すもの。つまり、ニュートラルに過ごすものだということである。

 俺は元気な女子高生たちに心の中で苦言を呈しながら、その横を通り過ぎようとする。

 

「おつかれ」

 

 すれ違いざま、女子の誰かの可愛らしいくしゃみの音を聞きながら、律儀にもあいさつを残して教室を出ようとした。

 しかし、その寸前で不意に背後から肩をつかまれて立ち止まった。


「あ、待ってお兄ちゃん」


 そんな幼なじみの声が耳に届いた瞬間、俺は猛烈に逃走したくなった。

 錆びた機械のようなぎこちなさで首を振り向かせると、満面の笑みの波野と、その後ろで真顔になる女子立ちが目に映った。

 

「俺はお前のお兄ちゃんじゃないけど、どうした?」

「何言ってるの? お兄ちゃんはお兄ちゃんだよー」


 そう言ってあどけない笑みをこぼす。こう、なんというかものすごく無下に扱いにくい雰囲気が全身から発せられている気がする。

 

「それで……用はなんだ?」

「あ、お兄ちゃんも一緒に映画どうかなと思って」


 背景に陳列されていた真顔が、疑問と驚きで一斉に眉を上げた。

 俺はこのどこから突っ込んでいいのかわからない状況に、思わず額に手をやった。そして眉間に寄っていたしわを指で無理やり伸ばす。

 ……からかわれてるのか、それとも波野が何か罰ゲームをやらされてるのか。

 いずれにせよ助け舟は期待できず、俺には真面目に答える以外の選択肢はなさそうだった。

 

「いや、女子で行くって話に男子が……しかも俺が入ったらどう考えたって邪魔でしかないだろ」


 もしくは終始完全に無視されるだけか。そういうので精神的ダメージを受けたりはしないけど、時間を無駄にして疲れるのは嫌だ。


「そんなことないよー。ね?」

 

 波野が後ろの女子連中の方を見て同意を求める。呆気にとられていた女子連中は、我に返ったように目を見開き、お互いに顔を見合わせる。

 そして、視線は最終的に平島に集められた。平島は1つうなずくと、全員の意見を代表するように口を開いた。

 

「この場合、邪魔なのは私たちなのでは……?」


 他の女子たちが一斉にうんうん、とうなずく。

 

「せっかく梨子が勇気を出してるんだから、ねえ?」

「いや、勇気を出したというより正気を失ってる感じだけど」

「それでもあの梨子が自分からデートに誘ってるのは事実だし」


 女子たちはしきりにうなずきながら口々にそんなことを言う。

 ……いや、デートってなんだ。

 こちとら今日はずっと避けられっぱなしだぞ。路地裏に連れ込まれてリンチで憂さ晴らしかもしれないじゃないか。

 

「というわけで、柳屋・波野映画デート法案は賛成多数により可決となりました。頑張れ、梨子!」


 平島はそう言って親指を立てると、他の女子たちをゾロゾロと引き連れて教室を出ていった。


「え、えっ……?」


 突然取り残された波野は戸惑いの表情で、女子たちの後ろ姿と俺の顔を見比べた。俺は何か言おうと考えるのだが、残念ながら適切な言葉が見つからなかった。

 女子陣の姿が見えなくなると、波野は俺の顔をじっと見上げて小首をかしげる。

 

「お兄ちゃんは……私と2人でもいい?」

「……いいよ。行く。行きますよ」


 さすがの俺でもわかる。ここで突っぱねて波野が向こうに再合流することになると、あとで俺が酷い目に遭う。

 あいつらはなぜか波野が俺に厚意ではなく好意を寄せていると勘違いしているので、波野を邪険に扱うと、死罪もやむなしみたいな勢いで襲いかかってくる。

 ……まあ、嫌われてないんであればたまには波野と映画に行くのも悪くはないか。

 

 

 そして翌日、俺は約束通り昼過ぎにショッピングモールにやってきていた。入ってすぐの休憩スペースが待ち合わせ場所。

 波野は先に来て、椅子のところで座ったり立ったりを繰り返していた。

 

