第15話
翌日、私は応接室で老齢の執事と対面していた。その隣にはなぜかリヒトさんまでいる。何事かと身構えてみれば、告げられた内容に拍子抜けしてしまった。
「……私に、お仕事をくださるのですか?」
頼んだ時にはあまり芳しくない反応だったので、こんなにも早く事が動くとは意外だった。リヒトさんが口添えをしてくれたりしたのだろうか。
「はい。エナ様には、こちらの銀から銀細工を造って頂きたく思います」
「銀細工……ですか」
細工の施された木箱には、銀の地金が入っているようだった。随分と本格的で専門的な仕事を依頼されているような気がする。銀細工と言ったら、この地金を熱したり、叩いたり、彫刻したりするのだろう。ただの学生の私には、まるで経験のない分野だった。
「はい。貴族のご令嬢の間でも、最近趣味として流行っているのですよ。魔法の練習にもなりますし、何より、エナ様のお作りになられたものであれば、お守りとして誰もが手に入れたいと願うでしょう」
「ま、魔法を使うんですか……? でも、私……」
「ご安心ください、エナ様。僕が教えて差し上げますよ」
リヒトさんがにこりと笑うと、失礼しますと断ってソファーに座る私の隣に移動してきた。昨日のアンネリーゼ様の話を聞いただけに、少しだけ意識してしまう。誤解を招くような行動は慎まなければ。
「こちらを両の手にお持ちください」
リヒトさんは木箱から、ビー玉サイズの銀をそっと私の手に乗せた。ひやりとした感覚が心地よい。
「銀を両手で包んでください」
私は小さな銀をふわりと両手に握りしめた。まるで銀が逃げ出さないように守っているみたいだ。
「もう少し、強く握って頂いて構いませんよ」
その言葉と共に、リヒトさんの手が私の両手に添えられ軽く握られる。私自身、このくらいの接触は何とも思わないのだが、部屋の隅でカミラが軽く頬を染めていたので、人前ではこの程度の接触も避ける必要がありそうだ。
リヒトさんは私から手を離すと、地金が入った木箱より小さな箱から銀細工を取り出した。あの薄紅色の花を思わせる形で、立体的な構造をしている。
「後は簡単です。銀が温まるように念じて、頭の中で形を想像するだけです。手始めに、こちらの銀細工を模倣してみてください」
「リヒト様、そちらは……」
執事の男性が何やら言いかけたが、リヒトさんは穏やかな笑みでその言葉を止める。何を言いかけたのかまるで分らないが、今はとにかくやってみるしかない。リヒトさんの言われた通りに、銀が温まるよう心の中で念じ、目の前の銀細工の形をしっかりと覚えてから目を閉じて脳内でその形を描いた。
すると、確かに手の中で冷たかった銀の塊が温まるのを感じた。しかしながら、火傷をするような温度ではない。お風呂のお湯くらいの心地よい温かさだ。
そっと目を開け、両手を開いてみる。そこには、どこまでも手本に忠実な銀細工があった。どうやら上手くいったらしい。
「リヒトさん!」
「素晴らしいです、エナ様。やはり、上質な魔力をお持ちですね」
リヒトさんは私の手から銀細工を受け取るとあの人懐っこい笑顔を見せた。心から褒められている気がして、少し嬉しくなってしまう。
「これは……流石は陛下の妹姫であられるだけのことはある……」
執事の男性は、呆気にとられたような表情で私の作った銀細工をリヒトさんから受け取っていた。売り物になるような品質に仕上がっていればいいのだが。
「改善すべきところがあれば、教えていただきたいのですが……」
私はリヒトさんと執事の男性に教えを請うた。お金をもらう仕事をするのはこれが初めてなので、それなりに緊張してしまう。
「直すなんて、とんでもありません、エナ様。魔法学院を卒業しても、これだけ精巧に作れる者は一握りです。それこそ、上級魔術師になるレベルの学生でないと」
「そ、そうなのですか……」
もともとあちらの世界で美術などは好んでいたこともあって、このような魔法とは相性がいいのかもしれない。楽しく取り組めそうな仕事で何よりだ。
「この手本は、陛下が作られたものなのですよ。エナ様が例の薄紅色の花を気に入っておられることを知り、このために作ったくださったのです」
リヒトさんはやはり、私と兄の橋渡しを頼まれているのかもしれない。未だに、帰る手段を奪われたという怒りは収まっていなかったが、このように細やかな心配りをするところは嫌いになれない。
どう言葉を返そうか悩んでいると、リヒトさんは沈黙を答えと受け取ったのか小さく苦笑いを零した。手本の銀細工を小さな箱にそっと仕舞う。
「銀細工は楽しめそうですか?」
リヒトさんは、改めて私が作った銀細工を眺めていた。照明の光に煌めくそれは、ペンダントにでも加工できるだろうか。
「はい。こういったことはもともと好きですし……もっとたくさん作りたいです」
「では、後でより多くのお手本をお持ちしましょう。王都で流行っている物から、昔ながらの細工まで何でも揃っていますよ」
他にどんな細工が出来るだろう。魔法という存在も相まって、妙に心が躍っていた。
「エナ様の銀細工を売って得た収益は、銀を用意する分に使ったお金以外は全てエナ様の許へお持ちいたします」
そう執事の男性に切り出され、驚いてしまう。それでは彼らの仕事が増えただけではないか。
「どうか、売る手配をしてくださった方にも相応のお金を渡してください。それに、収益はもともと生活費を稼ぐために使いたいと思っておりましたので、そのまま私に使ったお金の補充に当ててください」
それでもこの豪華な生活のお金を補うにはきっと足りないのだろう。結局は自己満足でしかないのかもしれない。
「……承知いたしました。では、それらすべてを決裁した上での余剰金をエナ様にお渡しいたします」
「……そんなに余るはずはないと思いますけれど、分かりました」
たかが銀を細工した程度でそこまでの収入があるはずがない。名の知れた職人というわけでもないのだから。それに、生活費を少しでも補えたら、兄に養われているだけではないのだという自信に繋がると思ってのことだったので、お金自体にそれほど執着はなかった。
「お仕事を増やしてしまってごめんなさい。少しだけ心が軽くなりました」
にこりと笑ってリヒトさんと執事に告げれば、二人とも穏やかな表情で見守ってくれていた。本当に人に恵まれている。
「このくらい、何てことありませんよ、エナ様。何か困ったことがありましたら、すぐにお申し付けください」
「ありがとうございます」
その日から、私は朝の時間と夜眠る前の小一時間ほどを使って銀細工を作り始めた。銀の在庫については心配無用だと言われたので、その言葉に甘えて試行錯誤しながらあらゆるモチーフの銀細工を生み出した。元の世界に戻ることが出来たら、こういう職に就くのも楽しいかもしれない。そう思うくらいには私の性にあっていた。
「これは流行りますよ」とカミラに言われた通り、王都中の令嬢がお守りと称して私の銀細工を身に着けていることを知るのは、もう少し後のことである。
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