第19話
煌びやかな照明に目が眩むようだ。それほど人口密度が高いわけでもないのに人々の熱気に気圧されてしまう。恐らく、無遠慮と言ってもいいほどに注がれる視線のせいだと思うが。
「エナ様、こちらの銀細工、本当に素晴らしいですわ。私、すっかり虜になってしまいましたの」
「私も、お父様におねだりをしてしまいましたわ。どうしても、エナ様がお好きなお花のモチーフのものが欲しくて……」
兄や美しい王妃様に恙なく挨拶を終えた後、私はリヒトさんの紹介で、同年代のご令嬢と会話を弾ませていた。初めは一人の侯爵令嬢を紹介されただけだったのに、気づけば私の周りには10人近くのご令嬢が集まっている。このちょっとした人だかりは、余計に会場の人々の視線を集めていた。
幸いにも、私に攻撃的な令嬢はおらず、今のところ銀細工の話題ばかりだ。アンネリーゼ様の姿が見えないことだけが恐ろしいのだが、今は彼女たちとの会話を楽しんでもよいだろう。もっとも、一方的に称賛をされたりするだけで先ほどから会話らしい会話は成り立っていないのだが。
「今日のドレスも本当に素敵ですわ。リヒト様から贈られたんですの?」
「いえ、これは陛下からの――」
「まあ、陛下がエナ様を溺愛されているという噂は本当でしたのね!」
「羨ましいですわ、あのような素晴らしいお兄様がいらっしゃって……」
「わたくしの領や民は、陛下のおかげで救われたのです。魔物を一掃されたと窺った時には、本当に涙が出るほど感謝いたしましたの」
あっという間に話題は兄に移る。兄との関係は微妙な状態である今は、曖昧に笑うことしか出来なかった。
だが、兄の実力は本物だったようだ。どれだけ自分勝手に見えても、人の命を救ったことは確かであるし、この国への貢献は大きいのだろう。誰もが兄を慕う理由はよくわかった気がする。兄の成し遂げたことは偉大なことだという家臣たちの言葉は嘘ではなかったようだ。
「エナ様は陛下によく似ていらっしゃいますのね。その黒髪と黒目、惚れ惚れとしてしまいますわ」
「ご兄妹揃ってお美しいだなんて、羨ましい限りですわ!」
「そんな……褒めすぎです」
本当にどんな表情をしていいのか分からなくなるが、先生に教え込まれた通り、微笑みを崩さずに対応する。リヒトさんに助けてもらいたいところではあるが、彼はこのご令嬢たちのパートナ―の男性と会話をしているようなので難しいだろう。終わりの見えない称賛の嵐にただただ微笑み続けることしか出来ない。
「ところでエナ様、リヒト様とはどんなご関係ですの?」
「ちょっと、いきなり踏み込みすぎよ……」
「いいじゃない。あなたも気になるんでしょう?」
遂にこの話題が来たか。一瞬微笑みが崩れそうになる。この場にいるご令嬢は一見すると私に好意的であるし、貶されるようなことは無いと思うが、噂が広がってしまいそうだ。上手く立ち回らねばならない。
「リヒト様とは、お友だちです。いろいろと親切にしていただいて、感謝しておりますわ」
慎重に言葉を選んでごく自然に答えたつもりだ。だが、年頃のご令嬢たちは満足いかなかったらしい。
「でもリヒト様がそうとは限りませんわよ、エナ様。リヒト様がご自分の瞳と同じ色の宝石を女性に贈るだなんて、初めてのことですもの!」
「巷ではリヒト様とエナ様がご婚約なされるのでは……と噂されているほどですわ!」
「今日のお二人のご入場の際も、まるで絵画を見ているような心地でしたのよ」
きゃっきゃと華やかな声を上げるご令嬢たちをみていると、クラスの華やかな女子を思い出す。皆、この手の話題が好きだから困る。それを悪いこととは思わないし、私だって嫌いなわけではないのだが、今回は相手が悪すぎる。下手な噂を広めれば自分の首を絞めかねない。
「これは……言葉の壁を乗り越えるための魔法具です。特別な意味はないと思いますよ」
「あら、お義兄様の瞳の色の宝石を貰ったことのない私たちに対して、随分な嫌味を仰るのね?」
耳に残る、美しい声。ご令嬢たちの顔色がさっと変わるのが見て取れた。そして、すぐにその声の持ち主に場所を空けていく。初めにリヒトさんに紹介された侯爵令嬢だけが、私の傍に残った。
