第20話

 アンネリーゼ様に連れられるままやってきたのは、王城の庭がよく臨めるバルコニーだった。大広間の中心から離れているせいか、人影は殆どない。舞踏会の音楽だけはしっかりと届いているが、踊る人々の姿は随分と小さく見えた。


「こちらですの。どうです? 月の光に照らされて美しいでしょう?」


「ええ、本当に……」


 青白い月光に照らされた花々は、確かに美しかった。神秘的な魅力がある。状況が状況でなければ、銀細工のモチーフの勉強のためにもっとじっくり眺めていただろう。


「わたくしの髪は、月の光を閉じ込めたようだとよく言われますの。お義兄さまの髪色によく似ているでしょう」


 確かにアンネリーゼ様の白金の髪は、月を思わせる美しさだ。人々がそう称賛するのも納得がいく。


「それに比べてあなたの髪は、夜の闇の色ですのね。見ていて暗い気持ちになりますわ」


 成程、他にも貶すところはあるだろうに、生まれて持った性質を始めに馬鹿にするとは、程度の知れた令嬢のようだ。もっと高度な嫌味を言われると思っていただけに、何だかがっかりとしてしまう。それに、私の髪色を馬鹿にするということは、間接的に国王である兄のことも馬鹿にしているようなものだ。公爵令嬢として、かなり危うい発言なのではなかろうか。


「確かに、アンネリーゼ様の御髪はお美しいですね。けれど、月は夜の闇でこそ映えるものかと存じます」


 しまった。つい、嫌味を言ってしまった。何なら嫌味どころか「リヒトさんにお似合いなのはこの私です」と言っているようなものだ。責任のある身分でありながら、軽率な発言をするこの令嬢に、私は自分で思ったよりも苛ついているのかもしれない。


 アンネリーゼ様は一瞬きょとんとして私を見つめていたが、数秒遅れて含まれていた意味を理解したらしく明らかに不快そうな表情を浮かべる。周りの令嬢たちはたったそれだけのアンネリーゼ様の表情の変化で、狼狽え始めていた。


「……陛下の妹姫だからと言って、自惚れているんじゃありませんこと? お義兄さまは、あなたのような女性は好みじゃありませんのよ。陛下の命で、仕方なくあなたとご一緒しているだけです」


「……何か勘違いをされているようですが、私はリヒト様に特別な感情は抱いておりません。少なくともアンネリーゼ様のお考えになっているようなことは、何も無いかと」


 一方的に決めつけられて、こうして糾弾されるのも大概にしてほしい。実に不毛な言い争いだ。こんな論争をしている暇があるのなら、森に住むという魔女の話を少しでも多くの人から聞き出したかった。あるいは、銀細工を買ってくれているご令嬢たちに、次はどんなモチーフが欲しいか尋ねてまわるのもいい。いずれにせよ。ここにいるよりはずっと有意義な時間を過ごせるはずだ。


「その割に、お義兄さまにつきまとっているではありませんか!」


 アンネリーゼ様の瞳には、明らかな怒りがあった。余程、私が気に食わないのだろう。


「……そのようなつもりはありません。むしろ、リヒト様の方から誘ってくださるのです」


「よくもそのような嘘を……! その宝石だって、あなたがお義兄さまにしつこく強請ったのでしょう!? あるいは、国王陛下にお願いして――」


「このイヤリングとチョーカーは、リヒト様が言葉の自由が利かない私のためにご厚意で用意してくださった品物です。アンネリーゼ様のただ今のご発言、リヒト様のお優しいお心遣いまでも否定しかねないものとお聞きします。撤回を願えますか?」


 王妹である私が、国王である兄に頼んでリヒトさんから贈り物を貰っているだなんて噂が広がったら、あまりにも外聞が悪すぎる。それに、このイヤリングとチョーカーはリヒトさんが私のことを想って作ってくださった魔法具なのだ。その気持ちまでも否定されると、流石の私の苛立ちを隠し切れない。


「うるさいわ! その汚らわしい口を閉じて頂戴!」


 その台詞と共に、アンネリーゼ様が手にしていた扇が投げつけられ顔面に当たった。当たり所が悪かったらしく、口の端が少し切れたようだ。口元を拭った指先に付着した血を見て、アンネリーゼ様の周りにいたご令嬢が多少の動揺を見せる。皆、血など見慣れぬ箱入り娘だから仕方ない。