「ごめん、待たせた?」

「――ほ、本屋に寄るために早く来ただけだから待ってないよ」


 波野はあらかじめ準備していたかのように、かぶせ気味にそう答えた。

 ……なんかつい昨日同じような台詞を……文字通り「台詞」を聞いた気がするんだけど。

 

「……っていうか、本当に約束したのかどうか記憶に自信なかったし、来ないことも覚悟してたからもし待たされてても全然大丈夫」

「……来ない方がよかったか?」


 実際様子はおかしかったし、やっぱり罰ゲームとか、何か不本意な流れで俺を誘うは目になったじゃないのか。

 

「そ、そんなことな――いわけではないんだからね!」


 ん? 「ないわけではない」……ってことは、来ない方がよかったってことか。

 

「そうか。じゃあ今からでも連絡して女子のところに合流した方がいいだろ」


 と、俺は自分の携帯電話を取り出す。そしてロック画面を解除したところでフリーズした。俺が。

 

「…………」


 ――俺が女子の連絡先なんて知ってるわけあるか!

 俺は何事もなかったかのように携帯電話をポケットに滑り込ませ、電話するようジェスチャーで波野に示す。

 波野は視線を下に落として頬をかいた。

 

「あ、あー、いや、ないわけではないわけでもない気もする、というかなんというか……」

「うん? 結局どっちなんだ?」

「え、ええと……」


 波野は難しい顔で腕を組んで、うなりながら考え込む。

 そうしていること約30秒。ようやく何かひらめいたという風にポンと手を叩いた。


「ほ、ほら、わざわざここまで来てもらったのに、今から追い返すのっていうのもひどいしさ。私も映画見たいから一緒に見ようよ」


 よく意味のわからない身振り手振りを交えながら、早口でそんなことを言う波野。


「いや、自転車で10分だしそれは気にしなくていいって。それよりは波野に嫌な思いさせる方が断然嫌だぞ、俺は」

「な、ナギくん……」


 波野はつぶやいて一瞬、ほんの少しだけ破顔したものの、すぐにぶんぶんと首を振ってそれをしまいこんだ。

 今日もまた情緒不安定だな……。

  

「わかった。じゃあ嫌じゃないかだけ聞かせてくれ」

「い、嫌なんかじゃないよ。……ど、どうしても一緒がいいとは言わないけどね」

「それならいい」


 俺がうなずくと、波野はホッと息をついた。

 何がしたいのかさっぱりわからないけど、積極的に行きたいわけではないものの一緒に行かないと行けない理由があるんだろう。

 なんか事情があるなら話してくれれば普通に協力するんだけどな。一応世話になってるわけだし、多少のことなら助力はしたい。

 ちゃんと返さないとニュートラルにならない。今もそうだけど、基本的に波野に対してだけ態度が協力的なのは、日頃気を遣わせている負い目があるからだ。

 まあ、とりあえずは映画を見に行こう。

 

 

「この『私の好きな彼には彼氏がいました』ってやつでいいのか?」


 チケットの販売所で、上映スケジュールを見ながら聞く。

 見る映画の話だ。もともとそれを見ることにしていてその上映の時間に合わせて来たわけだけど、別に他のにしたければ他のでもいい。

 聞かれた等の波野は難しい顔で悩んでいたけど、やがて何か覚悟を決めたように力強くうなずいた。

 

「……やっぱり『ドッグ・ゴースト・クライシス』でもいいかな?」

「いいけど、ホラーだぞ? 大丈夫か?」

「大丈夫! 今までの私とは違うんだってところ見せてあげるから」


 昔から一貫して、波野はホラーやらスリラーやらスプラッターはまったく駄目なやつだ。なんで今までと違う自分を見せたいのかはわからないけど、そう意気込むのであれば水を差す必要もないか。

 そういうわけで、俺と波野はチケットを購入して中に入った。

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