第38話

「父上、母上、エナ様をお連れ致しました」


 夜会が始まって真っ先に私とリヒトさんが向かったのは、この屋敷の主人であるライスター公爵夫妻のもとだった。


「お初にお目にかかります。国王陛下の妹、エナ・シグレと申します」


 散々練習を重ねた淑女の礼を取って、はっきりとした声であいさつをする。先に口を開いたのは公爵の方だった。


「これはこれは、お噂に違わぬお美しい姫だ。リヒトが夢中になるのもよくわかります」


 落ち着いた声はどこか喜んでいるようでもあり、私の存在は歓迎されているのだと察した。夫人も同様の反応だ。夫人は王妃様によく似た見事なブロンドで、その顔立ちもどことなく似ている部分がある。優しく包み込むような、温かな笑顔を浮かべる人だった。


「エナ様にお会いできて光栄ですわ。リヒトから沢山お話は伺っておりますのよ。この子はあなたしか見えていないようですわ」


 そう言ってからかうように笑う夫人の姿とどこか戸惑うように視線を泳がせるリヒトさんの姿は、元の世の親子がみせるものと大差ない。実の親子ではないと聞いていたが、リヒトさんがこの二人に愛されて育ったのだと分かる。


「アンネリーゼにもご挨拶させたかったのですけれど……夜会好きのあの子は既にどこかに紛れ込んでしまったようです。どうか無礼をお許しください」


 夫人は申し訳なさそうに頭を下げた。こちらとしては、あまり会いたくないのだからむしろ大歓迎だ。この優しそうな夫妻は娘がご令嬢たちに働いている嫌がらせのことなど微塵も知らないのだろう。そのあたりは上手く立ち回っているようで、義理とはいえアンネリーゼ様も流石はリヒトさんの妹だと、心の中で皮肉を込めた賞賛を送った。


 




 夫妻に挨拶を終えた私たちは、広間へと足を進める。周囲の注目が一気に集まるのが分かった。思わず人混みの中にアンネリーゼ様の姿を捜してしまうが、やはり見当たらない。あれだけ人の目を引く容姿をしているのに、どこへ行ったのだろう。姿が見えないことの方が、恐怖を誘うものだ。


 声をかけられるのを待っているかのようなご令嬢たちに、私はあくまで社交的に接する。よく見るとどのご令嬢も、私の銀細工を身に纏ってくれていた。カミラの言う通り、本当に流行しているのだなと再認識する。他愛もない銀細工の話題は、久しぶりに私の心を穏やかにさせた。


 リヒトさんはというと、一歩引いたところで私を見守っている。時折ご令嬢たちのパートナーの男性と会話を交わしたりしているが、基本的に視線は私に固定されているようだった。そんな見つめなくとも、どこへも行きようがないというのに。


「ふふ、エナ様、リヒト様に溺愛されているようで羨ましいですわ」

「お幸せそうなお二人を見ていると、こちらまで温かい気持ちになりますの」


 銀細工の話題を一通り終えると、やはりこの手の話になってしまう。彼女たちは完全に、私とリヒトさんが恋人同士だと思い込んでいるようだった。こうして温かく見守ってくれるのは何よりだが、いざ面と向かって話をされるとどんな表情をするべきなのか分からなくなる。下手なことを言えば、不穏な噂が瞬く間に広まってしまうだろう。


「皆様にそう言っていただけて、私は幸せ者ですね」


 曖昧な笑みと共に、当たり障りのない返答をする。だが、ご令嬢たちはそれを照れ隠しの一種だと受け取ったようで、微笑ましいものを見るような表情に変わった。


 抗うのも面倒だ。私はご令嬢たちの話の流れに合わせて、適当に相槌を打ち続けた。その合間に甘い飲み物を嗜めば、淡々と時間は過ぎていく。このまま平穏に夜会が終わればいいと、そう願った夜会の中盤、事は起こった。


「お話し中失礼いたします、リヒト様……」


 執事のような恰好をした年配の男性が、不意にリヒトさんのもとへ駆け寄ってきた。耳打ちするように何やら報告をしていたので内容は分からなかったが、僅かな緊迫感が伝わってくる。


「……離れが?」


 リヒトさんの驚いたような表情と、離れという言葉。私と共に会話に花を咲かせていたご令嬢たちもちらちらとリヒトさんの様子を窺っている。


「一体どうなさったのかしら?」

「何か問題が……?」


 執事らしき男性から報告を受け終わったリヒトさんは、どこか困ったような表情をして私を見た。思わずリヒトさんのもとへ歩み寄る。


「どうなさったのです……?」


「少し、問題が……。離れの方で、火の手が上がっているようなのです。それも、強力な魔力によるもので……使用人たちでは太刀打ちできないらしく、父上でも苦戦していると……」


