太陽のたべ方

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太陽のたべ方

 ときどき、どうしようもないくらい、かなしい気持ちにつかまってしまうことってあるよね。

 なにもできず、一日が一瞬のうちに過ぎてしまうんだ。

 あのとき、いわなくてもいいことをいってしまったり、いうべきことをいわなかったりしたのだろう。

 自分がなにもしなかったことに気づいた瞬間、目にみえる世界の輝きは失ってしまう。

 帰り道、夕日をみたくなるのはそんなときだ。

 昼から夜に変わるしめくくりに、今日さいごの輝きをみられたら、少しは心が楽になる気がするんだよ。

 山陰に近づきながら、鉄が燃えて溶けるように赤い夕日。

 決断もできず、動き出すこともしないで過ごしてできた、胸いっぱいのもやもやした気持ちを焼き去って助けてほしい。

 そんな思いで西の空をみていた。


「ちょっとすみません、よろしいですかな」


 黒っぽい毛並みの小型犬をつれた、おじさんが声をかけてきた。

 散歩の途中なのだろう。

 いくつぐらいなのか、見た目からではよくわからない。

 自分の親とおなじくらいかもしれない。と思ったから、いやな感じはしなかった。


「なんですか」


「太陽を食べているのですか?」


 このおじさんは、なにをいっているのだろう。あわてて首を横にふる。


「夕日をみてるだけです」


「そうでしたか。では、食べ方を教えてあげますよ」


 おじさんはいい、夕日にむかって説明をはじめた。


「まず、太陽をじっとみます。あ、そのときは目は閉じないでくださいね。そして、口に入っていくところを想像します。口のなかへ入ったら、目を閉じ、光の玉がゆっくりと喉の奥、食道をぬけて丹田、おへそのあたりまで落とし込んでください」


 どうぞと勧められ、よくわからないままに、おじさんのまねをしてみた。


「ちょうどおへそのあたり、体の奥にはソーラープレクサス、太陽神経叢という神経が束になっているところがありまして、ここから体のすみずみに光が広がっていくイメージをしてください。こうして太陽を食べるのですよ。夕日だけでなく、朝日も食べることができますよ」


「朝日も?」


 おもわず聞き返してしまう。

 おじさんは笑顔とともにうなずいた。


「朝日からは元気をもらえます。夕日は、高ぶった気持ちを落ちつかせてくれる力があるんです」


 へえ、そうなんだ。

 なんだか素敵。毎日食べてみよう。

 犬好きのひとに悪いひとはいない、というのはほんとうかもしれない。


「突然すみません。なにごとかとおどろかせたかもしれないですね。ぼくのここが、どうしてもあなたに話さなければというので話したのです」


 といいながら、おじさんは自分の胸を指さしていた。


「ぼくたちは、かつて世界の主人公であったころの子どもの自分に、耳を傾けなくてはいけません。その子どもは、いくつになっても胸のなかにいるのです。自分のなかに住んでいる子どもは、世界を輝きに満たす魔法を知っているのです」


「魔法、ですか?」


背中を押されたように体が前に出て、おじさんはうなずいた。


「胸のなかに住んでいる子どもは、いつも魔法を叫んでいます。ぼくたちはその叫びを押さえることはできても、黙らせることはできません。子どもたちは空の王国、天の住人なのです」


 いいきるおじさんの言葉が、背筋を伸ばさせた。

 おじさんの足元にいる犬はじつにおとなしい。きちんとお座りをし、ときおり舌を出しながら尻尾をふっている。


「空は、頭の上をふさいでいる天井ではありません。顕微鏡の極微の一点、太陽がかけがえのない命を見下ろしているのです。もしぼくたちが子どものように、無邪気でよろこびながら毎日を過ごすことを学ぼうとしないのなら、ぼくたちが生きつづける意味はなにもありません。かといって、自分を傷つけ殺めてしまうのは、胸のなかに住んでいる子どもに刃物を突き刺すこととおなじ。心に住まう子どもがぼくたちに話すことに、もっと注意深く耳を傾ける必要があるのです。子どもの存在におどろいてはいけないし、こわがる必要もありません。子どもは臆病で、さびしがり屋。なにより、ひとりぼっちですから」


 ひとりぼっち、という言葉がこわかった。

 友達やみんながいるから、たのしいんだ。

 たのしくないのは、心に風が入るみたいに寒くなる。


「子どもは、昨日と今日がちがうことを、よく知っています。自分のなかに住んでいる子どもをよろこばせてあげなければならないのですよ。子どもの声に耳を傾ければ、あなたの瞳は輝きを強め、子どもと手をつなげば迷うこともなくなります。太陽を食べることで、いま以上に子どもの声をきくことができるでしょう」


 おじさんの話が終わるのがわかったのか、犬が立ち上がり歩き出す。


「自分のなかの子どもの声を、素直にきくのですよ」


 犬に引かれるように、おじさんは夕闇のなかへと去っていった。






 おじさんから教えてもらった『太陽の食べ方』を、毎日つづけてみた。

 朝起きては、カーテンを開けては窓辺に立ち、太陽を食べる。ハチミツをつけたり、ピーナツバターや生クリーム、マーマレイドやチョコソースをつけるのも最高。

 夕方は、帰り道を歩きながらクレープに包んで食べた。

 晴れの日も雨の日も食べつづけた。

 たとえ雨が降って太陽がみえなくても、雲のむこうには毎日、太陽は東から昇り西へ沈んでくれている。

 目にみえなくても朝と夕方、太陽をお腹のなかに入れ、体中へと行き渡らせた。

 気がつくと、まわりにはたくさんの友達や仲間に囲まれるようになっていた。

 どうしてあなたは元気で、なにもかもうまくいくのか、みんなが訊ねてきた。


「ついこのあいだまで、他人を演じて生きてたからかな」


「他人って?」


 みんながきいた。


「他人っていうのは、ほんとうの自分じゃなくて他の存在のこと。だれよりもしあわせになるためには、どうやって相手を利用し、どうすれば出し抜けるのか。または損をせず、たくさんのお金を手にするにはどのようにしたらいいのか。そういうことばかりを考えることが正しいんだって他人は信じてる。それも大事かもしれないけれど、そればかり考えて人生過ごしたら、いま自分が生きているんだと気づいたときには、やりたいことはなにもできなくなってるよ。そうなったら遅すぎ。過ぎた時間は戻らないからね」


「だったら、いまのあなたはだれ?」と一人がきいた。


「自分の心の声をきき、二度とない奇跡の毎日を信じ、生きることのよろこびと情熱を味わう太陽の子。失敗を恐れて動けなくなっているのは他人のすることだから」


「でも、いやなことや苦しいことってあるじゃない?」と一人が訊ねる。


「だめなときはあるし、避けられないことはだれにでもあるよ。でも、自分がなにをやらされてるのかわからず挑んで負けるより、自分の夢を実現させるために戦って失敗するなら、なにもこわくない」


「それだけで、うまくいくの?」もう一人がきいた。


「それだけだよ。他人はいつも、将来のことを考えないと後悔するぞって脅してくるけど、心のなかに入れたりしない。だって、素直に心の声をきいて、なりたい自分になることができたんだから。他人を追い出したおかげで、世界を照らすエネルギーを持った太陽の力が、体のなかをかけめぐり、毎日、奇跡を起こしているんだから」


 今日もまた太陽は昇り、だれの胸のなかにも、子どもが魔法を叫んでいる。

 その声に耳をふさぎ、自分でない他人となるか。あるいは声に耳を傾け、太陽の子となるのか。

 極微の一点が見守っている。


 

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