第24話
人のことを容姿で判別するのはあまり好きではないのだが、こうして向かい合うとリヒトさんの顔立ちの端正さには驚かされる。元の世界で言えば、画面や紙面の向こう側でしか見たことのないような人だ。
そんなリヒトさんの空色の目で、長いこと見つめられていては流石に緊張してしまうわけで。カミラが用意してくれたお茶も、十分に楽しめなくなる。兄さんが婚約だなんて言う話題を出したせいで余計に動揺してしまうのだ。
リヒトさんは、どうやら私の部屋に向かう途中だったようで、気を利かせたカミラが中庭でお茶をする準備を整えてくれた。いつもとは違い、解放感の溢れる小さなお茶会だ。カミラとお話が出来なくなってしまったのは残念だが、わざわざ私に会いに来てくれたリヒトさんを無下にすることもできない。
そういう次第で、こうしてリヒトさんと向き合っているのだ。今日のリヒトさんはやたらと上機嫌で、常ににこにこと人懐っこい笑みを浮かべていた。
「……何か良いことでもあったのですか?」
ティーカップを置きながら、苦笑いと共に尋ねてみる。心が浮足立っているのが手に取って見えるようだった。
「はい、それはもう良いことですよ」
リヒトさんもティーカップを置くと、ふっと笑ってみせた。相変わらず私の目を見つめたままだ。
「もっとも、僕にとっては、なんですが。……縁談の話は、陛下からお聞きになりましたか?」
リヒトさんは何とも幸せそうに微笑んでいた。その表情を前に、あからさまな反応は出来ない。曖昧な笑みを浮かべて、軽く頷く。
「ちょうど今朝、聞きました。……リヒトさんには、ご迷惑をおかけして申し訳なく思っております」
どうか、アンネリーゼ様の耳には届いていませんように。昨夜のような思いをするのはもうたくさんだ。
「何か勘違いをされているようですが、この縁談は僕が持ち出したものですよ」
「え?」
「かねてより、陛下にはエナ様の婚約者候補として認めていただけるようお願いをしていたのですが……ようやく認めていただけて、ほっとしています」
話についていけない。この縁談は、兄が持ち出したものではなかったのか。言葉通り、穏やかに笑うリヒトさんの表情に嘘はなさそうで、余計にどんな表情をしてよいのか分からなくなる。
「……私の婚約者という立場が、それほど魅力的だとは思えませんわ。確かに私は陛下の妹ですけれど、歴史のある血というわけでもありませんし……」
「――エナ様は、僕があなたを身分やら血統だけで判断しているとお思いなんですか?」
ふっと、それまで幸せいっぱいと言わんばかりだったリヒトさんの表情が曇る。澄み切った美しい空色の瞳に、僅かな翳りが差した。
「そういう、わけではありませんけれど……でも、ぽっと出の私を婚約者にする理由なんて他に――」
「いいです、どうやら僕が甘かったようだ。伝わっていないのであれば、わからせて差し上げればいいだけです」
にこりと確信犯のごとく笑うリヒトさんに、何も言えなくなる。今度は何を企んでいるのだ。
「早速ですが、贈り物を。言葉の壁をなくす魔法は今朝陛下がかけて差し上げたと仰っておりましたので、今のところ不便はなかったかと思いますが、魔法具が調達できましたので持ってきたんです。受け取っていただけますか?」
そう言って、リヒトさんはテーブルの隅に置いていた小箱を私の目の前に差し出す。この間と同様に、それは見事な細工が施された小箱だったが、唯一違う点は何やら紋章が刻まれているところだ。
「この紋章は……?」
「我がライスター公爵家の家紋です」
そう言われて、どきりとする。それは、リヒトさんがライスター公爵家の後継者として、王妹である私に贈り物をしようとしていることを表しているのだろうか。公的な意味を含みそうなこのやり取りに、動揺しないと言えば嘘になりそうだった。
「こちらを、エナ様に」
その言葉と共に小箱の中から姿を現したのは、それは見事な空色の宝石だった。以前と同じようにイヤリングとチョーカーに加工されている。陽の光をきらきらと反射させるその様は、存在感があるのに上品な輝きを放っていた。恐らく、この間の宝石よりも更に上等なものなのだろう。宝石類にあまり縁が無かった私でも理解できた。
「こんな……素晴らしいもの、受け取るわけには……」
紋章の刻まれた小箱といい、友人のような関係の私に贈るにはあまりにも上等すぎる宝石といい、これを受け取ってしまえば一層、婚約の話を断りづらくなる未来が見えた。なるべく丁重にお断りしなければ。
「いいんです。いつか恋しい人が現れたときのために、と、ずっととっておいたのですから」
リヒトさんは優雅な所作で椅子から立ち上がると、小箱からイヤリングとチョーカーを取り出して私の背後に回った。驚いて振り返れば、頬に手を当てられて前を向くように促された。そのまま耳元で囁かれる。
「あなたのために、ずっととっておいたのです。エナ様。僕はどうしても、あなたに受け取って頂きたい」
リヒトさんの長い指が、私の耳元の髪を避けると、まるで壊れ物に触れるかのような丁寧さでイヤリングをつけ始めた。幸い、兄が傷を治しておいてくれたおかげで痛みなどはないが、代わりにくすぐったいような気持ちに襲われる。
「あ、あの、リヒトさん……カミラを呼びますから……っ」
今まさにリヒトさんの指が触れている私の耳は、恐らく真っ赤に染まっているのだろう。緊張やら恥ずかしいやらで、妙な心地だ。レディとしてあるまじきことなのかもしれないが、そわそわと落ち着かなくなる。
「どうか、この手で付けさせてくださいませんか? ……それに、この程度の接触には、慣れていただかねば困ります」
唇が触れそうなほど私の耳に顔を寄せて、どことなく意地悪く笑うリヒトさんに、最早返す言葉もなかった。変な汗をかいてしまいそうだ。ぎゅっと手首を握りしめ、いつもより相当早くなった脈を数えて心を落ち着かせようと試みる。
「こちらも失礼しますね」
そう言って、リヒトさんの手で首元に降ろしていた黒髪が横に流される。その毛先の感覚にすら、妙に身構えてしまった。決して不快ではないのだが、恥ずかしくて今にも死にそうだ。不慣れなことはするものじゃない。
ひやりと冷たい感触のチョーカーが首元にあてがわれると、空色の宝石の重みを感じた。だが、首が凝るというほどではない。ゆったりとした王城生活では、気にならないほどの重さだ。
一通りイヤリングとチョーカーをつけ終えたリヒトさんは、私の横でふっと微笑むと、不意にその場に跪いた。ざあ、と風に木々の葉が揺れ、葉に透けた薄緑色の美しい陽の光が揺らめく。
「お綺麗です、エナ様。……どうか、僕の婚約者になって頂けませんか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます