第37話 開幕 1/2

 ゼロワンを裁くと宣言した詩音は六区へと移動していた。


 二区に比べて六区の住宅街は静かで明かりも少ない。

 日は完全に沈んだが、まだ明かりが消える時間には早いので単純に人が少ないということだろう。


 六区は六坂市の中でも最低の治安率を誇っており、住んでいる人間も他の区に比べて所得の低い人間が多い。

 そんな地域に詩音がやってきたのは、ここにゼロワンらしき人物がいるという情報を手に入れたからだ。


 六坂の街を騒がせていた連続強盗犯を捕まえた後、詩音は家に帰ることなく街の暗部でゼロワンに関する情報を嗅ぎまわった。


 かつて日奈子を救うために不良グループをひとつ潰し、「一区の戦姫」なんて二つ名をつけられたお陰で、詩音は六坂の暗部の人間たちとは少しだけ縁があったのだ。


 彼らは相応の対価を用意すれば知りたいことを教えてくれる。

 もちろん時には侮った連中と戦うことを余儀なくされることもあったが、大抵の情報は手に入れることができた。


 しかし、蓋を開けてみれば大抵はゼロワンを知らなかったり、知っていると言った人間の情報もガセネタで使えるものは無いに等しかった。

 その中でやっと手に入れたのが、この先にある廃工場のウワサだったのだ。


 ゼロワンの名はまだ暗部ではあまり知られていないようだったが、存在しているのは確かだった。

 そして、詩音のそれらしき建物の前へと行き着く。


 廃工場と呼ばれているだけあって、壁にはスプレーによる落書きがあったり、錆びたり穴の開いたりしたところから蔦が侵入しており、いかにも無人で寂しげな印象だった。


 ここに追い続けた敵がいるかもしれない。


 緊張で高まる心臓の鼓動を落ち着けるように詩音は目を閉じ、深く息を吸う。

 その時、ゼロワンを追うのをやめるように懸命に訴えてきた龍二の姿が一瞬脳裏をよぎる。


 アイツには悪いことをした。


 すべてを警察に任せて普通の学生に戻る。

 彼の言い分が正しいことは詩音にもわかっていた。


 しかし詩音にはそれはできない。


 身勝手なことだというのは理解している。

 だが彼の要求を飲むということは、この一年ゼロワンを追ってきた詩音の努力はすべて無駄であるということを認めることだ。


 必ず自らの手で日奈子の無実を晴らすと誓った詩音にとって、それは自らの負けを認めることに等しい。


 本当に自分勝手な理由で笑えてくる。

 けど、これを達成できればあとはどうでもいい。

 自分のエゴで誰か――例えば龍二アイツやボランティア部の奴が巻き込まれて傷つくのは御免だった。


 だから、これは一人で片をつける。

 己の中で覚悟を決め、詩音はそのまま廃工場の中へと足を踏み入れた。


 廃工場の内部は荒れ放題だった。

 明かりのない屋内は塵や埃以外にも、劣化によって構造物から落下したパイプや割れたガラスの破片、倒れた棚のようなものに木箱など雑多なもので溢れている。


 床にはそれらが散乱していたが、まるで通路のように不自然に開けた場所や意図して置いたかのような物の配置がなされている箇所があり、明らかに人の手が入っていた。


「挨拶くらいはしてくれてもいいんじゃないですか?」


 突如声が降ってくる。

 声のした方を見上げると、貯水場か何かだったのか奥の三メートル以上はありそうな巨大なタンクの上に人がいた。


「ボロで人がいないように見えるとはいえ、忍びこむのはいただけませんね」

「……お前が、ゼロワンだな」


 白いフード付きのパーカーにカーゴパンツを履いた男から目を離さず、詩音が言う。

 緊張しているのか、思ったより低い声が出た。


 廃工場自体に明かりがない上に、男はフードを被っているので顔全体を拝むことはできなかったが、その口元は明らかに笑っていた。


「えぇ、僕があなたの探しているゼロワンです。以後お見知りおきを」


 自らそう名乗ったゼロワンは役者のようにうやうやしく頭を下げる。


 茶番だな。

 芝居がかったその仕草に詩音は眉をしかめたが、すぐに気を取り直して口を開いた。


「ゼロワン、お前には聞きたいことが山ほどある」

