第6話

 ぼんやりとした意識で薄目を開けると、眩しい光の存在を感じ、軽く寝返りを打つ。ふわふわとした感覚が心地よい。ほのかに香る甘い香りも、何だか気分を落ち着かせてくれた。


 愛用のクマの抱き枕を抱き寄せようとして、ぱふぱふと腕を動かしてみるも何にも当たらない。妙だ。いつもすぐ隣に置いてあるのに。お母さんが勝手に洗濯でもしているのだろうか。


 と、そこまで考えて不意に我に返る。ここは、私の部屋ではない。無駄に柔らかく大きすぎるベッドも、天蓋から降りた薄い紅のカーテンも、私は知らない。


 かなりの勢いで飛び起きた私は、乱れた黒髪に手を伸ばしながら辺りを見渡した。やけに広い部屋だ。私が普段過ごしている部屋の倍以上は軽くある。


 薄い紅のカーテン越しに窓を見やると、どうやら今は朝のようだった。のどかな鳥の鳴き声なんかが聞こえてくるが、私の知っているものとは違う。


 ああ、夢じゃなかったのか。軽い絶望感が再び押し寄せる。昨日、私は広間で倒れたまま眠ってしまったのだろう。ご丁寧にこんな立派な部屋まで用意されて、身に纏っていたはずの浴衣も、ゆったりとした肌触りの良いワンピースに着替えさせられている。


 私は軽く溜息をついて、ベッドの端から足を降ろした。これから、どうすればいいのだろう。兄さんは、本当に私を元の世界へ帰さないつもりだろうか。


 目覚めて早々二度目の溜息と共に、右手の薬指に嵌められた銀の指輪に視線を落とす。指輪の中心で光る赤い石は、昨日と変わらぬ輝きだ。今の私には、これだけが心の支えだった。


 そんな中、不意に部屋の大きな扉がノックされる。寝起きの姿のままの私は、慌てて傍にあった白い毛布にくるまり手櫛で髪を整えた。


「……ど、どうぞ」


 もっとも、昨日青年にかけてもらった魔法はとけてしまっているだろうから、私のこの言葉は通じないのだろうけれど。相手が例の青年だったら別だが、寝起きの女性の部屋に押し掛けるような無神経な人には見えなかったからきっと違うだろう。


 私の言葉を、了承と捉えてよいのか迷うように、小さく扉が開かれその隙間からおずおずと若いメイド服姿の女性が入室してきた。私より、2,3歳年上のお姉さんといったところだ。亜麻色の髪を一つに結い上げて、皺ひとつないメイド服をきちんと着こなしている。


 その女性は恭しく礼をすると、なにやら話し始めた。やはり、魔法はとけていたらしい。何も理解できない私は、とりあえず曖昧に微笑んでおくことにした。


 一通り何かを話し終えた女性は、可愛らしく笑んでもう一度礼をした。私の世話をしてくれるつもりなのかもしれない。私も彼女に応えるように軽く礼をする。





 洗面から着替え、髪を整えるという普段一人でこなす工程の全てを、メイドさんが主体となってこなしてくれた。大切にされているようで悪い気はしないが、妙に気に疲れする分、やはり自分でやった方が楽かもしれない。


 宝石が散りばめられた無駄に豪華なドレッサーの前で、私は髪を編んで貰っているところだった。ハーフアップにまとめた髪を、手際よく編み込み、ドレスと合わせた髪飾りを挿していくメイドさんの手捌きには素晴らしいものがある。


 普段は滅多にしない化粧まできちんと施され、今までにないほど磨き上げられた私は朝食の席に案内された。ワインレッド色のドレスは美しいが、やはり慣れない。少しヒールの高い靴も、今にも転んでしまいそうだった。


 朝からとても食べきれないような量の料理が並び、力をつけるべく頑張って食べたが半分くらいが限界だった。どれも絶品で作ってくれた人には申し訳ないが、そのまま下げてもらう。


 食後の紅茶と花形にカットされたフルーツをつまみながら、開け放たれた窓の外を眺める。空は青く、木々も緑だが、確かに私のいた世界とは違う。こうしていると、旅行に来たような気分にもなるが、昨日の兄の行動を思い出しては現実に引き戻された。


「これから、どうすればいいの……」


 国中に箝口令が敷かれたというから、帰る方法を人に尋ねるのは難しいだろう。ならば文献を漁ってみるしかないが、兄曰くそんなものは存在しないという。


「兄さんは、何を考えてるのかしら……」 


 本日何度目かわからない溜息をついて軽く頭を抱える。あの状態の兄は説得しても無駄だということは妹の私がよく分かっている。昔から、こうと決めたことは譲らない人だった。恐らく兄の中では既に、私がこの世界で生きていくことは決定事項になっているはずだ。優秀で人から好かれるという兄だが、なかなか難のある性格をしていると思う。


 ふと、姿が見えなかった先ほどのメイドさんがすぐ傍へ近づいてくる。そうして慎ましく礼をして、何やら話し始めた。その白い頬はほんのりと赤く染まっている。

 

 じっくりと彼女の言葉に耳を傾けてみるが、やはり分からない。メイドさんは身振り手振りを交えて必死に話してくれるが、言葉の壁はあまりにも高すぎた。恐らく私に何かしてほしいのだろうが、一通り朝の支度は終えたばかりなので、次の行動は皆目見当もつかなかった。


 必死になって伝えようとしてくれるメイドさんに応えるように、私も賢明に彼女の言葉を受け止めた。すると、彼女の言葉の中で何度か出てくる単語があることに気づく。


「……リヒト……?」


 恐る恐る彼女の話に何度か登場するその言葉を繰り返してみると、メイドさんはぱっと顔を明るくさせ幾度となく頷いて見せた。リヒト、というと昨日の話から察するに、私をここまで導いてくれた青年の名前だろう。


「リヒトさんが、来ているの?」


 リヒトという名前に反応しているだけなのだろうが、メイドさんは再び頷いて私を導くように慎ましく歩き出す。面倒見の良い青年のことだ。私のことを心配して会いに来てくれたのかもしれない。


 正直、今はとてもありがたかった。この世界に馴染もうにも、言語が分からないのであればハードルが高すぎる。おこがましいかもしれないが、今すぐにでも昨日の魔法をかけてもらいたかった。

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