第3話 個性を生かした演劇?

「まだ中は見ないでくださいねー」


 文化祭の出し物である演劇の役を決めるためのくじの入った箱が回されている教室に、担任の若い男性教師の元気な声が響く。

 一度は立候補制で決めようとしたものの、出演、裏方共に決まらない役の方が圧倒的に多かったため、決まっていない役はくじ引きで決めることになったのだ。

 俺は何をするでもなく、くじ箱のリレーをぼーっとながめていた。


「ナギくんはどの役やりたい?」


 隣の席の波野梨子が声をかけてくる。

 波野は小学校に入る前からの付き合いだ。そのせいか、俺が孤立しないように気を遣ってこうしてよく話しかけてくれている。

 波野は、ときどき俺に構いすぎて友だちとの会話や付き合いをおろそかにしてしまうほどには筋金入りの世話焼きだ。

 以前一度、俺のことは気にしないよう言ってみたことがある。

 ――孤立を苦にしているのならありがたく厚意として頂戴するけど、実際は別にそういうわけでもない。だからもっと大切な友だちとの付き合いの方を大切にした方がいい。

 そんなことを慎重に言葉を選んで伝えたものの、波野はなぜか涙目になってしまって、それ以上は何も言えなかった。

 うざがってると誤解されないように、普段俺としては特盛をさらに特盛にするくらい言葉を重ねたはずなんだけど。


「裏方ならなんでも。最悪出るならまあ……木かな」


 時間の限られた劇なので、どうしてもナレーションで展開を進める必要が出てくる部分がある。木はときに舞台の上で、それ以外では声だけで、観客と舞台をつなぐナレーションの役割を担う。

 演技をする必要もないし、出演陣の中では圧倒的に楽だ。


「じゃあ私が木のくじ引いたらこっそり交換してあげるね」

「ありがとう」

 

 俺がうなずくと、波野はにっこりと破顔した。

 

 

 体内に腕を突っ込まれ続け、すべてを吐き出させられた哀れなくじ箱が担任のもとに帰っていく。


「みなさんもう台本は最後まで読みましたか?」


 担任が教壇の上で話し始める。


「配ったときに説明した通り、この劇は自由な劇です。配役に男女の別はありません。男子が女性として振る舞ってもいいですし、その逆も当然ありです。くじで決める以上、主人公と相手役を演じる人が現実には同性である可能性もあります。その場合でも、どちらかが異性役をやらなくではいけないわけではありません。性別を始めとしてあらゆる点で、自由に自分自身を表現してみてください」

 

 俺は手元の紙にある『木』の文字を見て安堵の息をつく。

 教室の反応は八割方困惑といったところ。

 張り切って脚本を書いてきてくれた先生には悪いけど、正直言って面倒くさい。俺はいつも通り、手は抜かないけど頑張りもしない方向で。


「ちょっと柳屋」

 

 隣から今度は少し険のある感じの声が飛んでくる。

 見ればいつの間にか波野の前の席の平島が、波野と席を入れ替えていた。


「何?」

 

 平島は担任の目を気にしながら椅子をひきずって、俺のすぐ近くまで寄ってくる。


「これ、売ってあげようか」


 そう言って見せてきたのは、主人公の相手役のくじ。


「100円。どう?」

「いらない」


 俺が即答すると平島は眉間にしわを寄せた。


「絶対得だよ。私を信じて」

「断る」

「……わかった。じゃあただでいいから」

「そんなに面倒くさがるなって。先生かわいそうだろ」

「違う。面倒くさがってるわけじゃなくて梨子……」


 平島が何かをいいかけて言いよどむ。気を取り直すように咳払いをはさむ。


「とにかく、お願いだから代わって」

「嫌だ。俺は木だ。誰がなんと言おうと俺は木だ」

「――平島さん、柳屋くん」

 

 押し問答をしているうちに先生に注意されてしまった。

 平島は苦虫をかみつぶしたような顔で、波野の椅子をその場に放置して自分の席に戻る。入れ替わりに平島の席を立った波野が、自分の椅子を取りにこちらに寄ってくる。


「なんの話してたの?」

「主人公の相手役を代われ、と」


 俺が説明すると、波野は苦笑いして頬をかいた。


「あー、そういう……。ごめんね」

「なんで波野が謝る」

「あ、うん、そうだよね」


 波野はそう言うと、引きつった笑顔のまま自分の席に椅子と一緒に戻っていく。着席すると、前に座る平島を軽く小突いた。

 振り返った平島は知らん顔で肩をすくめた。

 ……女子の考えてることはよくわからない。

 いや、別に男子の考えてることならわかるってわけでもないんだけど。


「台本に書いてある台詞も絶対ではありません。自分が、こう演じると決めた人物像に沿って台詞の言い方は変えてください。みんなで話し合った上で、展開自体を変えてもいいと思います。みんなで協力してよりよい劇を作りましょう」

