第26話
リヒトさんに招待状を渡されて一週間、私は王城の中庭で開催されたお茶会を訪れていた。もちろん、リヒトさんのエスコートで、だ。今日も今日とてご令嬢たちの視線を一身に受け取りながら、曖昧な微笑みを顔に貼りつける。この中にアンネリーゼ様もいるのかと思うと、気が気ではなかった。
「大丈夫ですよ、エナ様」
私の不安を汲み取ったかのように、リヒトさんは隣で穏やかに笑う。その笑みを見て安心してしまうあたり、私もかなり毒されているな、と苦笑してしまった。いつからこんなに、彼の隣が居心地よくなったのだろう。
雲一つなく晴れ渡った青空の下、ゆっくりと足を進める度に空色のドレスが揺れた。このドレスは、リヒトさんに贈られたものだ。イヤリングとチョーカーに合うようにデザインされているようで、非常に爽やかな装いとなっている。ドレスの質は兄に贈られたものに決して劣らないほど上質で、所々にあしらわれた繊細なレースが非常に私好みだった。
リヒトさんからこのドレスが贈られたとき、カミラのはしゃぎようと言ったら無かった。まるで自分に贈られたかのように喜んでくれたのだ。
「何て素敵なドレスなんでしょう! リヒトさんは本当にエナ様を愛しておられるのですね」
カミラは感激で泣き出しそうな勢いでそう言ったが、私は曖昧な笑みを返すことしか出来なかった。婚約を申し込まれているくらいなのだから、恐らく嫌われてはいないのだろうが、「好き」だとか「愛している」だとかそう言った言葉は聞いた試しがない。リヒトさんは私の何がよくてそばに居てくれるのかも分からないのが本音だ。
「エナ様、王妃様のもとへ参りましょう」
「ええ」
考え事をしている間に、リヒトさんは会場の奥へと進んでいたようだ。小さいけれど豪奢な装飾が施された可愛らしい東屋に、王妃様はいらっしゃるようだ。王妃様とは舞踏会のときに挨拶を交わした程度なので、いざ話すとなると緊張する。
リヒトさんが護衛の騎士に何やら告げると、すぐに東屋の中へ通された。程よく陽の光が入る東屋はまさにお茶をするにはうってつけだ。心地よい風がドレスのレースを揺らす。
「王妃様、本日はお招きいただきましてありがとうございます」
リヒトさんに続いて私も正式な礼をする。失礼に当たるのでまじまじと顔を見たりは出来ないが、この国で最も高貴な絶世の美女を前に指先が震えていた。兄は、本当にこんな美しい人を奥さんにしたのか。その度胸だけは褒めてあげてもいい気がした。
「ふふ、そうしていると既に可愛らしい夫婦のようね」
鈴の音を転がすような可憐な声が、笑みを含んだ調子で告げる。この間の舞踏会のときよりも、気さくな雰囲気だ。
「二人とも、顔を上げて。ここには私たちしかいないのだから、もっと楽にして頂戴」
「はい、王妃様」
リヒトさんと被るように返事をしてしまい、それが面白かったのか王妃様はくすくすと笑っていた。言われた通りに顔を上げて、ゆったりとした椅子に腰かける王妃様のお顔を恐る恐る見つめる。今日も今日とて非の打ちどころのないお妃様だ。
「本当に仲が良いのね。リヒトはいつまでも婚約者を決めないものだから、わたくし、心配していたのよ」
「ご心配おかけして申し訳ありません、王妃様。ですが、この通り愛しいご令嬢に出会うことが出来ました」
まだ正式な婚約を結んだわけでもないのに。王妃様の前で下手な話をすれば、この縁談が確約されてしまうのではないかと内心気が気ではなかった。
「リヒトのお相手が、陛下の妹姫だなんて……何て素敵な巡りあわせなのかしら」
うっとりとした調子で私を見つめる王妃様の視線に、何だか頬が熱くなる。いつもはそれなりにそつなくこなしている会話も、王妃様の御前ではまるで駄目だ。
「エナ様は本当に陛下に似ていらっしゃるわ。陛下と同じように、凛としていて、気高くて、美しいのね」
「……私には、身に余るお言葉です」
「どうか、そう硬くならないで頂戴。陛下からエナ様のお話はずっと前からお聞きしていたから、もう随分昔から知っているような気がしてしまうのよ。可愛らしい義妹が出来て、わたくしとっても嬉しいわ」
ゆったりとした、品のある話し方だった。生粋の貴人なのだと嫌でも分かる。そんな完璧な淑女に義妹だと言われてもちろん嬉しいが、緊張するなというのは無理な話だ。
「王妃様、ありがとうございます」
「ふふ、何ならこういった個人の場では義姉と呼んでくださっても良いのよ」
「そんな……恐れ多いです」
