第43話
「ライスター様、エナ様がお越しです」
ビアンカのその声と共に、応接室へと足を踏み出す。今日のドレスは例のごとくワインレッドで統一されたもので、少しヒールのある靴までもドレスに合わせた一級品だ。昨日の夜会よりずっと楽なせいか、少しずつこの「普段着」に慣れ始めている自分を憎らしく思った。
リヒトさんはわざわざ席から立ち上がり、私を出迎えてくれていた。深い青を所々にあしらった服は、リヒトさんのすらりとした長身を際立てている。今日は黒手袋もつけていて、すらりとした指先まで引き立てられていた。
「エナ様、おはようございます。本日も麗しいお姿ですね」
造り物のように端整な笑みを浮かべながら、息をするようにそういう言葉が出てくるのだから、リヒトさんは大したものだ。私はどこか引きつったような笑みを浮かべながら、ドレスを少しだけ摘まんで礼をした。
「おはようございます、リヒトさん。お褒めにあずかり光栄です」
ビアンカに案内されるようにして、私はリヒトさんの向かい側の席に着いた。それを見届けたリヒトさんも再び席に着く。
カミラは既にお茶の準備を進めていたようで、私とリヒトさんの前に揃いのティーカップを並べ、マカロンのような可愛らしい形をした小さなお茶菓子も出してくれた。カミラの言っていた通り、新しい茶葉だからなのか、今日の紅茶はいつもより香り高い。心地よいその香りに、少しだけ緊張も頬も緩んだ。
「ありがとう、カミラ」
リヒトさんの手前、カミラは二人きりの時のように口を開くことは無かったが、代わりに慎ましく微笑みを返してくれた。このお茶菓子だって、甘いものが好きな私のために用意してくれたのだろう。その心遣いが嬉しかった。
「失礼します」という言葉と共に、カミラとビアンカは応接室の隅へ下がっていった。香り高い紅茶を一口口に含み、ほっと息をつく。慣れない味だが、確かに美味しい。
「よく眠れませんでしたか?」
唐突なリヒトさんの問いに、私ははっと顔を上げた。今はどちらかといえばリラックスした表情を見せていたと思うのに、よく見抜いたものだ。誰のせいでよく眠れなかったと思っているのか、と内心皮肉を呟きながらも微笑みを取り繕う。
「リヒトさんの前では、隠し事は出来そうにありませんね」
本当に、よく観察しているものだ。眠れなかったといっても、顔に隈が出来ているわけでもないのに。恐ろしいくらいの観察力だ。
「もっと早くご報告できればよかったのですが……別邸の火災の後始末もありましたもので」
正直、そう言えばそんなこともあったな、という程度にしか覚えていなかった。もっとも、夜会中の公爵家で別邸が炎上するなんて大事を忘れてしまうのは、その後に起こった様々なことがあまりに鮮烈すぎたせいなのだが。
「被害が大きくなければいいのですが……」
「そう、大したことはありません。西側の客間が使い物にならなくなったくらいで……」
「原因は分かったのですか?」
「……それが、分からず仕舞いなのです。かなり大きな魔力を持った者の犯行だ、ということしか分かりませんでした」
リヒトさんもかなりの魔法の使い手だというのに、そんなことがあるのだろうか。少しだけ引っかかる気がする。
「本当は、捕まえて処刑したいところなのですがね……。あの火災のせいで、僕はエナ様の傍を離れる羽目になったのですから。……エナ様にはご心配をおかけして申し訳ありません」
穏やかな笑みを浮かべながら、「処刑」などという物騒な言葉を聞くのはやはり慣れない。リヒトさんにとって、自分とそう関わりのない者の命は気に掛けるほどのものでもないのだろう。その無自覚な冷酷さが怖い。生まれたときから人の上に立つ者として生きていると、自然とそのような考えになるのだろうか。
「話が逸れてしまいました。本日エナ様の元へ伺ったのは、エナ様に無礼を働いた者への処罰についてです」
やはりそうか。この話が気になって銀細工に集中できないほどだったとはいえ、いざ聞かされるとなると身構えてしまう。
「……私は不問にする、と申し上げたはずですが」
駄目もとで昨夜口にした言葉を繰り返してみる。もっとも、私の意見など、兄にもリヒトさんにも受け入れてもらえないのだろうが。
「そうですね。ですから、昨夜の一件に関しては不問にいたします。エナ様があの者たちに温情をかけた上でのご決定なのでしょうから」
その言葉に、思わずティーカップを落としそうになった。慌ててティーカップを小皿の上に置いて、まじまじとリヒトさんを見つめてしまう。
「……本当ですか?」
リヒトさんは、私の意見など受け入れてくれないと思っていたのに。つい、私が偏った見方をしてしまっていたのだろうか。
「疑うなんて酷いお方だ。……本当は、公開処刑にしたかったくらいなのに」
ぽつりと独り言のように呟いたその言葉はあまりに物騒で、私は彼の考えが変わらないよう、精一杯の笑みを見せた。実際、私の意見をちゃんと受け止めて考えてくれたことが嬉しくて、演じるまでもなくそんな笑みを浮かべることが出来たのだが。
「ありがとうございます、リヒトさん」
「……そんな笑顔が見られるなら、悪くないものですね。不思議と怒りも薄れていくようです」
心底意外だとでも言いたげに、リヒトさんは呟いた。彼にしては珍しいそんな表情に、思わず頬が緩んだ。こうしていると、リヒトさんの歪みを知る前の頃に戻ったようで、早くも懐かしく感じてしまう。
「恥ずかしいですが、リヒトさんの気持ちも落ち着いたのならよかったです」
今日は、久しぶりに平穏なお茶会をして終わることが出来そうだ。天気がいいから、リヒトさんと一緒に少し散歩してみてもいいかもしれない。
そんな呑気なことを考えている私の目の前に、「それ」は無造作に置かれた。一瞬で、呼吸が止まるような衝撃を受ける。
「リ、ヒトさん……それは……」
「それ」は、昨夜アンネリーゼ様が手首に着けていたブレスレットだった。金の鎖に連なる宝石の中に、確かに空色の石が混ざっている。こうして陽の光の当たる場所で見ると、その意思がリヒトさんから贈られたものであることは明白だった。
「アンネリーゼだったんですね」
ぽつり、とリヒトさんは仄暗い声音で言葉を紡ぎだす。
「あの舞踏会の夜に、エナ様に嫌がらせをした犯人は」
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