 

 担任は相変わらず劇について力説していた。


「特に主人公役の人には頑張ってもらうことになります。前回説明した通り、台本では最後のシーンの台詞をまるごと空白にしてあります。その部分は主人公役の人に考えてもらいます。自分にしか語れない言葉、個性で劇を締めくくってください。来週火曜日の放課後に一度、どんな台詞を考えてるか聞かせてもらうので、主人公役の人はそのつもりでいてください」


 本当、主人公役になったやつは大変だな。お見舞い申し上げる。

 一度うなずいて間をとった先生が教室中を見渡す。


「それでは、誰がどの役になったか確認していくので、役を言ったら該当者は手を上げてください。それではまず、主人公から」


 一瞬の静寂のあと、おずおずと手を挙げたのは波野だった。

 教室のあちこちで、主に男子の口から「おお……」という声が上がる。

 俺はその辺りの話題には疎いのでよくわからないが、確か波野は男子に結構人気があるらしい。


「はい、波野さんね。じゃあ次は相手役――」

「――はいはいはぁいっ!!」


 魚河岸のように威勢のいい名乗りの声が飛び交うと同時、教室に男の腕がにょきにょきと生えてきた。

 そして手を挙げた男子たちは「俺だ」、「お前じゃないだろ」だとか言って互いに罵り合いを始める。

 ……うん、きっと先生の字が汚すぎて勘違いが続出したんだな。そうに違いない。


「ざまあみろ馬鹿男子ども! 梨子は私のものだ! バーカ、バーカ!」


 そんな中、平島が席を立ち、勝ち誇るようにくじを掲げて言った。

 バカって言った方がバカ、とはよく言ったものだ。まあ今回は言った方も言われた方も馬鹿なんだけど。

 波野は自分をめぐり骨肉の争いが繰り広げられている現状に、顔を赤くしてうつむいていた。

 ……波野はこういう状況苦手だよな。


「――先生」


 俺は手を挙げて先生を呼んだ。教室の一部の注意が俺に集まり、喧騒が少し和らぐ。


「柳屋くん、どうしました?」


 困ったように状況を静観していた先生が真面目な顔でこちらを向く。俺は椅子から立ち上がりながら、数学の質問でもするような真面目な声音で言った。


「うんこしてきていいですか」


 瞬間、何人かが吹き出した。

 手を挙げていた連中の一部も頬を緩めて笑いをこらえていた。

 やったぜ。これで教室の注目は俺の独り占めだ。

 ……なんもうれしくないわ、アホ。


「ど、どうぞ。お腹が痛いようなら保健室でもいいですよ」

「大丈夫です。劇の話続けてください。あ、俺は木でした」


 くじを見せながらそれだけ言い残し、俺は視線を一身に集めながら教室を出た。

 

 

 その日の夜、飲み物を買いに出た俺は、謎の自動販売機から出てきた小瓶をもって帰宅していた。


「氷美菜、いつものとこって自販機いくつあったっけ?」


 行く前と変わらずゲーム中の妹様に、ミルクティーを献上しながら聞いてみる。


「1つ。なんで?」

「だよな。いや、今行ってみたら隣になんか変な自販機があってさ」

「そうなんだ」


 ……って、氷美菜に聞いてもしょうがないわな。妹があの怪しげな自販機について精通していたらそれはそれで嫌だ。

 俺は自分のコーラだけを持って、2階にある自室に上がった。

 部屋に入ると机の上に小瓶をおいて、ドカッと椅子に腰を下ろす。


「どうするかなぁ……」


 バラエティ番組の撮影だと思いこんでいたから何気なく扱ってしまったけど、もしかすると危険物の可能性もある。

 普通に揺らして歩いてきてしまったけど何も起きてないから、ちょっとした衝撃で爆発するような代物ではなさそうだけど……。

 明るい部屋で中を透かして見てみる。


「やっぱり空だよな」


 さっきは街灯の灯りしかなくて確信が持てなかったけど、部屋の中で見てもやっぱり中には何も入っていなかった。

 自販機から出てくるんだから当然飲み物や液体が入ってるものだと思っていたけど、違ったようだ。

 とはいえ、何か危険なガスか何かである可能性も否定はしきれない。

 すぐにでも捨てたいけど、本当に危険なものならそれはそれでおいそれと外に放り出してしまうわけにもいかないよな。

 ……とりあえずとっておくしかないか。 

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