ご令嬢たちの間を割って姿を現したのは、綺麗に巻かれた白金の髪を揺らす美少女だった。深い緑色の瞳は、それこそ宝石のように神秘的な輝きを秘めており、状況が状況でなければ、ほうと溜息をつきたくなるほどだ。深緑と淡い緑を重ね合わせた豪華なドレスも、彼女の陶器のような白い肌によく映える。付き従うように彼女を取り巻くご令嬢たちも、それは目を見張る美少女ばかりで、私など足元にも及ばなかった。
私の傍に残った侯爵令嬢が、どことなく気まずげに口を開く。何だか気の毒だ。恐らく、この会場内で最も空気が張り詰めている空間に取り残されたのだから。
「エナ様……こちらは、ライスター公爵家のご令嬢、アンネリーゼ様ですわ」
ついに来たか。バレない程度に息を呑みながら、何とか微笑みをキープする。そうしてなるべく優雅に礼をしてみせた。
「お初にお目にかかります。国王陛下の妹のエナ・シグレと申します」
深い緑色の瞳は、まるで品定めをするように私を見つめていた。案の定好戦的な態度だっただけに、ドレスをつまむ手が僅かに震える。
「ご丁寧にどうも。アンネリーゼ・ライスターですわ。義兄がお世話になっております」
怖い怖い。リヒトさんの話題が出るだけで冷や汗をかきそうだ。一度も崩していなかった微笑みが引きつったような笑みになる。
「アンネリーゼ、来てたのか」
ふと、すぐ傍で男性陣と会話をしていたリヒトさんが、アンネリーゼ様の姿を認めるなりこちらに顔を出す。思わぬ助け舟だろうか。
「お義兄さま! ええ、わたくしもエナ様とお話がしてみたくって……」
明らかに声色が変わる。ここまで来ると見事なものだ。リヒトさんはこの態度の違いに気づいていないのだろうか。
「そうか。エナ様に失礼のないようにね、アンネリーゼ」
リヒトさんの態度は明らかに兄が妹に接するときのそれであり、色恋的な面は微塵も見受けられない。アンネリーゼ様の気持ちに気づいてそう振舞っているのだとしたら、ある意味残酷なことだ。
「お義兄さまは何のお話をされているの?」
「東の森の魔女のことだよ」
私と話がしたいという建前の割には、随分とリヒトさんと話し込んでいる。時折、目配せするように視線をこちらへ向けるのは、優越感の表れなのだろうか。周りのご令嬢たちは、あれ程賑やかにお喋りに花を咲かせていたというのに、すっかり委縮してしまっている。おかげで嫌でもアンネリーゼ様とリヒトさんの会話が耳に入ってくる始末だ。
「まあ、噂の森の魔女ですの……? 何か悪さをしているんですの?」
「いや、心配するようなことは無いよ」
「でも、怖いですわ。恐ろしい魔力を持っていると聞きますし……陛下の張られた結界の外で暮らしているなんて、魔物同然じゃありませんか。お義兄さま、もしも魔女が襲ってきたら、アンネリーゼを守ってくださいましね」
アンネリーゼ様は見事に甘える口実を作り出し、リヒトさんの腕に擦り寄っていた。婚約者でもない男女が、とマナーの先生が見れば眉を顰めそうな光景ではあるが、アンネリーゼ様を叱れる大人も限られているのだろう。皆が見て見ぬ振りをしてるようだった。
それよりも、私は二人の会話の内容が気になっていた。兄の張った結界の外、というフレーズが引っかかる。兄の張った結界というものについてはまるで知識がなかったが、もしかすると、思わぬところで情報が手に入ったのではなかろうか。どくん、と心臓が跳ね上がる。もし、兄の魔力が及んでいない人がいるのであれば、会ってみる価値はある。もしかすると兄の敷いた箝口令が効いていないかもしれない。
「あの、魔女って一体どういう方なのかしら……?」
私はアンネリーゼ様とリヒトさんの会話を邪魔しないよう、傍に立っている侯爵令嬢に尋ねた。本当は先ほどまでリヒトさんと話をしていた男性陣に訊きたいところだが、流石に不自然な行動だろう。箱入りのお嬢様から聞ける情報など僅かだろうが、こうしてさりげなく情報収集をしていけばいい。
侯爵令嬢は、少し驚いたように目を見開いていたが、すぐに口を開いた。
「この王国の東にある森には、恐ろしい魔女が住んでいると噂されておりまして――」
その言葉を、最後まで聞くことは叶わなかった。不意に私の耳が塞がれたからだ。とはいっても、音は十分に聞こえているので、正確には私の耳を塞ぐような仕草をしたその人物に令嬢が口を閉ざしてしまったのだろう。
