第27話

 王妃様のいた東屋から離れ、人々の群れに合流する。お茶会と銘打っているが、立食式のちょっとしたパーティーのような雰囲気だ。中庭で行われている分、解放感もあり、この間の舞踏会とは全く違った趣を醸し出していた。ご令嬢たちのドレスも、舞踏会のときよりいくらか動きやすそうなものばかりだ。


「誰かお話したいお相手はいらっしゃいますか? エスコートいたしますよ」

 

 リヒトさんは宣言通り、私の傍を離れないつもりらしかった。人々の注目を買ってしまうが、また、下らないことでいびられるよりはマシだろう。


「なるべく、目立たないようにひっそりとお茶を楽しみたいです」


 悪意のないご令嬢に捕まっても、賞賛の嵐に巻き込まれるだけだ。悪い気はしないのだが、あれはあれで疲れるし、社交辞令なのだと思えば空しくもあった。


「それは、なるべく僕と二人で過ごしたい、ということですか?」


 悪戯っぽくリヒトさんは笑って、私の顔を覗き込む。リヒトさんの影に覆われ、反射的に頬が熱くなってしまった。婚約者候補になってからというもの、距離が近すぎて困る。こんな状況を温室育ちのご令嬢たちが見たら、倒れてしまうんじゃないだろうか。


 ほうっと見惚れるような溜息が周囲から聞こえてきた。やはり、注目を集めてしまっている。リヒトさんにも聞こえているはずなのに、彼は全く気にする素振りが無かった。もう慣れてしまっているのだろう。


「お義兄さま!!」


 そんな甘ったるい雰囲気を打ち破るように、耳に残る美しい声が響いた。忘れるはずもない、アンネリーゼ様だ。麗しい白金の髪は陽の光を反射してきらきらと輝いている。


 何よりも、彼女のドレスの色に目を奪われる。こともあろうに、彼女の身に纏っているドレスは、鮮やかな空色のドレスだった。私がリヒトさんに贈られた今日のドレスと、よく似た色をしている。


 一瞬、周りのご令嬢たちが息を呑むのが分かった。それもそうだろう。自惚れるつもりはないが、この場では限りなく位の高い二人の令嬢が同じ色のドレスを身に纏っているのだ。しかも、そのうちの一人はアンネリーゼ様という苛烈なご令嬢だ。問題が起こらない訳が無いと思っているのだろう。


「……アンネリーゼ、そのドレスは……」


 リヒトさんが一瞬、困ったような表情をする。デザインこそ違うが、生地の色は本当によく似ていた。同じものだと言っても差し支えないかもしれない。


「この間屋敷に来ていた仕立て屋にお願いしましたの。綺麗な色でしょう? ……って、あら、大変! エナ様と被ってしまいましたわ……」


 白々しい、とはこのことを言うのだろう。私は見えないように、ぎゅっとドレスを握りしめる。今日の嫌がらせはなかなか高度だ。屋敷に来ていた仕立て屋ということは、大方リヒトさんが私にこのドレスを贈るために呼んだ仕立て屋に頼んだのだろう。そうなれば、同じ色の生地も手に入るはずだ。


「何て失礼なことをしてしまったのかしら……わたくし、今日は帰った方がよさそうですわね」


 ちらりとリヒトさんを盗み見て、アンネリーゼ様は相当ショックを受けたように告げる。優しいリヒトさんが、可愛い妹のそんな表情を見たら心を痛めるに違いない。ここは、私が離れるべきなのだろう。それがアンネリーゼ様の策だと分かっていても避けられない辺り、本当に高度な嫌がらせだ。


 だが、リヒトさんの返答に思わず耳を疑った。


「そうだな、今日は帰りなさい。エナ様に失礼だ」


「え……?」


 私とアンネリーゼ様の声がぴたりと重なる。あまりにも予想外なことを言い出すので、その言葉の意味を理解するのに数秒かかってしまった。


「偶然だから仕方のないことだが、今日のところは我慢してくれ。……出来れば、もうその色のドレスは仕立てないでほしい……これからもエナ様に贈る予定だからね。エナ様とドレスの色が被るたびに、アンネリーゼを家に帰すのは忍びないだろう?」


「そんな……リヒトお義兄さま……」


 リヒトさんは、本当にアンネリーゼ様を想って空色のドレスは仕立てないように言っているのかもしれない。だが、それは、リヒトさんがアンネリーゼ様よりも私を優先したという象徴のようにも思えて、アンネリーゼ様の気持ちを思うといたたまれなかった。こんなことをされたら、ますます私に嫌がらせをしたくなるだろう。長年の想い人が、ぽっと出の娘に奪われようとしているのだから。


