第12話

 再び散策を開始したところで、一つ気付いたことがある。


 今まで街行く人の視線を奪っていたのはリヒトさんだと思っていたが、どうやら思い違いだったようだ。リヒトさんと同じか、もしくはそれ以上に私も視線を集めてしまっている。この黒髪と新聞の一面記事のせいで、私が王妹だということは一目でバレてしまうのだろう。

 

 慣れないことは辛いが、仕方がないのだ。なるべく妙な行動を起こさないように気を付けながら、黙々と街を歩いた。


「エナ様、何か見たいものはございませんか? 宝石でも、ドレスでも、申し付けてくださればご案内いたしますよ」


「いえ……そういったものは特に」


 既に、十分すぎるほどのものを毎日用意されているのだ。私自身が何か功績を残したわけでもないのに、これ以上贅沢をするわけにいかない。


「遠慮なさることはないのですよ」


 確かに、目的もなく歩き回るのもそろそろ限界だろう。私は華やかなメインストリートを見渡した。道行く女性たちの声を聞いて、ふと城に残してきたカミラの顔が思い浮かぶ。


「……カミラにお土産を買っていきたいです」


「エナ様付きのメイドに、ですか? 噂通り、お優しいのですね」


 どんな噂なのだ、と追及したくなる気持ちを堪えて、改めて辺りを見渡した。カミラはメイドとして働いてはいるが、男爵家の令嬢でもあるのだし、下手なものはあげられない気もする。


「一体何をあげたら喜ぶかしら……」


 カミラなら、どんなものでも笑顔で受け取ってくれそうな気もするが、どうせなら彼女の役に立つものを贈りたい。だが、まだ出会って日も浅いので彼女のことは分からないことの方が多かった。


「公爵家のメイドはよく、手が荒れると嘆いていましたから……こちらの店はどうです?」

 

 リヒトさんは私と同様に辺りを見渡していたが、あるお店に目を留めて私をエスコートした。アドバイスをくれた上に、そのお店まで連れて行ってくれるとはどこまでも出来た人だ。つくづく感心する。非の打ちどころのない人が存在するとは思わなかった。

 

 チリン、と入り口のドアベルが揺れたかと思うと、店内からはふわりと甘い香りが漂ってきた。よく嗅いでみれば、あの薄紅の花の香りだ。広い店内にはハンドクリームやら香水やらが品よく並べられており、街娘らしい姿の女性たちがリヒトさんを見て頬を赤く染めていた。


「この店は、王都でも有名なんですよ。ハンドクリームや香水を売っていまして……。庶民から貴族の令嬢まで幅広く親しまれています。カミラさんもきっとお気に召すかと」


「……驚きました。リヒトさんは女性の流行にも敏感なのですね」


 いくら紳士でも、誰もが出来ることではないだろう。少なくとも兄には無理そうだ。リヒトさんは、どこか照れたような困ったような笑みを見せ、そっと私に耳打ちした。吐息が耳にかかる至近距離で、僅かにびくりとしてしまう。


「……実はお忍びで妹がここに通っているんですよ。それに毎回付き合わされてるんです。公爵家の令嬢がふらふら出歩いているとなればちょっとした問題ですので、出来ればご内密に」


 それだけ言い終わると、リヒトさんはいつも通り紳士的な距離を保った。その優しい表情を見ていれば、妹さんのことを大切に思っているのが分かる。可愛い妹さんに振り回されるリヒトさんの姿は想像に難くない。


「妹さんがいらっしゃったのですね」


 きっと、リヒトさんは温かい家庭で育ったのだろう。そう思うと何だか微笑ましくて、自然と頬が緩んだ。


「はい。エナ様と同い年ですよ」


「それは……いつかお会い出来たら嬉しいです」


 あまり強く言えば、わざわざ私のために王城に来させるような事態になりかねない。自分の発言はそのくらい重視されるものなのだと、分かり始めていた。だが、本当は会ってみたい気持ちがとても強い。リヒトさんの妹となれば、それは目を見張るような美少女なのだろうし、何よりカミラのような歳の近いお友だちが欲しかった。


「いずれお会いすることになると思います。お茶会や、舞踏会などで。……その時は、どうか仲良くしてやってください」


「こちらこそ、仲良くしていただきたいです」


「まあまあ、ライスター様、本日はどうされました?」


 ふと、店の奥から出てきたらしい中年の女性が私たちに歩み寄ってきた。人当たりの良い笑みを浮かべ、ふわりと品の良い香水をつけている。恐らくこの店の物なのだろう。


「噂の妹姫様を早速お連れになるとは……。流石、ライスター様。この上なくお似合いのお二人ですわ」


 すっかり忘れていたが、そうだ。今日は何も気にせずにリヒトさんと並んで歩いてしまった。あの新聞の書きようでは、今日のことだって載せられてもおかしくはない。別に恋人同士というわけでもないのだから、堂々としてればいいのだというのも一理あるが、この女性のように街の人がそう見てくれるとは限らないのだ。ご令嬢からの求愛が止まないリヒトさんを相手に、何てことをしてしまったのだろう。今日一日で、私はお友だちになれるかもしれなかった数多のご令嬢を敵に回してしまったのかもしれない。


「そう言って頂けると光栄ですね」


 にこりと笑ったリヒトさんのその一言に、思わず私は不躾にもまじまじと彼を見つめてしまった。聞きようによっては肯定にも取られかねない台詞だ。誤解が広まっていきそうな予感がする。現に目の前の女性は、少女のように口元に手を当て、「まあ」と呟いている。女性はいくつになってもこの手の話題が好きだ。瞬く間に広がってしまうだろう。


「リヒトさん、その……そんな言い方では誤解されてしまいます」


「誤解? 何をです?」


 確信犯のように笑うその笑みは、先ほどまで人懐っこい笑みを浮かべていたリヒトさんの物とは思えないくらい色気があって言葉を失った。成程、こういう人なのね、と内心してやられた気分になる。誤解の原因を作っておきながら、その詳細を私に言わせようとするなんて。普段は紳士的なのに、こういう意地悪な面もあるとは思わなかった。このギャップに落とされた女性が何人いるだろう。不覚にも羞恥で頬が熱くなる。


「な、何でもありません!」


 無理やり頬の熱を誤魔化すようにリヒトさんから顔を背けると、店主らしい女性が「あらあら」とにやけていた。悪循環に嵌っている気がする。


「今日はエナ様にもこちらの商品を紹介しようかと思いまして」


「そういうことでしたら、ご案内いたします」


 女性は手慣れた様子でリヒトさんを奥の部屋へと案内する。いまだ頬の熱が冷めない私は、リヒトさんの後姿を少しだけ恨めしく見てしまった。密かに抱いていた私のお友だち計画は台無しだ。


「エナ様? どうかされましたか?」

 

 そう言って、先ほどの確信犯の笑みで手を差し出してくるのだから意地悪な人だ。先ほどまで何ともなかったのに、その手に自分の手を重ねることに一瞬ためらいを感じてしまう。こういうことは躊躇ったら恥ずかしくなるだけだというのに。


 諦めて、そっと彼の手に手を預ければ、いつもより少しだけ強い力で引かれてしまった。何だかいいようにからかわれているような気がする。兄にあれこれ命令されている腹いせだろうか、などと邪推して気を紛らわすしかない。困ったものだ。私は軽く頭を抱え、奥の部屋へと足を踏み入れた。

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