第11話

 公爵家の跡取りであるリヒトさんが乗るには、恐らくは不釣り合いなほどに質素な馬車に揺られること20分。馬車の外は随分な賑わいを見せているようだった。静かな街で暮らしていた私にとっては、まるでお祭りのようにも感じる。この世界に来た初日に街中を見ていることには見ているのだが、楽しむ余裕はなかったので一層わくわくしていた。


 好奇心に駆られ、馬車の窓を覆う品の良い青色のカーテンを捲ろうとすると、やんわりとリヒトさんの声がそれを止める。


「エナ様、街に出る前にお願いがあります」


 改まった雰囲気のリヒトさんに、私はカーテンから手を離し姿勢を正して向き合った。ここまで連れ出してくれたのだ。リヒトさんの言うことにはなるべく従わなければならない。


「連れ出した僕が言うのもなんですが……くれぐれも、危ない真似はされませんよう。必ず、目の届く範囲にいてくださいね」


 兄に、何か言われているのだろうか。私と兄の板挟みになっているリヒトさんが何だか可哀想になってくる。きっと、私が怪我でもすればリヒトさんにお咎めが行くのだろう。そのくらいは容易に想像がついた。ここまでよくしてもらっているリヒトさんに、不快な思いはしてほしくない。


「分かりました。気を付けますね」

 

 素直にリヒトさんの言葉を受け取ると、彼は安心したようにあの人懐っこい笑みを見せた。誰からも好かれそうな人だとつくづく思う。あの兄が親しくしているくらいなのだから、相当だ。


 一瞬ぐらりと揺れて、馬車が止まる。どうやら目的地についたらしい。これからどんな日が始まるだろうかと胸を躍らせてしまう。


「そんなに楽しみですか?」


 くすくすと苦笑交じりのリヒトさんの声に、思わず頬に手を当てた。そんなに顔に出ていただろうか。何だか恥ずかしい。


「……知らないものも、見たことないものもたくさんあるのでしょう? 一人だったら心細いですけれど、こうして傍にいてくださる方もいますし。……正直に言えば、楽しみです」


 まだお友だち、というには過ごした時間が短すぎるが、私にとってリヒトさんは限りなく友人に近い存在だった。本当なら、カミラもここにいればより楽しめたのだろうが、彼女は彼女の仕事があるのだ。我儘をいう訳にはいかない。


 正直な気持ちを表すように、小さく微笑んでリヒトさんを見れば、彼は軽く視線を泳がせていた。その口元は微笑んでこそいるが、僅かに耳の端が赤い。


「……あなたのような人を、『天然』というのだと陛下から窺ったことがありますよ」


「え?」


 そんなやり取りの内に、馬車の扉が開かれる。華やかな街と良く晴れた空の光が眩しい。馬車の壁越しに聞いていた街の声は、直に聞けば想像以上に活気づいていて、好奇心に拍車がかかる。


 先に降りたリヒトさんが、手を差し出して私が馬車から降りるのをサポートしてくれた。いつも通りその手に自分の手を重ね、そっと馬車から足を降ろせば、街の賑わいを肌で感じて一層心が躍った。どこへ行こう、何を見よう。今だけは帰る手段を奪われたという憂鬱を忘れて、楽しんでもいいのかもしれない。そう思うくらいには、この街は魅力的だった。







 ひとまず、大通りを巡ってみようという話になり、私はリヒトさんと並んで人通りの多いメインストリートを歩いていた。食料品店から雑貨屋、宝石店、服飾店まで雑然と並んでいるのが面白い。街自体は、やはり西洋の国々の中世くらいを思わせるもので、何を見ても美しかった。こうして歩くだけでも、充分に楽しい。


 リヒトさんは何も言わず、時折穏やかに微笑みながら私を見守ってくれていた。道行く街の女性たちの視線が彼に注がれていることなどまるで気づいていないのだろう。先ほど私に「天然」だといったリヒトさんだったが、彼も大概だと思うのだ。


 ふと、道の真ん中で小さな人だかりができているのを見つけた。軽く駆け寄って見てみると、どうやら大道芸のようなものが行われているようだ。ジャグリングやバルーンアートなどといった見慣れたものであったが、投げる度に増えるクラブや彼らの周りに浮いた風船などを見るとどうやら魔法も使っているらしかった。


「このようなものは初めて見ますか?」


「ええ! 似たようなものはあちらの世界でも見ましたけれど、こうして魔法が使われているのは面白いです」

 

 本当に、色々な使い道があるようだ。工夫次第でいくらでも道が開けるというのは素晴らしい。正直、興味が湧いてきた。


「簡単な魔法なら、エナ様もすぐに使いこなせるようになりますよ」


「……カミラもそう言っていました」


 私には、兄と同じ質の良い魔力があるのだと、そう言っていた。まあ折角持っているのならば、頑なにならずに少しくらい使ってみてもいいのかもしれない。


 盛大な拍手が巻き起こり、紙吹雪が舞った。どうやら演目が終わったようだ。大道芸人が差し出した黒い帽子の中にコインが投げ込まれていく。


 楽しませてもらったのだ、私もいくらか入れてあげたいと思ってはたと気づく。思えば、財布を持っていないのだ。この世界の経済がどうなっているのかは分からないが、こうして帽子にコインが投げ込まれていくあたり貨幣が流通しているのだろう。


