第31話

「方角は間違ってなさそうね……」


 城を出ること1時間。ここまでは実に順調だった。すれ違いざま、人の目を引くことはあるが声をかけられたりはしていない。危険な目にも合っておらず、足が痛むようなトラブルもなかった。私は相当運がいいらしい。この調子ならば、昼過ぎ頃には森に入ることが出来そうだ。


 城から森までは基本的に一本道で、東に向かうにつれ段々と人が少なくなっていく。城から1時間の距離にあるこの町は、リヒトさんと散策した王都のような華やかさこそないが、人々ののどかで穏やかな生活が窺えた。店も一通りそろっているようだし、住みやすそうな町だ。


 時折貴族が乗っていそうな馬車が通り過ぎていくときにはひやりとするが、彼らは道を歩いている小娘などには見向きもしなかった。ほっと息をつきながら、道の脇で何やら売っている出店の前で止まる。甘い果実の香りが漂ってきて、思わず喉を鳴らした。どうやら果実のジュースを売っている店らしい。親子連れや商人風の人々が次々に購入してく。


 この辺りで水分補給をしてくのも手かもしれない。気候は暑すぎず寒すぎずという遠出には最適の温度だったが、水分は必要だ。この先、このような店があるとも限らない。


 ただ、一つ問題がある。私はお金を持っていないのだ。銀細工の仕事で稼いだお金は、そのまま私の生活費に充ててもらったり、余った分はカミラに管理してもらっていたので手元には渡らなかった。


 代わりに、試作品として作った銀細工をローブのポケットに忍ばせてきた。銀そのものでそれなりに価値はあるだろうし、なんとか物々交換で交渉できないだろうか。淡い期待を抱いて私は出店に近付く。店主は体格のいい中年の男性だった。


「いらっしゃい……ってこりゃあ、どこかのお嬢様かね。ここにはお前さんが飲めるようなものは売っていないよ」


「いえ、とても美味しそうな果物ばかりです。是非、一杯いただきたいのですけれど、その……これと交換でいただけませんか?」


 恐る恐る私は薄紅色の花をモチーフにした銀細工を店主に手渡す。


「あの、ちゃんとした銀なんですけれど……。私、お金を持っていなくて……」


 もごもごと思わず言い訳をしてしまう。店主は暫くまじまじと銀細工を眺めていたが、すぐに快活な笑い声をあげた。


「こりゃあ、お嬢さん、いい細工だねえ。この細工だけでも充分に一杯分の価値があるよ」


 細工を褒められたことは、素直に嬉しかった。思わず口元が緩む。


「ありがとうございます」


「それに本当に純銀なら、この店の3日分の売り上げよりずっと高い。これと飲物一杯っていうのも随分割に合わない話だぜ。お金がないなら釣りを渡そうか?」


「いえ……おつりまでいただくわけには……」


「でもなあ、流石に気が引けるぜ。いくらお貴族様の気まぐれってやつでもよお」


 てきぱきと果実を絞りながら、店主は苦笑する。随分と律儀な人のようだ。


「……では、のどが渇いている人がいたり、私のような旅人が現れたら、その方たちに差し上げてください。私は一杯で充分ですので」


 銀のコップに入った新鮮なジュースを受け取りながら、代替案を告げる。すると店主は感心したとでも言いたげにほうっと溜息をついた。


「その歳で大したもんだぜ。なあ、みんな」


 店主の呼びかけに口々に「そうだな」だの「立派だ」だのと聞こえてくる。フードで深く顔を隠しているせいで、周りに人が集まっていることに気づけなかった。


「まるで噂の聖女様のようじゃないか」


 誰かが冗談交じりに放った一言で、心臓が凍り付くかと思った。ここまで来て、城に戻るわけにはいかない。あの兄のことだ、一度失敗したら二度と城から出してもらえなくなる。それだけは御免だった。


 あまり、長居し過ぎない方がいいだろう。本当はもっとゆっくりジュースを味わいたかったが、一気に飲み干し、軽く会釈をして店から離れる。


「ごちそうさまでした」


「おおい、お嬢ちゃん! もう行っちゃうのかい!!」


「ごめんなさい、急いでいるんです!」

 

「どこまで行くんだい?」


 ふと、すぐ傍に人の気配を感じ、顔を見られないようにしながら振り返る。顔はよく見えなかったが、服装からして女性のようだった。少しふっくらとした体形で、商人のような出で立ちをしている。


「少し、東の方まで……」


「東? あたしもこれから向かうんだ。品物と一緒の荷馬車でよきゃ、途中まで乗せてってやるよ」


「でも……」

 

 危なくないだろうか。私の正体を見抜かれること、相手が実は悪者であること、様々なリスクが頭の中を駆け巡る。


「その細い足じゃ、次の町までいくのも一苦労だろうさ。あたしには、あんたくらいの娘がいてね、何だか放っておけないじゃないか」


 もう少しだけ顔を上げて、髪の色に悟られないよう注意しながら女性の表情を盗み見る。見るからに人の良さそうな女性だった。頼り甲斐のある母親という感じがひしひしと伝わってくる。


 もしも、私がいないことが既にバレて追手が放たれていたら。確実に私の足では捕らえられてしまう。一か八か、かけてみようか。


「では、お言葉に甘えて」

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