 壊したくない。この世界の人たちの、築き上げた関係を。この世界に残る覚悟もない私に、そんなことが許されるはずもないのだ。


「……リヒトさん、それはアンネリーゼ様に対してあんまりですわ。私は、同じ色のドレスでも構いませんし……アンネリーゼ様がお気になさるのでしたら、私がこの場から離れますから。折角の楽しいお茶会なんですもの、早々にお帰りになることなんてないでしょう?」


 アンネリーゼ様には、良い感情何て一つもない。だが先の舞踏会では、やられっぱなしというわけでもなかった。自分の気持ちはちゃんと伝えたし、言うなれば喧嘩のようなものだと思っている。リヒトさんに贈られたアクセサリーを蔑ろにされたことは今も腹立たしく思っているが、それ以外は水に流してもいいとさえ思っていた。だから、これ以上関係が悪化する前に、私から身を引こう。元はといえば、この世界に不意に現れた私が悪いのだ。私のせいで、リヒトさんとアンネリーゼ様が不仲になるようなことがあれば、いたたまれないにも程がある。


「エナ様、あなたがお気になさる必要はないのですよ。不躾にも、エナ様と同じ色のドレスを着てきた義妹に責任があります」


「でも、私が何色のドレスを着てくるかなんてわからないでしょう……? アンネリーゼ様は悪くありませんわ。……それに、少々気分が悪いので下がらせていただきますね。私のことは気にせず、ご兄妹でごゆっくりなさってください」


 空色のドレスをつまみ、ゆったりと淑女の礼をする。


「……それでは、リヒト様、アンネリーゼ様、ごきげんよう」


「エナ様!!」


 その場から離れる私を、リヒトさんは追いかけようとしていたが、アンネリーゼ様に腕を掴まれて止められていた。ちらりと見えたアンネリーゼ様の表情はどこか勝ち誇ったようなもので、満足そうだ。


 周囲では、ひそひそと「エナ様が負けた?」だの「流石はアンネリーゼ様、容赦ありませんわね」などと噂する声が聞こえている。それなりに賑やかな会場の中で、私たちの会話の全てはとても聞き取れていないだろうから、そんな反応になるのも納得だ。傍から見れば、私はアンネリーゼ様に負けた惨めな令嬢なんだろう。だが、そんなことは正直どうでも良かった。


 人気のない中庭の隅までやってきて、木にもたれ掛かる。涼やかな風が吹き抜けた。私はそっとドレスの裾をつまんだ。


 アンネリーゼ様の勝ち誇ったような表情も、人々の噂もどうでもいい。ただ、今の私の心の内を占めるのは、リヒトさんが折角私のために贈ってくれたドレスを存分に着られなかったことを残念に思う気持ちだけだった。私に贈るために、わざわざ時間を取ってあれこれと考えてくれたであろうリヒトさんの気持ちを思うと、きゅっと胸が締め付けられる。


「ごめんなさい、リヒトさん……」


 リヒトさんの気持ちを想うならば、あの場に残っても良かったのではないかといえばそうなのだが、それよりも私は、私の存在がこの世界の人々の関係性を壊すことを恐れてしまった。本当に身勝手だと我ながら思う。出来ることならば、部屋に引きこもって銀細工を作りながら帰る手段を探すだけの日々を過ごしたい。だが、それを許されるような境遇ではないのだ。


 自分で望んだわけでもなく、兄のせいでこの世界に閉じ込められているのに、どうして私がこんな思いをしなければならないの。そんな不満が無いと言えば嘘になる。だが、それを嘆いていても何も事態は進展しないのだと知っているから、口に出さないだけだ。


「窮屈だなあ……」


 息苦しい。親しい人から貰った服を自由に着ることも出来ない。これが生まれながらの王族であれば、この息苦しささえ生きる実感になったのかもしれないが、私は違うのだ。一か月ほど前まで、ごく普通の少女として自由に生きていたのだ。どこにでも行ける、誰にでも会える、どんな服を着てもいいし、何を食べてもいい。


「……早く、早く帰りたい」


 祈るように両手を組んで、私は木の根元にしゃがみこんだ。右手に嵌めた指輪が、陽の光にきらりと光る。


 神様でも何でもいい。不意にこの世界に飛ばされたのなら、ふと元の世界に戻してくれたっていいじゃないか。このまま帰れなかったら、無心論者の私が神様を呪うなんていう滑稽な話になりかねない。


 早く、早く私を帰して。この世界の誰かを、傷つけてしまう前に。

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