第7話

 メイドさんに案内された部屋は応接室のようなところで、既に昨日の青年の姿があった。彼の前には細やかな模様の描かれたティーカップが置かれ、丁重にもてなされているようだった。


 彼は、私の姿を認めるなり僅かに目を見開いたが、すぐに昨日と同じ優し気な表情を浮かべる。その綺麗な微笑みにメイドさんは更に頬を染めていた。彼が原因だったのか、と心の中で微笑ましい気持ちになる。


「おはようございます、エナ様。良くお休みになられましたか?」


 青年はわざわざ立ち上がって、私を席までエスコートしてくれた。徹底された紳士ぶりだ。何より、言葉の通じる相手に会えたことにほっとしている自分がいた。


「ええ、それなりに」


「昨日は……その、お疲れになられたでしょうからね。無理もありません」


 完全に気を使われている。確かに無理やり兄に帰る手段を奪われた王妹というのも、扱いづらいものがあるかもしれない。青年には迷惑をかけてばかりで申し訳なかった。


「あの、昨日からずっと……何から何までありがとうございます。あなたのおかげで、本当に心が救われています。えっと……リヒト様とお呼びしても?」


 こういうとき、私から気安く名前を呼ぶなんて失礼に当たるのかもしれないが、許してほしかった。せめて、気の休める相手が欲しかったのだ。


「これは随分と名乗り遅れてしまいましたね。僕は、リヒト・ライスターと申します。王妃様の縁戚にあたります。どうぞ、リヒトとお呼びください」


 紳士的な礼に、軽く会釈を返す。王妃様の親戚となると、王族かそれに近しい身分の人なのだろう。昨日の街で見かけた大袈裟なくらいの人々の反応の訳が漸く分かった気がする。


「流石に呼び捨ては憚られますので……リヒトさんとお呼びさせていただきますね。どうぞ私にはもっと楽にお話しください」


「そういう訳には参りません。なにせ、エナ様は陛下の溺愛される妹姫ですから」

 

 昨日までの私ならば、その言葉を純粋に喜べたのだろうが今は複雑な気持ちだ。大切にされていると思っていたが、今回のように私を自分の思い通りに操ろうとするのならば、それは愛ではない気がする。ただの兄の自己満足だ。


 もっとも、この国では国民からも臣下からも慕われる国王陛下である兄に、そんなことを言えそうにもなかったが。


「早速ですが、陛下から贈り物が届いておりますよ。言葉の壁を無くす魔法具をお預かりしております」


 リヒトさんはそう言って、宝石や螺鈿が埋め込まれた小箱を取り出した。そのままそっと蓋を開き、私に差し出す。


「これは……アクセサリーですか?」


 その小箱には、兄の髪の色を思わせる漆黒の宝石が埋め込まれたイヤリングとチョーカーが入っていた。アメジストの色をより深くしたような石だ。


「はい。耳と首元につけることで、聞き取る言葉と話す言葉を魔法で調節するのです。簡潔に言えば、昨日僕がおかけした魔法と同じ効果の物ですね。これをつけている間は、言葉の心配はいりません」


「そうですか……」


 正直、朝のメイドさんとのやり取りだけで言葉の壁がどれだけ不便なものかよく分かっている私には、喉から手が出るほど欲しい代物だった。悔しいが、装飾品としても可愛らしく、私の好みのど真ん中をついてきている。

 

 だが、昨日あのような仕打ちをされたばかりだというのに、嬉々として贈り物を受け取る気はなかった。私は怒っているのだと、伝えなければならない。


「どうして、兄が直接渡しに来ないのです?」


 昨日の出来事を思い出したせいか、少々きつい口調になってしまった。だが、リヒトさんはそんなことを気にもせずに曖昧に笑う。


「陛下はお忙しく、お時間を取れなかったようです。ですが、エナ様がお会いしたいということでしたら、陛下は無理にでも時間を作ると思いますよ」


「……いいえ、結構です。文句の一つでも直接言いたかっただけですから」


 いくら大好きな兄でも、昨日の仕打ちは酷すぎた。思い出すだけで悔しさと絶望が蘇ってくる。


 私は差し出された小箱を丁寧に閉じるとそっとリヒトさんの手元へ戻した。リヒトさんは、驚いたように目を見開いている。


「リヒトさんにはお手数をおかけして申し訳ありませんが、これは兄に返しておいてください。昨日の今日で贈り物など、兄の神経を疑います。これを身につけるくらいなら、言葉の壁の不便さに耐えたほうがよほどマシです」


 現に、不便ではあっても全く意思疎通が図れないわけではないのだ。私の傍についてくれているメイドさんは、一生懸命伝えようとしてくれるし、私だってそれに応えてちゃんと聞こうとしている。今だって、それが上手くいったからリヒトさんの来訪に気づけたのだ。


 リヒトさんは、しばし茫然として私を見ていた。その表情を見て、しまったと思う。この奥ゆかしい世界では、こんなに明け透けと物を言う淑女はいないだろう。妙な女だと思われて、こんなにも親切にしてくれたリヒトさんに距離を置かれたら、この世界で私はいよいよ孤独だ。


 だが、リヒトさんはさも可笑しそうにくすくすと笑い出した。その目には僅かに涙が滲んでいる。その表情を見る限り、嫌われた様子ではなさそうだが、笑われるというのも意外だった。


「……そんなに可笑しかったですか」


「いえ、申し訳ありません。……ただ、エナ様はやはりカイ様の妹姫であられるのだな、と思っただけです。そんなに可憐な姿をして、言うことはちゃんと言えるのですね。あまり心配はいらなそうだ」


 遠回しに兄と似ていると言われて、素直に喜べるような心情ではないが、まあいい。とりあえず、孤独にはならずに済んだことに安堵して、私は軽く息をついた。


「……ですが、言葉の壁はあまりにも不便でしょう。少々失礼しますね」


 そう言って、リヒトさんの手が私の両耳に、そして喉元に触れた。昨日と同じ、心地よい温かさを感じる。


「ひとまず、これで今日一日は問題ないでしょう。陛下には、これはお返ししておきます」


「……なんだか、ごめんなさい。リヒトさんには迷惑をかけてばかりですね」


「お気になさらず。これでもカイ様には仲良くしていただいておりますので、このくらい何てことないですよ」


 リヒトさんは小箱を回収しながら、穏やかに笑った。親しみやすい人だ。私を最初に見つけてくれたのが、彼でよかったと思う。もしも初めに兄に出会っていたら、帰る手段が存在することすら私は知らなかっただろう。


「僕はこれから用事があるので失礼しますが、また明日にでも伺います」


 小箱を片手に立ち上がったリヒトさんを、私も席から立って見送る。私はリヒトさんの肩をようやく超えたくらいまでしか身長がないので、かなり見上げて会話しなければならなかった。


「お忙しい中、ありがとうございます」


 この世界の正式な礼は分からないが、なるべくゆったりとした仕草で礼をする。帰る手段を探すにしても、当面はこの世界にいることになるだろう。礼の仕方一つにしても、マナーにしても、この暮らしに馴染む必要がありそうだった。

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