「困ります、我が愛しのエナ様にそのような恐ろしいお話をされては」
「……リヒトさん?」
周りのご令嬢の頬が赤く染まる。アンネリーゼ様とお話をしていたはずなのに、いつの間に私の背後に回ったのだろう。だが、紳士的ではないはずのその行動を咎められる者はここにはいなかった。
リヒトさんは背後からそっと耳元に顔を寄せ、囁くような声で耳打ちする。
「……魔女の話を聞いて、この世界から逃げられるかもしれないとでもお思いになりましたか?」
何の反論もできない。ここまで見抜かれるとは、兄が優秀だと言っただけのことはあるようだ。
「いいですか。逃げようだなんて、考えないことです。もう無理だってあなたも分かっているでしょう? あまり強情だと、私も陛下と同じくらい酷いことをするかもしれませんよ?」
「……悪い冗談ですね」
吐き捨てるように呟いて、背後のリヒトさんを振り向けば、彼はいつも通り穏やかで人懐っこい笑みを浮かべていた。その笑顔で、今もご令嬢たちの視線を独占しているのだろう。
「冗談で済むといいですね」
にこやかに笑い、リヒトさんは私の頬にかかった髪を耳にかける。その仕草に背後でご令嬢たちが息を呑むのが分かった。生憎、なかなかに物騒なことを言われた身としては素直にときめくことは出来ないのだが。
リヒトさんは王道の王子様のような見た目をしていながら、その実はよくわからない人だ。「私を傷つけてまで叶えたい想いではない」だのと宣っておきながら、今度は私を傷つけかねない発言をする。どちらが本当のリヒトさんなのかまるで分らない。
「……情緒不安定なのかしら? それとも兄の手前、紳士的に振舞っただけ?」
ぼそぼそと独り言をつぶやきながらご令嬢たちの方へ向き直ると、こちらを殺さんばかりの眼力で睨みつけるアンネリーゼ様の姿があった。すっと冷や汗が首筋を伝う。
今の一連のリヒトさんとのやり取りは、当然見られていたのだろう。傍から見れば、リヒトさんが愛を囁いているように見えたかもしれない。いや、実際頬を赤く染めるご令嬢たちの反応を見るに十中八九そう見られただろう。これは頭に来るはずだ。自分との話を遮って、他の女に愛を囁きに行ったようにしか見えないのだから。
何か言い訳をしようかとも考えたが、何か言えば言うほど相手の反感を買うだけのような気がした。どうして私がこんなに気まずい思いをしなければならないのだ。兄と言い、リヒトさんといい、私はここ最近男性に振り回されっぱなしだ。
「エナ様、実はこの時間帯、お庭のお花がそれは美しく見えますのよ。良かったらご一緒しませんこと?」
アンネリーゼ様は深緑の目を細めて、可愛らしく笑う。だが、捉えようによっては魔女の笑みと言われても納得できるだけの凄みがあった。行けば間違いなく、ろくなことにはならない。だが、この空気の中で断る術も持たぬ私は「喜んで」と微笑む他に無かった。
「アンネリーゼ、くれぐれもエナ様がお疲れになることなど無いように注意してくれよ」
ああ、リヒトさん。頼むから今はあなたは何も言わないでくれ。いくらアンネリーゼ様の想いに気づいていないとはいえ、その発言はまさに火に油を注ぐ行為に等しい。現に、美しく整ったアンネリーゼ様の笑みが僅かに引きつっている。
「ええ、ご心配には及びませんわ。では参りましょう、エナ様?」
「よ、よろしくお願いいたします……」
アンネリーゼ様を先頭に、私はその三歩後ろを歩く。周りはアンネリーゼ様の取り巻きに囲まれてしまった。気乗りしないせいか、一歩一歩がやけに重い。これから処刑される罪人の気分だ。
でも、私がアンネリーゼ様の立場だったら、確かに文句の一つや二つ言ってやりたくなるかもしれない。不可抗力だったとはいえ、それほどのことを私はしでかしてしまったのだ。謹んで、文句も悪態も受け入れよう。そうしてできれば、誤解を解くことが出来ればいいのだが、ちらりとこちらを振り返ったアンネリーゼ様の剣幕に高望みはしない方がよさそうだと小さく苦笑いを零す羽目になったのだった。
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