第18話

「お綺麗ですわ、エナ様」


 舞踏会当日、私は兄の用意した薄紅色のドレスに身を包んでいた。見るからに上質な生地を使っている上に、花を模ったような装飾部分には宝石の類が埋め込まれている。けれども決して華美ではなく、王妹らしい上品さも兼ねそろえていた。悔しいが、センスのいいドレスだ。元の世界にいたころから兄のセンスは悪くなかったが、この世界で暮らすうちに更に磨きがかかったようだ。


「こんな素晴らしいドレス、どなただって真似できませんわ」


 カミラの傍に控えているメイドが次々に称賛の声を漏らす。嫌味ではないのだろうが、こんな見事なドレスでは余計に注目を集めてしまうではないか。困ったように苦笑いをすれば、姿見越しにカミラと視線が合った。


「失礼ながらエナ様……今日の舞踏会で目立たずに過ごすことは、その……とても無理だと思います。例え、このドレスが黒一色の無地のものであったとしてもです」


 カミラは気まずそうに視線を伏せた。何も彼女のせいというわけではないのだから、そんな表情はしないでほしい。私は精一杯の笑顔でカミラたちに向き直る。


「いいのよ。ありがとう、綺麗に飾ってくれて。これで舞踏会を楽しめそうだわ」

 

 名前も知らぬメイドたちが頬を軽く染めて私を見つめてくる。そんな目で見つめられるほどの何かが、私にあるとは思えないのだが。


 やがて、メイドたちはカミラに何やら指示をされ、下がっていった。私室には、私とカミラの二人だけが残る。もうすぐ、リヒトさんが迎えに来るだろう。彼の瞳と同じ色の石が嵌めこまれたイヤリングとチョーカーを改めて見つめる。案外、薄紅色のドレスにも似合うから不思議だ。いいアクセントになっている。


「エナ様、こちらもお付けください」


 カミラが差し出してきたのは、舞踏会に向けて自分用に細工した銀のブレスレットだった。例の薄紅色の花をモチーフにした銀細工が鎖のように連なっている。なかなか私好みの作品に仕上がったと思う。


「ありがとう。実はこれ、対になるブレスレットがあるのよ」


 カミラにブレスレットをつけてもらったのを確認して、私はドレッサーの前に歩み寄った。そうして濃い紫色の布に包まれた銀細工をカミラの前に差し出す。


「一見すると同じものだけれど、花の連なり方が対になっているの。良かったら受け取ってくれる?」


「エナ様……」


 カミラは目に涙を浮かべそうな勢いでブレスレットを手に取った。そして恐る恐る自分の手首に合わせる。


「こんな素敵なもの……よろしいのですか?」


「もちろん! カミラは私のお友だちだもの。お揃いのブレスレットをつけていると思えば、舞踏会中も頑張れそうな気がするわ」


 カミラは男爵令嬢だが、今日の舞踏会には参加しないそうだ。私のメイドとして徹するらしい。つまり、舞踏会中は殆どカミラに接触できないと言ってもいいのだ。これほど心細いことがあるだろうか。


「お友だち……ですか。嬉しいです。では、メイドとしてではなく、カミラとして受け取りますね」


 カミラは仕事中には滅多に見せない柔らかい笑顔を浮かべ、淑女の礼をした。私も思わず微笑んでしまう。本当にこのブレスレットがお守りのような気がしてきた。


 少し開いた窓の外は、いつになく賑やかでまるでお祭りが始まるような空気感だ。ふわりと迷い込んできた風に、手の甲につけたハンドクリームが甘く香った。出来れば何事もなく舞踏会が終わればいいのだが。


 ふと響いたノック音に、カミラが私に軽く礼をしてドアの方へ向かう。いよいよだ。私はハーフアップにまとめた黒髪を揺らして、気合を入れながら姿勢を整える。


「エナ様、リヒト様がお越しです」


 カミラの声に、私は彼女の方を振り返り一歩踏み出した。慣れないヒールの靴でも、歩かなければならないのだ。


 開かれたドアの先では、御伽噺の王子様のごとく完璧な立ち居振る舞いで私を待つリヒトさんの姿があった。彼は私を認めるなり、人懐っこいあの笑顔を見せる。


「お迎えに上がりましたよ、エナ様」


「……今日はよろしくお願いいたしますね」


 小さくはにかむように微笑んで、自然な仕草で腕を組む。すべてマナー講習で叩き込まれた通りに行えばいいのだ。私に合わせてゆっくりと歩いてくれるリヒトさんの息遣いを普段より傍で感じながら、私たちは舞踏会の会場である大広間へと向かった。



 



 王家主催の舞踏会というだけあって、会場の外でも随分な賑わいだ。煌びやかな衣装に身を包んだ人々の他にも、各家の使用人らしき人々も大勢いるようだ。すれ違う人々の視線を奪っているのは、私ではなくリヒトさんだと思いたい。


「あまり、緊張されていないようですね」

 

 大広間のドアを前にして、リヒトさんがにこりと笑う。彼はこういう場は飽きるほど来ているのだろう。服装以外は、普段と何一つ変わらぬリヒトさんだった。


「そんなことはありません。何せ、こういう場は初めてですから……」


 最低限のマナーは教わったことだし、下手な真似をしなければ恥をかくようなことは無いだろうが、それでも緊張するものは緊張する。軽く深呼吸をして、心を落ち着かせようと試みる。


「実は僕も緊張していますよ。妹以外の女性をエスコートするのは初めてなんです」


「それは……アンネリーゼ様に悪いことをしてしまいましたね」


 正直、私の一番の緊張の原因はアンネリーゼ様だと言っても過言ではない。会う前からどこか怯えている私がいる。


「妹は、そろそろ婚約者でも見つけるべき年頃です。ちょうどよい機会だと思っていますよ。……何より、僕はエナ様をエスコートできて嬉しいんです」


 リヒトさんは甘い笑みを見せて私の目を見つめる。そういう行動を伴うから、社交辞令を本気で受け止めてしまう令嬢が出てくるのではないだろうか。


「そう言って頂けて光栄です」

  

 あくまで社交辞令として受け取り、マナーの先生に教わった微笑みを見せる。これで完璧なはずだ。思いがけぬところで予行演習が出来た。


 リヒトさんは何か言いたげな顔をしていたが、開き始めたドアを前に断念してようだった。声高に、私とリヒトさんの名前が呼ばれる。


「行きましょうか」


「ええ」


 いよいよ始まるのだ。手首に触れるブレスレットの感覚を確かめながら、私は未知の世界へ踏み出したのだった。

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