第23話
兄はどうやら傷を治す際に言葉の壁を無くす魔法もかけてくれていたらしく、その後カミラとは普段通りに会話が出来た。私がいつもつけているイヤリングとチョーカーをつけていないことに、ちゃんと気づいていたのだ。
「ご気分は如何ですか……?」
朝食を終え、食後のお茶を嗜んでいるところで恐る恐るカミラが尋ねてきた。その手首には、昨日渡したブレスレットが輝いている。使ってくれていることが嬉しかった。
「ありがとう。もう、大丈夫よ。ぐっすり眠ったら疲れも吹き飛んじゃったわ」
「……傷も治っているようで何よりです。今日はマナーの先生方も来られませんし、ゆっくりなさってください」
舞踏会の翌日というだけあって、流石にマナー講習もお休みらしい。あれだけ実戦練習したのだから、問題ないだろう。
「じゃあ、カミラとお散歩がしたいわ」
「喜んで。では、今日は中庭の噴水の辺りをご案内いたしますね」
この城に来てもう2週間近くが経つが、城の全てを回ったわけではなかった。まだまだ知らない場所がたくさんある。何よりも、カミラと楽しくおしゃべりがしたかった。昨日のご令嬢たちとの会話は一方的に褒められるばかりで疲れてしまったし、アンネリーゼ様たちとの会話はもってのほかだ。カミラと話すときが一番落ち着く。
朝食後、私たちは早速中庭へ足を運んでいた。中心にはそれは見事な噴水があり、その周りを美しい花々が埋め尽くしている。ゆったりとした薄紅色のドレスの裾がふわりと風になびいた。
「随分と大きな噴水なのね」
「はい。先々代の国王陛下がお作りになられたものでございます」
それは随分と歴史があるようだ。改めて感心して眺めてしまう。心地よい水音に耳を澄ませていると、慌ただしい王城での日々の疲れが少しだけ癒されるような気がした。
そっと目を閉じ、音に集中してみる。跳ね返る水の音、風の音、それに混じる人々の声。こうしていれば、元の世界と何も変わりない。今朝の強引な兄の対応といい、無理やり進められそうな婚約話といい、少しだけ現実逃避したくなったのだ。もっとも、このまま現実に向き合うことを恐れてこんな穏やかな日々ばかり過ごしていれば、あっという間に私は兄の手中に収まってしまうのだろうけれど。
幸いなのは、今のところ、この世界に来た時から指にはめられているこの指輪に何の変化もないことだ。閉じていた瞼を開け、手元に視線を落とす。今日も薄紅色の石が、麗しい太陽の光を浴びて輝いていた。
リヒトさんは、この指輪があるうちは帰ることが出来ると言っていた。ということはいずれ、指輪は壊れるか消えるかするのだろう。そのタイムリミットがまるでわからないのが大きな不安要素なのだが、気ばかり急いても仕方がない。この指輪が、不意に突然消えてしまうような、そう言う無くなり方をしないことだけを祈るばかりだ。
今、私に出来ることは、一つずつ着実に情報を集めることだけだ。アンネリーゼ様の件ですっかり意識していなかったが、昨夜の舞踏会では重要な手掛かりを得られた。森に住むという魔女の話だ。兄の張った結界の外で暮らしているとかなんとか言っていた。怪しまれぬよう、まずは結界について探りを入れてみるのが無難かもしれない。
手始めに、私は傍に控えるカミラに向き直って率直に尋ねてみた。
「ねえ、カミラ。昨日の舞踏会でちょっと聞いたのだけれど、兄はこの国に結界を張っているの?」
これだけなら、すぐには魔女の話に結び付くまい。カミラはにこやかな表情を崩さず、ゆったりと頷いた。
「はい、その通りでございます。陛下は魔物を討伐なされた後、この王国の国土を覆うように護りの結界を張られたと窺っております。既に魔物の脅威は去りましたが、蛮族や異端の魔女を防ぐために、それは強力な結界を築かれたそうです」
魔女、という言葉に僅かに反応してしまう。カミラの口から早速その言葉が出るとは思わなかっただけに、多少動揺してしまう。だが、逆に言えばこれは良い機会なのかもしれない。私はただの好奇心旺盛な少女を装って、さらに追及した。
「その、蛮族とか魔女って?」
「はい、蛮族はいわゆる盗賊のような輩なのですが……攻撃に特化した魔法を使用するそうで、辺境の領土によく被害が出ていました。村娘を誘拐したり、富豪の屋敷に押し入ったりと悪逆の限りを尽くしているのです」
それはまた厄介な存在だ。辺境の領主たちの頭を悩ませそうな問題である。
ふと、ここまで滞りなく話していたカミラの表情が僅かに曇る。何かを逡巡するような、こんな複雑な表情のカミラは初めて見た。