 アンネリーゼ様はこれで私が泣き崩れるとでも思ったのか、ふっと勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。まあ、恐らく生粋の貴族として育ったご令嬢であれば、こんなことをされれば立ち直れないほどに傷つくだろう。だが、私にとっては口の端が切れるくらい何てことは無かった。私は強い意志を込めてアンネリーゼ様を見つめ返す。


「……自分の思い通りにならなければ、暴力に走るのですか? あなたは今までも他のご令嬢にこのようなことをされてきたのですか?」


 どれだけのご令嬢が涙を流してきたのだろう。中には私のように、あらぬ疑いをかけられて糾弾されたものもいたはずだ。


「……本当に煩い人ね。いいわ、じゃあこうすれば黙るでしょう」


 その瞬間、アンネリーゼ様の白い手が私の耳と首元に伸びた。そしてイヤリングとチョーカーを強引に外していく。無理やりイヤリングを外された耳に鋭い痛みが走った。思わずその場に崩れ落ちてしまう。


 ぽたぽたと滴った赤い血を見て、周りのご令嬢たちが顔を引きつらせる。中には私に駆け寄ろうとするご令嬢もいたが、アンネリーゼ様の手前、それも叶わなかったようだ。


 リヒトさんの魔法具を奪われてしまった以上、私はもう相手の話を理解することも、自分の思いを主張することも出来ない。アンネリーゼ様は私から無理やり奪ったイヤリングとチョーカーを手にして、何やら長々と述べていた。多少この国の言語を勉強したとはいえ、その言葉を完全に理解できるレベルには至っていない。悪態や汚い言葉であれば尚更知らなかった。


 私が、大人げなかったのだろうか。自分の感情や信条を押し殺して、へらへらと笑っていればよかったのだろうか。この世界に執着がないのだから、あるいはそれも良かっただろう。けれども、私に親切にしてくれるリヒトさんの想いや、人の生まれ持った性質を馬鹿にするアンネリーゼ様の軽薄さはどうしても許せなかったのだ。


 だから、これでよかった。結果的に痛みも屈辱も与えられたけれど、感情や信条を守る方がきっと大切だ。自分の心に一応の折り合いをつけて、アンネリーゼ様の罵詈雑言らしき言葉に耐える。


 ひとしきり言いたいことは言ったのか、アンネリーゼ様は傍にいたご令嬢からグラスに入った赤ワインのような飲物を受け取ると、迷うことなく私にかけた。既にドレスは血液で汚れてしまっているし、今更それは大して応えないが、ただふっと空しくなっていく。


 どうやらこれで満足したらしいアンネリーゼ様は、周りのご令嬢を引き連れて大広間の中心へと戻っていた。イヤリングとチョーカーは手に持ったままだ。そんな足をつくものをいつまでも手元に置いてどうするつもりなのだろう。そこまでして、リヒトさんの瞳と同じ色の宝石が欲しかったのか。随分と激しい恋情だ。私は未だそんな感情を経験したことがないので、ある意味羨ましくも思えた。


 ふらふらと立ち上がり、私はバルコニーの柵に寄りかかった。少しだけ身を乗り出してみれば、月光に照らされた庭が一層近くに見える。


 いつまで、こんな生活が続くのだろうか。何だか元の世界の家が恋しくなってしまった。王妹としてではなく、「瑛奈」である私が尊重される場所。感情も信条も踏みにじられることなく、伸びやかに息が出来る場所。


 掌に付着した血液を見ていると、ぽつりと透明の液体が落ちた。慌てて自分の目元に手を当ててみれば、ぼろぼろと大粒の涙を流している。この境遇を嘆いたって仕方がないのだと、王妹として暮らすことが決まってからは泣かないようにしていたのに、どうやら限界だったようだ。小さく嗚咽を漏らしながら、次々に零れる涙を拭う。


「……お父さん、お母さんっ……」


 まるで子供みたいだ。我ながら情けない。でも、どうしても今すぐ両親に抱きしめてほしかった。私が私として生きているだけで、喜んでくれる二人に。私の心を尊重して、包み込んでくれる二人に。 


 背後からは華やかな舞踏会の音楽が聞こえてくる。私は一人、月の光の下で嗚咽を交えながら泣き続けたのだった。

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