 持っていないものは仕方がない。心の中で大道芸人にありがとうと述べる。だが、そんな私の肩をとんとんと叩いたリヒトさんの手には金色に輝くコインが握られていた。


「どうぞ」


 なんだか、私の心のうちを見抜かれているような気がしたが、厚意は素直に受け取るに限る。私はリヒトさんの手の中から金貨を受け取ると、人混みをかき分け大道芸人の方へと近寄った。


 ピエロのような派手な衣装に身を包んだ大道芸人たちは、私を見るなり目を丸くした。私が王妹だと悟ったのだろうか。あまり騒ぎを大きくしたくないので、曖昧に笑ってそっとコインを帽子の中に入れる。


「楽しかったです、ありがとう」


 一言そう述べてさっさとリヒトさんの許へ戻ろうとしたとき、大道芸人の1人から薄い紅の花を差し出される。昨日、カミラと王城の庭で見かけた、金木犀に似た香りのするあの花だ。用意していた様子もないので、魔法で生み出したのだろうか。


「妹姫様はこのお花がお好きだと窺っております」


 昨日の今日で、なぜ知っているのだ。王城の誰かが言いふらしているのだろうか。情報が拡散される早さに驚いてしまい、引きつったような笑みを浮かべてしまう。


「ありがとう」


 そう告げて、一輪の紅の花を手にリヒトさんの許へ駆け寄る。彼は花を手にする私を見るなり、優しげな笑みを見せた。すっかり私の保護者のような反応をしている。


「花を貰ったんですか、良かったですね」


「ええ……。でも、どうして私がこの花を好きなことを知っていたんでしょう……?」


  金木犀に似た甘い香りを吸い込みながら思案した。王城の誰かが言ったにしても、街中にある大道芸人が知っているとは考えにくい。


「ああ、それなら……」


 リヒトさんは辺りを見渡すと、近くの小さな店に近寄った。ちょっとした食料品や雑誌など、まるでコンビニのような品揃えの店だ。彼はそこでくすんだ色の紙束を銅貨と引き換えに手に取ると、それを私に見せてくれた。


「これは、王都で一番読まれている新聞です。この記事は、エナ様について書かれているのですよ」


 おそらく一面記事であろうその場所には、たしかに私と思しき姿絵が大々的に載せられていた。少々美化している気もするが、おおよその特徴はよく捉えている。その姿絵の横には細々と何やら綴られていた。


「何が書かれているのです……?」


「エナ様がご興味を示されたものや人、召し上がった料理にお召しになったドレスの型まで、なんでも書かれてます」


「個人情報も何もあったものじゃないわね……」


 ぽつりと嘆いたその言葉とともに吐き出された溜息をリヒトさんは見逃さなかった。どこか申し訳なさそうに眉尻を下げ、曖昧な笑みを見せる。


「王妹ともなれば、どうしても致し方ないことではあります……。皆、突如現れたエナ様に興味津々なんですよ。どうか許してあげてください」

 

 リヒトさんが悪いことをしているわけでもないのに何だか気を遣わせてしまったようで申し訳ない。機嫌を損ねたら厄介だとでも思われているのだろうか。まあ、実際厄介なのだろう。リヒトさんの中では、扱いづらいことこの上ない女に違いない。


「少し驚いただけですから、お気になさらず」


 なるべく当たり障りのない笑みを浮かべてこの話題を無理やり終わらせた。それよりも、折角文字に触れる機会があったので一つお願いごとをしてみることにした。


「あの……リヒトさん、お手透きのときでよいのですがお願いしたいことがありまして……」


「何でしょう? 僕に用意出来ることであればなんなりと」


「……実は、この世界の文字を教えていただきたいのです」


 図々しい願いだということは分かっている。公爵家跡取りに頼むようなことでもないのだろう。いざ話してみてから自分がいかに浅い考えだったか思い知らされたような気がした。


「リヒトさんは私のいた世界の言語にも通じていらっしゃったから、知識の幅が広がるかもしれないと思ったのですけれど……でも、お忙しいですよね。難しければ、教師をつけてもらえるよう兄に頼んでいただく形でも構わないのです」


 沈黙に耐えかね、言い訳がましい言葉を並べれば、リヒトさんは可笑しくてたまらないといった風に小さく声を上げて笑った。高貴な身分の人がこんな風に素直に感情を表現するとは意外だ。リヒトさんはもしかすると、少し変わった人なのかもしれない。


「そんなに委縮しないでください。エナ様の教師になりたい人間なんて、王国中に腐るほどいるのですから……。それなのに、わざわざ僕に声をかけてくださって嬉しいです。謹んでお受けいたしますよ」


「ありがとうございます! リヒトさん」


 自然と零れた満面の笑みを向ければ、リヒトさんはどこか照れたように笑った。私より年上のはずなのに、見せる表情がいちいち可愛らしい人だと思う。


 良かった。こうもすんなりと受け入れられるとは思っていなかっただけに、安心した。時間はかかるだろうが、これで帰る手段を得る第一歩は踏み出せたのではないだろうか。


 いけない。今日くらいはその憂鬱を忘れて楽しもうと思っていたのに。ふとした時に引きずってしまうのは私の悪い癖だ。軽く息を吐き、気持ちを切り替えて私たちは散策を再開した。

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