「王妃様、エナ様が困っておられますから、その辺になさってください」
リヒトさんは王妃様の従弟というだけあって、私よりずっと親しげな雰囲気だった。王妃様もくすくすと笑って、リラックスしているようだ。
「あら、リヒトに怒られちゃったわ」
新しい家族。リヒトさんも交えた和やかな雰囲気に、ふと、いつかの兄の言葉が思い浮かぶ。もしもこのままリヒトさんと婚約して、この世界で生きていくことを決めたのならば、きっとこんな穏やかな日々がいつまでも続いていくのだろう。夜には兄も交えたりして、その日あったことを談笑するのだ。それは、確かに絵にかいたような幸福で、兄がどんな手段を使ってでも得ようとするだけの価値はあるのかもしれないとさえ思う。
けれども、どうしてもその次に脳裏をちらつくのは元の世界に残してきた両親の姿だ。兄を失くした時の二人の嘆きようを思えば、胸が苦しくなる。きっと、私がいない今も、涙が枯れるほどに悲しんでいるはずなのだ。兄に続いて私までも失ってしまえば、あの優しい両親の人生は間違いなく灰色に染め上げられるだろう。それを確信できるほどには、両親に愛されている自覚があった。
やはり、諦めるわけにはいかない。この世界での幸せな光景を見れば見るほどにその思いは強くなっていく。私はここで生きるべき人間ではないのだ。
「エナ様は何か困っていらっしゃることは無い? ドレスは足りてる? お食事は口に合うかしら?」
王妃様はにこにこと微笑みながら、かいがいしく世話をしてくれようとする。妹が出来たようで嬉しいという言葉は嘘ではないのだろう。
「充分です、王妃様。私には、贅沢すぎるものばかりで……」
「噂には聞いていたけれど、本当に謙虚なのね。……そうだわ、エナ様は今、文字の練習をされているのでしょう? わたくしの持っている書庫を一つ差し上げるわ。お勉強に役立てて頂戴」
「書庫を……?」
本、ではなく書庫ごと贈ろうとしているのか。あまりのスケールの大きさに茫然としていると、王妃様は侍女に何やら囁いて満足そうに微笑んだ。
「わたくしがエナ様くらいの歳のころに読んでいた本もあるの。是非、一緒に語り合いたいわ」
これは、受け取らざるを得ない流れなのだろうか。そうこうしている間に、先ほどの侍女が絹のような光沢のある布に包まれた金色の鍵を差し出してきた。
「第三書庫の鍵でございます」
侍女は顔を伏せながら慎ましく差し出す。思わずリヒトさんの方を窺うも、彼は微笑んで一度頷くだけで助け舟を出してはくれなかった。
散々迷ったが、この状況では受け取らない方が失礼だろうと考え、侍女から金色の鍵を受け取る。持ち手の部分に繊細な装飾が施されており、銀細工を仕事にしている身としては興味を惹かれる。思わずまじまじと見つめてしまった。
「気に入って頂けたかしら……?」
王妃様のその声にはっとして、慌てて淑女の礼を取る。結局、受け取ってしまった。何だか甘やかされてばかりで、駄目な人間になってしまいそうだ。
「ありがとうございます、王妃様。大切に使わせていただきます」
「ええ。リヒトとのお勉強会でもぜひ使って頂戴ね」
礼をしたまま、手の中の鍵を盗み見る。逆に考えればこれはチャンスではなかろうか。王城の書庫ならば、元の世界に帰るヒントがあるかもしれないし、何より王城から東の森までの道くらいならば簡単に調べられるだろう。どんな蔵書があるのか分からないが、どうかこの王国の地図くらいはあってほしいものだ。明日にでも、早速調べてみよう。
「まだ話し足りないけれど、あまりエナ様とリヒトを独り占めしていると皆さんに悪いわね。どうか楽しんできてね」
「はい、失礼いたします」
再びリヒトさんと息を会わせて礼を済ませ、可愛らしい東屋を後にする。王妃様との会話は緊張したが、思ったよりも話しやすい人だった。掌の上の鍵を見つめ、ふっと微笑む。あんな素敵なお嫁さんがいれば、兄は間違いなく幸せだろう。私がいなくても、充分に満ち足りた生活を送れるはずだ。
「今度の勉強会は、そちらの書庫で行いましょうか」
「いいですね。どんな本があるか楽しみです」
これが、元の世界へ帰るきっかけを作る鍵になればよいのだが。こんな願い、決して誰にも言えない。出来るだけひっそりと見つけて、静かに帰りたいものだ。隣で微笑むこの優しい人の傷つく顔なんて、私は見たくないのだから。
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