 殆ど耳打ちするように告げられたその台詞に目を見張った。それは、一大事ではないのか。


「本邸の方へ廻るほどの火力ではないようですので、ここにいる限りは安全です。……僕は、少し様子を見てきます。父上と協力すれば、すぐに火は消せるでしょうから」


「すぐ、行ってください。私はここで皆さんとおりますから」


「でも……」


 リヒトさんは私から目を離すことをかなり渋っているようだった。この緊急事態に何を迷っているのだ。


「絶対に敷地外に出たりしませんから……。リヒトさんが行くのが遅れて怪我人でも出たら大変です。さあ」


「……わかりました。すぐに戻ります」


 リヒトさんは軽く私の頬に口付けると、執事らしき男性と共に広間を去って行く。皆、夜会の華がいなくなったことには気づいているようだったが、ここはリヒトさんの実家でもあるのでそれほど疑問に思わなかったようだ。広間では優美な音楽が流れ、何事もなかったかのように夜会が進行していく。


「一体、何があったんですの……?」


 傍にいたご令嬢が、不安げに私を見つめた。私の傍にいた彼女たちは、リヒトさんと執事の男性が醸し出していた緊張感に気づいていたのだろう。私はなるべく何でもないというように、微笑んで見せた。夜会中の公爵家でボヤ騒ぎなんて、知れ渡ったら混乱が起こるに決まっている。事を大きくするわけにはいかない。


「少し、ご用事があるようですわ。すぐにお戻りになるそうですから、お気になさらず」


 穏やかに微笑んだのが効いたのか、ご令嬢たちは僅かに安心したような様子を見せた。私がこう言っている以上、更に深くは聞いてこないだろう。私は笑みを崩すことのないまま、一人考えを巡らせた。


 こんな夜会中に離れから火の手が上がるなんて、偶然とは考えにくいだろう。恐らくは誰かが何らかの意図をもって起こしたことのはずだ。しかも、強力な魔力の絡んだ話だというから穏やかではない。


 しかし、火の手が上がったのは本邸ではないことから、夜会に参加している誰かを傷つけるためとは考えにくい。むしろこの騒ぎに乗じて何か事を起こそうとしている可能性の方が高い。公爵家もそれを警戒しているのか、この短時間で広間の周りを見張る守衛の数を増やしたようだ。


 私は周りに気づかれぬよう、小さく息を吐いた。王国で王家の次に権力があると言っても過言ではない公爵家の夜会で騒ぎを起こすなんて、なかなか度胸のある犯人だ。見つかればただでは済まないだろうに、そんなリスクを冒してまで成し遂げたいことがあるとでもいうのか。犯人の狙いは参加者か、公爵家か。ぐるぐると疑問が巡っていく。


 軽く俯くようにして考え事をしていると、ふと、周囲のご令嬢たちが一歩後退るようにして私から離れていくのが分かった。不思議に思い顔を上げれば、そこにはあれほど捜して見つからなかったあの少女がいた。


 彼女は綺麗に巻いた白金の髪を揺らし、宝石のような緑色の瞳で笑うようにこちらを見つめている。そのドレスはいつかのお茶会のときのような空色ではなく、相対するように鮮やかな夕暮れの色だった。赤に近い橙色は不思議な色味で、特別に作らせたものなのだと一目でわかる。


「アンネリーゼ様……」


 私のドレスが、青空に星を散りばめたようなものだから、夕暮れで対抗してきたという訳だろうか。そういうセンスは流石としか言いようがないのに、口頭ではどうして低レベルな蔑みしか出来ないのだろう。


「ごきげんよう、エナ様。お久しぶりですわね。良かったらあちらでお話をしませんこと?」


 その誘いに乗るのはまずい。ただの口論で済めばいいが、アンネリーゼ様の気性を考えればそうもいくまい。私は曖昧に微笑んで、軽く頭を下げる。


「折角のお申し出ですが……ここで人を待っておりますので。それに、お話ならこちらでもできますわ」


 アンネリーゼ様の形の良い眉がピクリと動く。丁寧な言葉で言ったつもりだが、捉えようによってはかなり生意気に聞こえるだろう。だが、アンネリーゼ様もこんな人目のあるところで騒ぎを起こしたくはないはずだ。予想通り、彼女もあくまでも穏やかな姿勢を崩すことはしなかった。


「エナ様の待ち人とはお義兄様のことでしょう? お義兄様から仰せつかっておりますの、エナ様はお疲れのご様子なので、少しお休みいただくように、と。……来てくださいますよね?」


 人目があることを逆手に取られたようだ。この屋敷のご令嬢の申し出を――しかもリヒトさんの名前を借りた申し出を、こんな大勢の前で断れるはずがない。私は誰にも気づかれぬよう、ぎゅっとドレスを握りしめ、覚悟を決めた。あれだけ練習した笑みが引きつる。


「そういうことでしたら……お言葉に甘えさせていただきます」


 夜会が穏やかに終わるなんて、夢物語もいいところだったようだ。内心自分の甘さを笑いながら、私は戦場に赴くような気持ちでアンネリーゼ様に付き従った。

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