第38話 開幕 2/2

 一方、病院前に取り残された龍二は誰かが頰を叩くような感覚で意識を取り戻していた。


 未だに霞む視界でゆっくりと目を開けると、ぼんやりと誰かが覗き込んでいるのがわかる。


「あら、起きたわね。死んでるのかと思ったわ」


 聞き覚えのある涼やかな響きの声が聞こえると同時に人物の姿がはっきりと目に映った。


「冬川……。元気?」

「こんばんは大神くん。こんな道のど真ん中で一体なにしてるのかしら?」


 そう言って手を差し出してきたのは龍二の幼染の生徒会副会長の冬川だった。


「まぁ、ちょっとね」


 誤魔化しながら冬川の手を借りて立ち上がる。

 彼女の隣には赤いフレームの自転車があってスタンドが降ろされた状態で停車していた。


 龍二は歩こうと一歩踏み出すが、体をふらつかせて立ち止まる。

 結構な力で殴られたようで殴られた腹部の痛みがかなり響いた。

 そんな龍二の様子に冬川は気づく。


「ケガしてるの?」

「大丈夫。ヤンチャなお姫様に腹を思いっきり殴られただけ」

「なにをしたのか知らないけど、とりあえずそこの公園にでも行きましょう」


 冬川の提案に龍二は頷いた。

 痛みがある程度引くまでは少し休みたい。


 龍二の隣を冬川は自転車を押して歩き、すぐ近くの公園へと向かう。


 公園はそんな広くもないスペースでブランコと滑り台という申し訳程度の遊具とベンチがあるだけで誰も人はいなかった。


 入口に自転車を止めた冬川とベンチに並んで腰掛け、龍二が深く息を吐いたところで彼女は訊ねてくる。


「お姫様って、この前一緒に生徒会室に来た転校生のことでしょう? どんなお節介をやらかしたの?」

「お節介ってのは決まりなのか」

「だってあなたが動く時は大抵そうでしょう。普段は慎重なのにそういう所ホント変わってない」


 龍二は苦笑する。


 確かにそうだ。当たっている。

 やはりこの幼馴染はよく自分のことをわかっている。


 しみじみと感じつつ、今度は龍二が問い返した。


「冬川はなんで?」

「親戚の手伝いの帰りよ。今日は用事があるからって店番を頼まれたの。まさかあなたに会うとは思ってもみなかったけど」

「僕もだよ」


 同意しながら空を見上げる。

 ビル街の明るさで星はほとんど見えないが、それでも一等星や二等星くらいなら肉眼でもなんとか認識できた。


「こうして話してると昔に戻ったみたいだ」


 そういうと冬川も同じように空を見上げたが、間を開けてから言葉が返ってくる。


「残念だけど、もう昔には戻れないわ。あなたは私を見捨て、私はあなたとの関係を変えた。そこで私たちは変わったのよ」


 冬川の涼やかな声が冷たさを持って龍二の心に刺さる。

 だが責めるようなその口ぶりに龍二はなにも言わない。


 自分から彼女との絆を捨てておいて、今更それを感じるなど虫のいい話である。

 故に龍二になにかを言う権利はなかった。


 眉間に皺を寄せた龍二に対し、詩音は続ける。


「でも私との関係を切ったことで学んだこともあるでしょう。お節介もそのひとつ。相手に手を伸ばし、掴んだ手を引っ張って助ける。それがいまのあなたの生き方でしょう?」


 冬川の言葉に龍二はキョトンとした顔をしたが、直後吹き出すように破顔した。


 かつて大神龍二冬川静彼女の期待を裏切った。

 だからこそ、自分への戒めとしてボランティア部を作ってお節介やらなにやらをするようになったのだ。


 これからもその生き方は曲がらないだろうし、曲げられないだろう。


 そしていま、友人の無実を晴らそうと一人もがき苦しんでいる奴がいる。


 例え拒まれようとも彼女に差し出した手を今更引くことなどできない。


 いまだに悲鳴を上げる腹部に手を当ててから、龍二はゆっくりと立ち上がり、冬川に呟いた。


「なぁ、冬川。自転車借りてもいいか?」

「大神くん。あなた、私の家がここからどれくらいの位置にあるか知ってる」

「もちろん。隣に住んでるんだから当たり前だよ。そのうえで頼んでる」


 龍二はそう言ってまっすぐに冬川の瞳を見つめた。


 二人の自宅がある場所はここから歩くと三十分以上かかる。

 つまり龍二に自転車を貸すということは冬川は帰り道を三十分以上かけて帰らなければならないということだ。


 だが詩音を止めるには出来るだけ彼女との距離縮める必要がある。自転車を使うのは好都合なのだ。


 やがて龍二の真剣な表情に根負けしたように冬川が先に視線を逸らし、やれやれとばかりにため息をついた。


「わかったわ。ただしこれは貸しよ。いつかこのお礼は返してもらうわ」

「あぁ、ありがとな」


 お礼を言って龍二は冬川から自転車の鍵をお受け取ると、すぐさま自転車を駆って、駅の方に向かって漕ぎ出す。


「やれやれ。私もまだまだ甘いわね」


 その背中を見つめながら冬川は静かに息を吐き出した。

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