「魔女は……この国のきまりを破った魔術師のことです。実は、魔法を使える者は一定の年齢になると神殿にて洗礼を受けるきまりがあるのですが……ごくまれに、そこで魔力が暴走する者がいるのです。それは、その者の保持する魔力が質的に、あるいは量的に異常な場合に起こります。――一説では、魔物の持つ魔力に近いともいわれており、人間にはとても扱いきれるような代物ではありません。そのため、本人の幸福と周囲の人間への影響を考え、その場で魔力を封印されることになっております」
魔法に満ちたこの世界で、魔力を封印して生きていくことが、この世界の人にとってどれだけ辛いことなのかは想像できる。街は発達しているし、魔法を使わない仕事だってないわけではないだろうから、恐らく真っ当に生きていくことは十分できるのだろうが、それでも、一生魔法を使えないという負い目と共に生きていくのだ。魔力を封印されてしまう人の気持ちを思うと、どうしようもなく胸が痛んだ。
「……ですが、まれにいるのです。魔力を封印されることを拒み、逃走を図る者が。大抵はすぐに捕まり、否応なしに魔力を封印されることになるのですが……上手く逃げおおせた者は、魔女と呼ばれる存在になります」
魔女。思ったよりもずっと、苦しい境遇で生きることを余儀なくされているようだ。昨日の舞踏会での人々の口ぶりから、てっきり人を害する存在なのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。無論、本人には制御しきれないというその魔法が暴発して人を傷つけてしまうことはあるのかもしれないが、当人が望んだことではないのだ。
「エナ様は……魔女を討伐なさるのですか?」
「えっ?」
それは、唐突な切り返しだった。魔女を討伐。そんなことを考えてもみなかったが、成程、森に住むという魔女に接触するための口実にはなるかもしれない。
けれども、魔女と呼ばれる人たちの切ない境遇を思うと、そんな残酷なことは出来なかった。噂の魔女だって、森に住んでいるのだから人に迷惑をかけるようなことはしていないのだろう。魔法を守る代わりに、孤独を選んだ。それだけのことだ。確かに人々にとっては脅威かもしれないが、実害がないならばこちらから手を出す必要もない。
「……そんなこと、しないわ。どうして突然、魔女討伐なんて話を……?」
「今朝、朝の支度をしているときに噂を耳にしたのです。魔女討伐を計画している貴族がいる、と。陛下と同じ質の魔力をお持ちであるエナ様のお力をお借りすれば、魔女討伐など造作もないことでしょう。エナ様が望むのならば、それも致し方ないことと存じます。けれど……そのつもりはおありではないのですね……」
カミラは何処か安心したような表情を見せる。まるで、私に魔女討伐に出てほしくないような口ぶりだ。私が無茶をしないか心配してくれたのだろうか。だが、それにしては何か引っかかる。だが、「失礼いたしました」と小さく頭を下げるカミラを前にその違和感を追及することは出来なかった。
「制御しきれない魔力を生まれ持ったのは、魔女のせいではないものね。昨日の舞踏会では皆さん恐れているようだったけれど、私はむしろ、一度お会いしてみたいわ。東の森にいらっしゃるのでしょう?」
「そうですね。とても魔力の強い魔女が住んでいます」
「東の森に行けば会えるかしら?」
真剣に考えていることを悟られぬよう、なるべく無邪気を装って尋ねてみる。どうやら上手くいったようで、カミラはふふっと微笑みながら答えてくれた。
「……魔女の家さえ見つけ出せれば、会えるかもしれませんね。魔女は人前に早々姿を現しませんから」
逆に言えば、魔女の家さえ見つけ出すことが出来れば、魔女と接触できる可能性が高い。後で王城から東の森に向かう道のりを調べてみよう。幸いにも、方角や「城」のような簡単な単語くらいならば、読めるようになっていた。リヒトさんに教えてもらったおかげだ。後で図書室にでも行ってみよう。
ふと、微笑んでいたカミラが軽く頬を染めたかと思うと、すっと私の傍に控えた。突然の行動に戸惑っていると、こちらに近付いてくる背の高い人物に気づく。その手には複雑な紋章の刻まれた小箱が抱えられていた。今日も今日とて、数多のご令嬢を魅了する人懐っこい笑みを浮かべている。
「リヒトさん――」
風が噴水の水滴を浚って、私たちの間をきらきらと照らしていた。
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