第30話

 翌朝。控えめにドアをノックする音で目を覚ます。ふかふかのベッドの上で身じろぎをしながら、眠る前にサイドテーブルの上に置いたチョーカーをつけ、「はい」と返事をする。


 軽く伸びをしてイヤリングにも手を伸ばす。鏡が無くても何の問題もなくつけられるようになっていた。


「おはよう、カミラ――――」


 いつも通りの挨拶を口にしながらドアの方を見て、ふと口を噤んだ。ドアの前で慎ましく控えているその人は、メイド服を着ているがカミラではなかったからだ。


「……カミラは?」


「はい。カミラは今日体調がすぐれないようなので、急遽お休みをいただくことになりました。本日はわたくしが、代わりを務めさせていただきます。ビアンカと申します」


 そう言うなり、ビアンカは深くお辞儀をした。肩のあたりで切りそろえられた明るい茶色の髪が揺れる。瞳はどこか鋭く、カミラよりも厳しそうな印象を受けるメイドだった。


「そう……カミラが……。お見舞いに行けるかしら?」


 昨日の顔色の悪さはやはり気のせいではなかったようだ。私がこの世界に来てからというもの、ずっと私のそばに居てくれたので疲労も溜まっていたのだろう。


「お言葉ですが、陛下の妹姫様がたかがメイドのために足をお運びになるのは如何なものかと。姫様の品位に関わります」


「そんな、カミラはお友だちよ」


「いいえ、姫様のご友人としては身分が釣り合いません」


 ビアンカは随分と手厳しい。見たところ、20代前後だと思うのだが、まるで教師のような厳しさだった。


「どうしてもと仰るのであれば、姫様のお名前で見舞いの品を送ります。花や菓子を見繕いましょう」


「……わかったわ。じゃあ、それでお願い。お大事に、と伝えてね」


「かしこまりました、姫様」


 姫様、なんて呼ばれ方はちっとも慣れない。違和感しかなかった。今日はこの子と上手くやっていけるだろうか。朝から既に憂鬱だ。


 ふう、と小さく溜息をついて、はたと気づく。これは、考えようによってはチャンスではなかろうか。


 カミラの目が無い今日、何とか一人になって東の森を目指すことは出来ないだろうか。ビアンカは私の行動パターンを良く知らないはずだ。銀細工の仕事があるとでも言って人払いをし、城を抜け出せば決行は不可能ではない。それに、今日私が無断外出をしたところで、カミラはもちろんのこと私のメイドとして働くことに慣れていないビアンカも大目に見てもらえるだろう。まさに、絶好のチャンスだ。


 カーテン越しに覗く空は、リヒトさんの瞳のように澄み切った青だった。天候にも恵まれている。行くなら今日しかない。私は一人、覚悟を決めた。






 ビアンカの手によって丁寧に飾り立てられた後、朝食を摂り終えた私は、なるべく自然を装って傍に控えるビアンカに告げた。


「ビアンカ、私、今日は一日中銀細工のお仕事をしたいの。とってもいいデザインが浮かんだのよ。だから、今日はこの部屋に一人にしてくれない? あなたは好きにしてくれてて構わないから」


「そういう訳にも参りません。昼食やお茶はご用意いたします」


「私、銀細工を作っている途中はあまり集中を途切れさせたくないのよ。お願い、ビアンカ」


 ビアンカの目には、私はさぞかし我儘な娘に映っていることだろう。だが、ここだけは譲れないのだ。ビアンカは冷静な瞳でじっと私を見ていたが、やがて慎ましく礼をする。


「かしこまりました。姫様の仰せのままに」


 相変わらず仰々しいが、どうやら上手くいったようだ。思わず心の中でガッツポーズをとる。





「何か用事があったら私から呼ぶから! あなたは好きにしててね!」


 作戦の決行を前に心が躍っている私は、上機嫌でビアンカを部屋から送り出した。彼女の姿が完全に消えたのを確認し、すぐさまクローゼットへ向かう。折角ビアンカが丁寧に着付けてくれたドレスだが、この姿では片道3時間の道のりなどとても歩けない。運動に適した服があればいいのだが、クローゼットを覗く限り一番動きやすそうな服は、リヒトさんと街を散策した時に着たワインレッド色のワンピースだった。速やかに着替え、なるべくヒールの低い靴を選ぶ。


 クローゼットの隅には、裾に繊細な刺繍の入った純白のローブがあった。深いフードもついているので、これで黒髪を隠せそうだ。ローブを羽織り、姿見の前に立つ。


 その姿は先ほどのドレスよりずっとカジュアルで動きやすそうではあるものの、普通の街娘というにはかなり無理があった。隠し切れない布の光沢が服の高級感を滲み出している上に、イヤリングとチョーカーに埋め込まれた空色の宝石があまりにも目立ちすぎる。深くフードを被ればそれほど目立たないのだが、ふとした拍子に怪しまれそうなことこの上なかった。


 あまりもたもたとしている時間もない。仕方がない、これで行こう。なるべく黒髪が目立たないよう一つに結ってローブの中に隠しながら、私は自分の部屋を出る。幸いにも、見張りの者や護衛はいなかった。


 まだ朝食の時間である城内は、皆が慌ただしくしていた。すれ違いざま、白いローブに視線を奪われる者もいるにはいるが、まさか私が「妹姫」だとは思っていないようだ。


 途中、王妃様にいただいた書庫に立ち寄り、昨日眺めた王国の地図を羊皮紙に写し取る。これで準備は万端だ。私は手書きの地図を片手に、はやる気持ちを押さえながら城を飛びだした。

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