第14話

 街の散策から戻り、夕食を済ませ、カミラが用意してくれた食後のお茶で一息つく。僅かに開かれた窓から夜風が忍び込んでカーテンを揺らしていた。あちらの世界と違って、夜は静かなものだ。


「リヒト様とのお出かけはいかがでしたか?」


 一口サイズのお茶菓子をテーブルに置きながら、カミラは微笑んだ。まだ出会って三日しか経っていないのに、彼女の顔を見ると安心している自分がいる。カミラのような優しい人が傍にいてくれてよかった。本当に、周りの人たちに恵まれているのは不幸中の幸いとでもいうべきだろうか。


「何もかもが新鮮でとっても楽しかったわ。……そうそう、カミラにお土産があるの!」


「私に、ですか?」


「ええ、ちょっと待ってね」


 私は席を立ち、寝室のドレッサーの上に置いたハンドクリームの包みを手に戻る。紙袋にも香りづけされているのか、ふわりと甘い香りが漂った。


「どうぞ。……気に入ってくれればいいのだけれど」


「……よろしいのですか?」


「もちろん。開けてみて」


 カミラは丁寧に紙袋を開けると、シンプルなケースを取り出しまじまじと眺めた。そうしてぱっと表情を明るくする。


「これ、今、王都で大人気のお店の物ではありませんか……! 嬉しいです、エナ様。実はずっと欲しかったのですが、なかなか買いに行く機会もございませんでしたので……」


 ケースの外から香りを楽しむカミラの表情は生き生きとしていた。完璧なメイドとして働いていても、こういった面は年相応の女性らしい。贈った私も嬉しくなってしまった。


「気に入ってくれてよかったわ。私もハンドクリームを買ったの。……本当は自分で稼いだお金で買いたかったけれど、今日はリヒトさんに甘えちゃった」


「リヒト様がエナ様をこのお店へご案内したのですか?」


「ええ、そう。何でも妹さんが気に入っていらっしゃるらしいわ」


 カミラなら言っても問題ないと思うが、リヒトさんの妹さんが実際に店に足を運んでいることは内緒にしておこう。公爵家の令嬢がお忍びとはいえ気軽に街を歩いているというのは、少々外聞が悪いはずだ。


「ああ、アンネリーゼ様ですか……」


 カミラが一瞬苦い顔をしたか後思えば、そのまま何かを逡巡するように視線を泳がせた。


「……どうかしたの?」


「……リヒト様の妹様はアンネリーゼ様という方なのですが……」


 カミラはすぐに口を噤んでしまう。余程言いづらいことなのだろうか。


「私に言っても誰にも広まらないわ。大丈夫よ」


 私がまともに話をしている相手など、カミラとリヒトさんしかいないのだ。広がりようがない。カミラはじっと私を見つめると、どことなくうんざりとした様子で口を開いた。


「アンネリーゼ様は、大変お美しく、公爵家の令嬢の気品に満ちた方なのですが……リヒト様に執着しておられるのです」


「執着? 単にお兄さんに懐いているというわけではなくて?」


「懐いているというような可愛らしい表現ではございませんよ。……はっきり申し上げますと、アンネリーゼ様はリヒト様に恋をしておられるのです」


「こ、恋……?」


 確かにリヒトさんは魅力的だが、実の兄だろう。禁断の関係というやつなのか、あるいはこの世界では許されていることなのか知らないが、それなりに驚いてしまう。


「実は、リヒト様は公爵の実のお子様ではなく、遠いご親戚から養子として公爵家に迎えられた方なのです。ですから、アンネリーゼ様とは本当のご兄妹ではあられません」


「……そうだったの」


 そういう訳なら理解は早い。突如現れた魅力的な義兄に憧れ、やがて恋に落ちることは想像に難くなかった。


「問題なのはここからなのです。ただ恋をしているだけならば微笑ましいものですが、アンネリーゼ様はリヒト様に近づく女性や婚約者候補になりそうなご令嬢に、それは厳しく詰め寄るのです。……時には嫌がらせまがいのことまでなさいます。当然責められるべきなのですが、何分公爵家という高貴な身の上であらせられますし……非常に上手く立ち回られるので、このことは殆ど女性の間でしか広まっていないのです」


「それは……なかなか激しい方ね」


「……カミラは心配なのです。あのご令嬢に、エナ様が狙われはしないかと」


 そう言われて、どきりとする。今日は随分とリヒトさんと仲良くしてしまった。どうせ、明日の新聞にでもこのことは載るのだろう。あっという間に噂は広まるはずだ。そうなれば、カミラの話を聞いている限りでは、アンネリーゼ様に責められてもおかしくはない。


「もちろん、王妹であらせられるエナ様の方がアンネリーゼ様より身分は高いですから、そう派手なことは仕掛けてこないと思いますが……それでも不快な思いをされることがあるかもしれません」


 自ら望んでこの世界にいるわけではないとはいえ、私の存在を面白く思わない人は当然いるだろうと思っていた。こんなぽっと出の小娘が、王に次ぐ待遇を受け、長年の想い人に近づくなんて許しがたいことのはずだ。むしろ不快な思いをさせてしまっているのは私の方ではないか。


「……なるべく、アンネリーゼ様とはお会いしない方がいいわね」


 同年代だと聞いて、親しくなれるかもしれないと思った私が馬鹿だった。残念だが、下手に近づかない方がいい。触らぬ神に何とやらだ。


「残念ですが、それも叶わないかと……。直に、王妃様主催の舞踏会がありますので」


「……それ、私も出なきゃ……駄目なのね」


 もしかすると、穏やかに過ごせたのはこの三日間だけだったのかもしれない。このままの日常を続けながら、帰る手段を探せばよいと考えていた私は少々甘かったようだ。所詮は嵐の前の静けさだったのだろう。深く溜息をついて、私はこの御伽噺のような現実から逃れるように窓の外を眺めた。 

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