第2話

 どのくらいの間、眠っていたのだろう。ふと、周りが騒がしいことに気が付いて私はゆっくりと目を開けた。


 眩しい。まともに光を受けた目が痛む。左手を瞼に乗せて、そのまま右手で体を起こす。


 周囲の騒めきが一層大きくなった。だが、何かがおかしい。それは恐らく人の声であるはずなのに、まるで意味が理解できなかった。


 意味が理解できない?


 私は瞼に乗せた手を外し、すぐさま辺りを見渡した。ひどく心配そうにこちらを見つめる婦人や、どこか興奮したように何かを話す少年の姿など、実に様々な年代の人が私を囲んでいる。だが、彼らの服装は馴染みのないものだった。


 女性は裾の長いワンピースにエプロン、男性はラフな印象を受けるシャツにズボン、中にはサスペンダーで留めている人もいる。デザインは全て、懐かしさを感じるほど古びたものだ。


 こういった服装を見たことが無いわけではない。西洋では昔の街の人々の服装として、ごく普通に取り入れられていたものだろう。今でも物語や映画の中ではよく目にする。だが、現代で着るには少々古すぎやしないだろうか。今はもっと洗練された動きやすい服装が主流のはずだ。


 加えて、彼らの後ろに見える建物は何だろう。いつか旅した西洋の国の、古き良き観光地のような街並みが延々と続いており、その奥には城のようなものまで見える。


 ここは、一体なんだろう。私は花火大会で事故に巻き込まれただけのはずだ。だが、体は痛むどころか傷一つない。身に纏っている浴衣の裾や袖に、少し焦げたような跡があるだけだ。


 もしや、死後の世界なのだろうか。そんな非現実的な可能性を考えては、軽く溜息をつく他に無かった。


 とにかくも、周りの人に尋ねてみよう。私は石畳の上に投げ出された手足の土埃を払い、ゆっくりと立ち上がる。周囲の人が一層騒めくのを感じた。


 周りにいる人は皆、見事なブロンドの髪であったり、美しい亜麻色の髪であったりと、東の果ての国にいる私にとってはあまり馴染みのない姿をしていた。ざっと見た限りでは黒髪は一人もいない。私のこの黒髪の珍しさが、彼らの関心を引いているのだろうか。


「あの……」


 私は一声発すれば、余計に騒めきは大きくなった。中には何故か片膝を石畳の上について跪くような姿勢を見せる者もいる。子どもたちの目は、まるで憧れのヒーローなんかを見つめるようなキラキラと輝いたものだった。


 跪く人も、興奮したように何やら私に語り掛けてくる人も、私を傷つけるような素振りこそないが、やはり何を言っているのかわからないかった。言語の特徴的には西洋の国のものと似ている気がするが、残念ながら私には分からない。恐らくは、私は一度も耳にしたことのない言語だ。


 これは流石に困った。一縷の望みを抱いて街の看板に刻まれた文字らしき記号を眺めてみるが、やはりこれも分からない。言語の通じない、見知らぬ土地に放り出される心細さと言ったらこの上ない。だが、泣き出すような歳でもないので、まずは深呼吸をして打開策を考えることにした。


「あの色は……」


 ふと、騒めきの中で、耳慣れた言葉を聞いた気がした。突如舞い降りた希望の光に、私は必死に人混みの中を探す。だが、その声を聞きとれたことが奇跡のようなもので、発言者を見つけることなど出来はしなかった。


「あの! もし、この言葉が通じる方がいらっしゃるのなら……助けてはいただけませんか!」


 聞き間違いでないことを祈りながら、私は人混みに向かって叫んだ。どうか、どうか届いてくれ。


「もちろん、そのつもりです」


 その言葉と共に、人混みの中から姿を現したのは、白金色の髪に深い青色の瞳をした端整な顔立ちの青年だった。明らかに他の人より質の良い服を着ており、人々はその青年を見るなり、跪いたり、道を開けたりと仰々しい反応を示している。


「見知らぬ者たちに囲まれて、さぞ不安だったでしょう。もう、大丈夫ですよ」


 この青年も見知らぬ人であることには変わりないのだが、ひとまず言葉が通じる相手に出会えたことに安堵した。すぐに深く礼をして、感謝の念を表す。


「……どなたかは存じませんが、ありがとうございます。本当に、助かりました」


 礼のために頭を下げると、ふと自分が泣きそうになっていることに気が付いた。冷静に振舞っているつもりでも、思ったよりもこの状況を恐れていたのかもしれない。


「向こうに馬車を留めてあるんです。まずは、そちらへ移動しましょうか」


 青年は人混みの中から私を連れ出そうとする。だが、石畳の冷たさを感じて思い留まった。


 今頃気付いたが、下駄は片方脱げたままだった。しかも、手足にあるはずの火傷はないのに、挫いた足は少し痛むようだ。大変不快だが、我儘も言っていられない。すぐに青年の後を追うようにして、歩き出そうとした。


 だが、青年は私のその姿を見ると困ったように苦笑してみせた。その笑顔が見た目の雰囲気よりも幼げで、妙な親しみを感じてしまう。不思議な魅力の持ち主だった。


「少し失礼しますね」


 そう断った後、不意に青年に抱き上げられる。突然のことに、何の反応もできず、距離の近さを紛らわすように青年から顔を背けた。


「私、歩けますよ」


「本当はすぐに靴をご用意できれば良いのですが……馬車まで我慢してください」


 16歳の少女を軽々と持ち上げるその力が、相手が男性なのだということを意識させられて余計に戸惑ってしまう。それが伝わったのか、青年は再びふっと笑ってみせた。


「女性の使用人も連れてきていますから、ご安心ください。妙な真似は致しませんよ」


 妙に親切なところが怖くもあるのだが、今はこの人に頼るしかないのだ。中世風の街並みをぼんやりと眺めながら、私は豪奢な馬車の中へと誘われたのだった。

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