第10話

 翌朝、カミラが再び一生懸命磨き上げてくれたおかげで、制服姿のときよりもずっと大人びて見える自分の姿を眺めていた。今日もワインレッドをメインにしたドレスだ。何か意味があるのだろうか。これがもし兄の好きな色で、それを理由に用意されていたら嫌だな、などと子供じみた感想を抱く。


 ふと、カミラが近づいてきたかと思えば昨日の朝と同じように身振り手振りで話し始めた。リヒトさんが掛けてくれた魔法は、眠ると解けてしまうようで今朝もそれなりに大変な思いをした。


 よく耳を済ませれば「リヒト」という単語を聞き取れたので、私は昨日と同じ応接間を目指す。扉を開ければ昨日よりは少しラフな格好をしたリヒトさんが私を待っていた。


「おはようございます、リヒトさん。今朝も来てくださったんですね」


「はい。今日もエナ様にお渡ししたいものがございまして……」


 嫌な予感だ。リヒトさんにエスコートされて革張りの椅子に座りながら、苦笑してみせる。


「まさか、また兄からではありませんよね……?」


 兄ならやりかねないが、リヒトさんはくすくすと笑って首を横に振った。綺麗な顔立ちに浮かべるこういう人懐っこい表情が、女性を虜にしているのだなと感じる。


「今日は、恐れながら僕からです」


「リヒトさんから……?」


 そう言ってリヒトさんは、銀細工の施された小箱を取り出し、そっと蓋を開けてみせる。そこには、昨日兄に贈られた内容と同じ、イヤリングとチョーカーが入っていた。だが、はめ込まれている石は兄を思わせる黒ではなく、青空のような清々しい青だった。


「綺麗……」


 思わず素直な感想が零れてしまう。デザインも、アンティーク調で私好みだった。入れ物と同じように細やかな銀細工が施されている。


「これも、魔法具です。効果は昨日説明したものと同じ、言葉の壁を無くすものなのですが……受け取って頂けますか?」


「でも……これはリヒトさんが?」


「恥ずかしながら、僕が用意しました」


「そんな……」


 兄に対して変な意地を張ってしまったから、却ってリヒトさんには迷惑をかけてしまったのかもしれない。魔法がとけてしまえば、意思疎通が図れなくなる私を心配してくれたのだろう。


「陛下の魔術には及びませんが、私も一応上級魔術師ですので品質は保証いたしますよ」


「こんなに素敵なもの……いいのですか」


「はい。是非、エナ様につけていただきたいのです」


 ここまで用意してくれたのだから、この厚意は素直に受け取るべきなのだろう。私は姿勢を正して深く礼をした。


「ありがとうございます、リヒトさん。大切にしますね」


「受け取って頂けて光栄です。早速ですが、効果をお試しください。万が一があるといけませんから」


 リヒトさんは部屋の隅に控えていたカミラに何やら申し付けると、彼女はすぐさま私の許にやってきてイヤリングとチョーカーをつけてくれた。


「とてもよくお似合いです、エナ様」


 魔法の効果は確かに発揮されているようだ。カミラの言葉をちゃんと理解できる。


「ありがとう、カミラ」


 私の言葉も通じたらしく、カミラは慎ましく礼をすると再び部屋の隅に戻っていった。相変わらず、侍女の鑑のような人だ。




「ところでエナ様、本日は何かご予定がありますか?」


 カミラの淹れてくれた紅茶を楽しんでいると、不意にリヒトさんがそんな話題を繰り出した。私は思わずカミラの方を見て、予定の有無を確認する。全力で首を横に振っている辺り、今日は何もなさそうだ。


「特にはありません」


「では、一緒に街でも散策しませんか? この世界に馴染むには、良い方法だと思うのですが」


「街に?」


 ティーカップをそっとテーブルに置き、問い返してしまう。この城から出るチャンスがこうも早くに巡ってくるとは思わなかった。


「はい。城の中も素晴らしいですが、街もなかなか良いものですよ。陛下に許可は取ってあります」


「でも、リヒトさんはお忙しいのでは?」


「言うほどでもありません。公務はまだ両親が行っていますし、些細な用事ばかりです」


 街へ行くというのは大変魅力的だ。帰る手段探し云々を抜きにしても、単純に興味がある。


「是非、行ってみたいです」


 自然と顔が綻んでしまう。この世界に来て初めてワクワクしているかもしれない。


「急な申し出を受け入れてくださり、感謝します。では、僕はここで待たせていただきますね。ごゆっくり支度なさってください」


 てっきりこのまま出掛けるのかと思っていたが、いつの間にか私の傍にはカミラが控えていた。そのまま勢いに任せるようにして、私室へ連れ戻される。




「エナ様! やりましたね! リヒト様からのお誘いですよ!」


 なぜか興奮気味のカミラはせっせと私のドレスを脱がし、代わりにドレスよりは動きやすそうな丈の長いワンピースを取り出してきた。これもまたワインレッド色だ。


「単純な親切心よ、カミラ」

 

 こういうところはカミラは私よりずっと乙女なのだなと微笑ましく思う。手際よくワンピースに着替えさせられ、腰のあたりで赤いリボンを綺麗に結んでくれた。


「何を仰います、リヒト様の色の宝石を贈られておきながら」


 にやけ顔が抑えきれないと言った様子で、カミラは昨日見かけた薄い紅の花をモチーフにした髪飾りを黒髪に挿していく。本当に手際がいい。


「リヒトさんの色?」


 そう言われて鏡越しに自分の耳元と首元に光る青い宝石に注目した。成程、確かに彼の瞳の色を思わせる青かもしれない。


「数多のご令嬢が望んでも得られなかったリヒト様色の宝石ですよ! 何だか私が自慢して歩きたい気分です、エナ様!」


 今度からはリヒト様色のドレスも仕立てなくては、とカミラは謎に意気込んでいた。彼女が楽しそうで何よりだ。


「私の服がワインレッド色なのは何か意味があるの?」


「はい。エナ様の指輪の石の色に合わせております。転移者の方が持つその指輪は、魂の色を表すとされていますので、服などに取り入れることが多いのですよ」


 失くすのが怖くて眠るときもつけたままの指輪を、改めて眺めてみた。こんなに小さな石なのに、これに合わせたドレスを翌日には用意しているカミラの周到さには最早言葉もない。彼女は仕事が出来すぎる。


「兄さんの石は、黒色だったのかしら……」


「ご本人に窺ってみてはいかがですか?」


「そうね……もう少し、心の整理がついたらね」


 今はまだ、ちゃんと向き合って話せそうにもないのだ。私と兄さんには時間が必要だろう。





「終わりました、エナ様。お気をつけて行ってらっしゃいませ!」


 靴もヒールの低いものに履き替えさせられ、私は再び応接間に舞い戻った。昨日よりはずっと歩きやすい。普段からこの装いにしてくれないものだろうか。


「お待たせしました」


 私の姿を認めるなり、彼はすっと立ち上がって私に手を差し出した。息をするようにそういうことが出来るから、この人は根っからの紳士なのだと思う。


「では、参りましょうか、エナ様」


 リヒトさんの手に自らの手を重ねて、ゆっくりと歩き出す。何だか、旅行に来た時のような高揚した気分だ。一体どんな出会いが、私を待ってるのだろう。

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