第4話
心地良い馬の蹄の音を聞いて気を紛らわせているうちに、どうやら私たちは目的地に着いたようだ。馬車の窓から見える巨大な城に思わず息を呑む。
「つきましたよ、エナ様」
青年は先に馬車から降りると、紳士的に手を差し出してくれた。おとなしくその手に自分の手を重ね、豪奢な馬車から降りた。青年が肩にかけた毛布を掛けなおしてくれる。
改めて見ると、城は本当に大きかった。純白とアジュールブルーで統一された外観は、高貴な人が住むには相応しいのだろう。城の前庭は綺麗に手入れされ、様々な色の花が咲き乱れていた。見慣れぬ花が殆どだ。
ふと、先ほどのメイドさんが近づいてきたかと思えば、私の足元にシンプルな女性ものの靴を置いてくれた。浴衣には合わないが、裸足よりマシだ。
「ありがとうございます」
礼を述べ、下駄を脱ごうとするとメイドさんは酷く慌てたようにそれを制する。何かいけないことでもしてしまったのかと思い、様子を見ていると、彼女は自らの手で私に靴を履かせてくれた。正直、少々気恥ずかしい。
「本当は、色々と正式な手続きを踏まなければならないのですが……。急ぎましょう。僕についてきてください」
青年は私にそう告げると城へ向かって歩き出す。背の高い彼は歩幅が広いから歩みも早そうだ。慌てて私もメイドさんとともに彼の後を追う。
白の正門の前に立っていた守衛たちは、青年の姿を見るなり最敬礼を示した。街中だけでなく城でもこの扱いならば、彼は相当身分の高い人なのだろう。青年と守衛の会話は理解できなかったが、どうやら私のことを説明しているらしかった。
本来であれば、こんな見慣れぬ民族衣装のようなものを纏った少女が、王城を訪れることすら許されないはずだ。本当に、この青年に見つけてもらえて幸運だったとしか言いようがない。
「お待たせしました。すぐに、王の許へ参りましょう」
開かれる大きな扉を背にして、青年は穏やかに微笑んで見せた。だが、その笑顔に似合わぬ聞き捨てならぬことを訊いた気がしたのだが、気のせいだろうか。
「……王様のところへ、ですか?」
いくら私がこの世界のどの階級にも属していないとはいえ、国の頂点に君臨する人にいきなり会うのは気が引けた。それに、異世界から来たらしいとはいえ、こんな小娘に一国の王が面会を望むとも思えない。
「はい。すぐに参りましょう」
青年は私の手を引くようにして、私を城の中へと導いた。親切に助けてくれたこの人にも、色々と事情があるのかもしれない。それに、この手を振り払って逃げる場所がある訳でもないので、私は半ば自棄になって青年の後に続くことにした。
広い王城の廊下では、使用人だけでなく恐らくはそれなりの身分を持っているであろう人々まで青年に道を譲り、礼をしていた。こんな様子では、王族と言われても驚かない。王に気軽に会いに行ける立場からしても、案外そのような身分なのかもしれない。
青年に連れられて、私は巨大な赤い扉の前にいた。どうやら城の大広間らしい。
「王はここで、大臣たちと謁見をしているはずです。ですが、エナ様はお気になさらず」
「……そんなに急ぐ必要があるんですか?」
部外者もいいところの私が、一国の政の場に登場していいはずがない。今すぐ私が消えるというわけでもあるまいし、王に会うのはせめて話し合いが終わってからでもいいのではないだろうか。
「あります。……会えばきっとわかりますよ」
そう告げて、青年は不意に私の両耳に触れた。
「少し失礼しますね。この世界の言語が分かるよう、魔法をかけますから。そう長くは続きませんが……」
耳に何やら温かい空気を感じる。眠気を誘う心地良さだった。続いて青年の手が私の喉元に伸び、同様に温もりを覚える。
「これで、今日一日くらいは言葉の壁は心配しなくていいですよ」
「……ありがとうございます」
「どうやら成功したようですね。今、僕が話している言葉も、エナ様がお話しになる言葉も、この世界の物ですよ」
全く違和感がなかった。その原理はよくわからないが、魔法とは便利なものだ。元居た世界で私がしてきた努力が何だか馬鹿らしく思えてくる。まあ、無いものねだりをしたところで仕方がない。言語の壁がクリアされたことだけでも、今の私には充分にありがたかった。
やがて、青年が私の手を取ったまま一歩前へ進み出ると、傍に控えていた使用人たちの手によってゆっくりと扉が開かれていった。白い光が、広間から差し込む。
青年は私をエスコートするように手を握り直すと、迷いなく広間へと踏み出した。その瞬間、肩にかけられていた毛布がメイドさんの手によって外される。薄い浴衣の生地越しに感じる空気が、少し冷たかった。
広間の奥の方では、二つ並べられた豪華な椅子とその前にひざまずく老人、そして彼らを囲むように控えている多数の使用人の姿が見て取れた。
青年はまっすぐに彼らの方へと進んでいく。私の歩調に合わせてくれているのか、ゆっくりとした歩調だったが、妙な緊張感のせいでそれでも早く感じてしまった。
「お話合い中、失礼いたします」
彼らに充分近づいたころ、青年はよく通る声で告げた。玉座の前にひざまずく老人や、使用人たちが戸惑いの色を浮かべる。
「何事です、リヒト」
二つ並んだ椅子の内の一つに優雅に腰かけた、若い女性が尋ねる。その女性は、それはそれは美しかった。同性が見ても、息を呑むほどの端麗さで、天使だと言われても納得してしまう。
「……エナ様を、お連れ致しました」
恐らくは答えになっていないであろうその言葉を、女性は怪訝そうに受け止めていたが、ふと、その女性の隣からぽつりとつぶやきが零れる。
「……瑛奈?」
それは、ひどく懐かしい、優しい声だった。はっとして、私は声の主が座っている玉座を見据える。
黒い髪、黒い瞳、目鼻立ちの整った顔。何が起きているのか分からず、口から零れ出たのは二度と呼びかけることは無いと思っていた言葉だった。
「……兄、さん?」
写真よりもずっと大人びているが、間違いない。玉座に座るその人は、今は亡き私の海兄さんだった。
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