密室問答 解答編②

 玄関から出た半間は、通路の突き当たりにある壁に手を添える。そのまま軽く向こう側に押すと、壁は中心を軸にしてくるりと回転した。そして、その奥にはまだ通路が続いている。青ざめた顔で駆けていった瀧川さんが目にしたのは――全く手つかずのままで残っている、本物の二〇九号室。


「なっ……! どういうことだ!」


 ギリギリと歯を食いしばりながら、瀧川さんは半間へ問う。


「見ての通り、アナタが足を踏み入れたと宣言した部屋は二〇九号室ではない。二〇八号室と二〇七号室を繋げた部屋だ」


 半間は平然とした様子で、仕込みの全貌を語り始めた。


「玄関をわざわざ新しいものに取り替えたのは、当然二〇九号室に見せかけるため。それに伴い、部屋番号のプレートは全て一つずつずらした。そうなると必然的にどこかの番号が一つ消えるわけだが、件の部屋にしか興味がないアナタは案の定気づかなかった」


 ちなみに、消えた番号は二〇五。階段を上ってすぐの部屋は二〇一でなければまずいので、気づかれにくいだろう中間辺りの番号を一つ削ることにした。


「次に、環奈渾身の出来であるカラクリ屋敷さながらの壁に見せかけた回転扉だ。これだけ細長い通路ならば、多少短くなっても気がつくのはいつも出入りしている住人くらいのもの。滅多にここに来ない大家では、見抜けなかったようだな」


「ぐっ」と、瀧川さんは悔しそうに小さく唸る。


 壁に見せかけた扉に関しては、タイミングもよかったのだ。新しく壁を作った場合、普通ならば古いところとの劣化の差で新しい部分が目立ってしまう。だが、私たちが下見に来たあの時、ちょうど木田さんが自主的に通路の壁の塗り替えを行っていた。同じペンキを扉に塗れば、劣化の差は現れず格段に見抜かれにくくなる。


 本当の二〇九号室を密室とするために行ったのは、たったのこれだけ。密室自体を隠して認識できなくしてしまえば、破壊や防犯といった話ではなくなる。そして、住人は秘密の扉の存在を知っているので、出入りに支障はなく普通の生活を送ることができる。本当の二〇九号室に関しても、半間は依頼主の要望に沿う密室に仕上げていたのだ。


 瀧川さんは苦しそうに顔を歪めながら、反論の種を探している様子。だが、彼は半間の策略にまんまと嵌まって、隣の部屋で堂々と「二〇九号室にこうして足を踏み入れておる」と宣言してしまっているのだ。半間が示して瀧川さんも受け入れている『こちらが造った密室を破り、二〇九号室に足を踏み入れたと宣言すること』という勝負方法に沿えば、間違った解答を示した瀧川さんの負けは揺るがない。


 しかし、ドケチな彼はまだ粘る。


「ず、ずるいぞ! こんなの見破れるわけがない!」


「だからこそ、アナタの望んだ最高の密室に成り得ると思うのだが」


「ええい、うるさい! 不公平なものは不公平だ!」


 最早、駄々を捏ねる子どもである。静かに成り行きを見守っている航太君の方が、幾分大人びて見えた。


 半間は呆れた様子で首の後ろを撫でると、溜息の後に口を開く。


「瀧川さん。アナタは不公平だと言うが、ボクらはアナタに十分すぎるほどのヒントを与えていた」


「ヒントだと?」


「ああ。二部屋を繋げたあの部屋では、木田さん親子が暮らしていただろう」


「それが何だというんだ!」


「わからないのか?」半間はやや冷めた目で「木田さんの部屋は二〇七号室。下見に来た時にも、彼女はアナタにはっきりとそう言っていたぞ。アナタが大家として住人のことをもっと気にかけていたのなら、玄関を突破して入り込んだ部屋は一つ隣の二〇八号室だと容易く見破ることができていたはずなのだ」


 自分の敗因は、大家としての不誠実な考え方。その事実を突きつけられた瀧川さんは、その場に座り込むと「……評判通り、面白い建築士さんだ」と敗北宣言と受け取れる言葉を零した。


 半間は一人、満足そうに呟く。


「密室問答、これにて竣工」


     ◇


 後日。仕事が終わり事務所へ戻ると、ローテーブルに菓子折りが置いてあった。宛名に私の名前が書かれていたので開けてみると、中には様々な種類のクッキーが詰められている。


「半間。コレどうしたの?」


「木田さんがお礼にと持ってきた」


 どうやら半間も貰ったらしく、自分の分のクッキーを先ほどからむしゃむしゃと遠慮なしに食べている。たぶん、彼にとってはあれが今日の晩御飯扱いになるんだろうな。


「彼女には密室造りに協力してもらったのだ。礼を言うのはこちら側だと思うのだが、貰えるものは貰っておくのがボクの主義。食べ物なら尚更だ」


 木田さんが菓子折りを持ってきた理由なんて、本当はわかりきっているくせにと私は頬を緩める。あの密室問答は、適当な細工をした二〇八号室に瀧川さんを入れて「二〇九号室に入った」と宣言させれば簡単に勝てていたのだ。つまるところ、木田さんの住む二〇七号室とくっつけて広くする必要性は、必ずしもない。


 半間は密室を造るふりをして、手狭になりつつある木田親子に瀧川さんの支払いで広い部屋をプレゼントしたのだ。


 でも、一つだけ気がかりなことがある。


「瀧川さん、木田さんの部屋の家賃を急に上げたりしてないかな? 広くなっちゃったわけだし」


「問題ないと思うがな」


「何で?」


「あの部屋を再び分離する工事を行ったところで、工事費が上乗せされるばかりで入居者が入る予定はない。家賃を上げて木田さんに出て行かれた場合、少ないとはいえ家賃収入は減る。瀧川さんは人が得をするのが嫌いというわけではない。自分が損をするのが嫌いな人なのだよ」


 言われてみると、そんな気もする。あの人も今回の件で半間に負けて痛い目を見たのだ。これ以上傷口を広げるような真似はしないと願いたい。


 そんなことを思った矢先に。


「やあ、半間君」


 事務所の扉を開けて入ってきたのは、噂の瀧川さん。彼はこの前と同じ趣味の悪いブランド物のスーツ姿で、丸い金縁のサングラスの向こうに悪だくみでもしているような目を光らせている。


「この間は世話になったね」


「こちらこそ、入金は確かに確認させてもらったぞ」


「それはそれは……ところで、また是非ともお前さんに依頼したい仕事があるんだが」


 どうやら、変にライバル意識を持たれてしまったらしい。矛先が木田さんではなく半間に向くのは結構だけど、これはまた厄介なことになりそうだ。


「聞かせてもらおう」


 半間はクッキーの箱を置くと、毅然とした態度で足を組む。はてさて、次はどのような欠陥案件が着工されるのだろうか。


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【特別読切】皆藤黒助『真実は間取り図の中に 半間建築社の欠陥ファイル』 皆藤黒助/KADOKAWA文芸 @kadokawa_bunko

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