第37話

 煌びやかなシャンデリアが反射する光を眺め、私は気を引き締める。


 同じような日々を繰り返すうちに、ライスター公爵家で行われる夜会の日が訪れてしまった。流石は王国筆頭貴族のライスター公爵家、開催する夜会もそれは華々しいものだ。色鮮やかなドレスの数々が目に痛い。ほのかに香る香水は、王国で大流行中だというあの薄紅色の花の香りばかりだった。


 朝からカミラに磨き上げられたお陰で、私もいつもよりは見られる姿になっているだろうが、リヒトさんの隣に並ぶと気後れするのも確かだった。それくらい、私の隣で甘い笑みを浮かべる彼は綺麗なのだ。毎日顔を合わせていても、ほうっと息をつきたくなるほどに。


 リヒトさんに贈られた新しい空色のドレスは、お茶会のときよりも華やかなもので、やはり一級品だった。まるで青空に星が散らばったようなデザインで、所々に真珠が飾り付けられていることからも贅の限りを尽くした代物だということはよくわかった。私が王城を出る前にわざわざ見送りに来た兄も、それは褒めちぎっていたものだ。


 だが、その後に交わされた会話は、今思い出すとそれなりに苛立ちを覚えるものだった。




 時をさかのぼること一時間ほど前。王城を出て公爵家の馬車に乗り込むところを見届けるまで安心できないという兄が、わざわざ正門まで下りてきたのだ。


「リヒトのセンスはなかなかだな。エナの美しさを引き立てる術を知っているようだ」


「お褒めにあずかり光栄です、陛下」


 ドレスの話題とはいえ、私を城から出さぬように画策している二人が同調している様子を目の前にして、どんな表情をすればいいのか分からない。そもそも兄は、どの面下げて私に会いに来たのかと思ったが、悔しいくらいにいつも通りで、私は今日も何も言えなかった。


「エナから、くれぐれも目を離さないように。遅くなるようなら公爵家に泊まることになってもいいが、屋敷から一歩も出すんじゃないぞ」


「ご安心を。今日は守衛の数を増やしておいた上に、屋敷の境界線にエナ様専用の結界を張っておきましたので、一歩たりとも敷地外に出ることは敵わないでしょう」


 それを本人の目の前で言うのだから、質が悪い。一瞬だけ苛立ちを覚えて、思わず口を開いてしまった。


「お二人とも、私の言葉などまるで信用なさらないのね。ちゃんと約束いたしましたのに」


 その言葉を受けた二人の反応は、まるで正反対だった。


「誰のせいでこうなってるのか、分かっていないようだね、エナ。君には前科があるのだから、信頼を得られないことを嘆く立場になどないよ」


 そう言ってどこか冷たい目で私を嘲笑うように見下ろすのは、他でもない兄だった。「前科」なんていう言葉を持ち出すあたり、彼の怒りはまだ収まっていないようだ。恐らく、王妃様とカミラに私の記憶を奪うことを止められたせいもあるのだろう。完璧主義者の兄は、一度失敗をしたら繰り返すことのないように、自分の尽くせる手は全て尽くすのが常だった。兄としては、私の記憶を奪うことで、完全な安心を得たかったのだろう。まったくもって勝手な話ではあるが、それを理解してしまうあたり、兄との血の繋がりを感じる。


「エナ様、お気を悪くされたのなら申し訳ありません。ただ、不安で仕方ないだけなのです。愛おしいエナ様が、目の届かないところへ行ってしまわれたらと思うと……考えるだけで恐ろしい」


 一方でリヒトさんは形の良い眉を下げ、許しを請うような調子で私の手を取り口付けを落とす。人目のあるところで、公爵家の跡継ぎである彼にこんなことをされたら、機嫌を直さないわけにはいかない。


「き、機嫌を悪くするほどでは……。お顔をお上げください、リヒトさん」


 兄の発言にはまだ怒りを保つことが出来るが、リヒトさんの対応を受けてはそうもいかない。私の残された選択肢は「彼を許す」一択だった。明らかにリヒトさんの対応の方が質が悪い。彼は本当に策士だ。





 

 そんな策士の横顔を見上げ、小さく息をつく。周囲の視線に応えるように優美な笑みを振りまくその様は、文句の一つもつけようが無かった。本当に絵に描いた

ような王子様だ。


「どうかされましたか? エナ様」


 私の視線に気づいたのか、リヒトさんが私に向き直って甘い微笑みを零す。私と約束をしたあの日から、彼はこういう表情を見せることが多くなった。心を開いてくれている証なのかもしれないが、その代償が大きすぎるだけに手放しに喜べない。


「いえ、本当に非の打ちどころのない横顔だと思い、見惚れていただけです」


 事実そうなのだが、王城を出発したときのやり取りを踏まえて何か言い返したい気分だっただけに、妙にぶっきらぼうな言い方になってしまった。彼が私を褒めてくれるときのような甘やかさは微塵もない。


 だが、リヒトさんは不意に顔を横に逸らし、口元に手を当てていた。どこか泳ぐような視線に目が行ってしまうが、よく見ると耳の端が赤い。あれだけ私に甘い言葉を囁いているというのに、まさか今の私の一言で照れたとでもいうのか。


 そんな反応をされると、こちらまで恥ずかしくなってくる。これだからリヒトさんはずるい。普段は年上の余裕で私を甘やかしてくるくせに、こういうときだけ可愛らしい反応を見せるのだから。余計に好きになってしまうではないか。


 今、リヒトさんに溺れるわけにはいかないのだ。この状況で彼に落ちてしまったら、私は本当に何も言い返せなくなる。元の世界に帰れない理不尽を受け入れてしまいそうになる。それだけは何としても避けなければ。


「エナ様にそんなことを言われると……溶けてしまいそうです。ちなみに僕はエナ様のお顔ならいつまで眺め続けても飽きませんよ」


 耳元で囁くように告げられた言葉の糖度は致死量だった。まず、元の世では聞く機会のない言葉たちだ。兄に似ている私の顔立ちは、自惚れるつもりはないが確かに整っているほうではあるのだろう。でも誰もが目を見張るような美貌と言わけでもないのだ。リヒトさんの言葉はあまりにも大袈裟だ。いや、美人は3日で飽きるというから、中程度の私の顔ならいつまででも見ていられるというひねくれた解釈にしておこう。そうでもしなければ、私の方こそ溶けてしまいそうだ。


 あまりこういうことを繰り返していると危険だ。うっかりリヒトさんを照れさせてしまったら、倍返しどころの話ではなくなるらしい。次からは細心の注意を払わなければ、と一人心に命じるのだった。

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