「嬉しいですね。なんでも聞いてください。まぁそれはそれとして、すごいでしょ。まさに大人の秘密基地みたいで」


 そう両手を広げて廃工場を指しながらゼロワンはまるで子どものようにはしゃぐ。

 確かに廃工場の寂れた感じはどこか子どもが作った秘密基地のような雰囲気を持っていたが、そんなことはどうでもいいと詩音は鼻で笑った。


「どうせ無人だった場所を勝手に占拠して裸の王様気取りなだけだろ」

「心外ですね。その通りなので否定はしませんけど……とりあえず、改めましてようこそ。姫宮詩音さん」


 詩音の挑発には乗ってこず、あっさりと引き下がったゼロワンは再び頭を軽く下げた。

 同時に詩音の顔の筋肉がこわばる。


「どうして私の名前を……」


 ゼロワンと直に接触するのは初めてのはずだし、そもそも詩音はまだ名乗ってすらいない。


 それなのにゼロワンは詩音の名前を言った。

 まるで前から知っているかのように。


 詩音が硬直している間にゼロワンは続ける。


「僕はね、あなたが中学生の時から大ファンなんですよ。あなたの友達を利用して気を引いちゃうくらいにね」

「……お前ッ!」


 その発言をどういうことかを理解した詩音が目を見開き、正解とばかりにゼロワンは指を鳴らした。


「えぇ、一年前。あなたのお友達を洗脳し、あなたが最終的に僕にたどり着けるように情報も流しました。すべては僕の計画ですよ」


 その告白に詩音は言葉を失う。


 最初からゼロワンの目的は詩音だった。

 悟った瞬間、手が震え、景色が眩む。


 つまり日奈子があんな目に遭ったのはすべて自分のせいだと言うのか。

 事実を信じたくなくて詩音は怒りの矛先を無理矢理ゼロワンへと向けた。


「なぜ……なぜそんなことをした! 最初から私が狙いなら私を狙えばいいだろ!」

「それじゃあ意味が無いんですよ。僕はあなたに本気で向き合ってほしかった。こっちが一方的に仕掛けるよりはそっちからも仕掛けてもらうほうが面白い。だからあなたが大切にしている友達を利用した」

「お前は狂ってる……利用された人間のことを考えたことがあるのかッ!」

「あるわけないでしょう。そんなことを考えていたら何も出来やしない。けど嬉しいですよ。あなたは復讐のため行動を起こし、僕をここまで追いかけきた。まさに予想通りです」


 称賛するとばかりにゼロワンは拍手をし、その乾いた音が廃工場に響き渡る。

 その音が鼓膜を刺激するのに合わせるように詩音の中にどす黒い感情が溜まっていき、食いしばった歯から声が絞り出された。


「ゲスが……、そこから降りてこいッ! 私が直々にお前をぶっ潰す!」

「悪党が大人しく捕まるわけがないでしょう。それにこういう時は危機的な状況に陥ってもらわないと。心が踊らないでしょう」


 ずんずんと近づいてくる詩音をゼロワンは嘲笑って指を鳴らす。


 突然物陰から男たちが現れ、詩音を遠巻きに取り囲んだ。

 まったく気配を感じなかった敵の登場に詩音は驚く。


「僕の能力で洗脳した手下です。僕の命令ひとつでどんなことでもする」

「ッ……!」


 歩みを止めた詩音が鋭い眼光を向けるが、ゼロワンは無言でタンクの上から飛び降りる。

 そして詩音と同じ地面に立ってから再び口を開いた。


「僕もそれなりに情報網は持ってるんです。あなたが僕のことを嗅ぎまわってるのはすぐに分かりましたよ。だからあえてここの情報を流したんです」

「すべてはお前の手の平の上ってわけか」


 答える代わりにゼロワンはその通りと言わんばかりに微笑んだ。

 つまりはここに来るように詩音は仕向けられ、まんまとその罠に嵌ったというわけである。


「前回の一件で『一区の戦姫』なんていう渾名を賜ったらしいですけど、流石にこの人数を同時に相手にするのは無理でしょう」


 確かにこの人数を一度に相手するのは能力を使っても難しい。

 ゼロワンの言葉を聞きながら詩音は携行していた警棒を展開し、険しい表情で視線を巡らせる。


 見える範囲にいる男たちは全員で十五人。

 武器らしきものは持っていないが、体格は詩音よりも大きく、全員詩音と同年代くらいに思えた。


 そうして詩音が睨みをきかせている間も周囲の男たちはじりじりと距離を詰めてきていた。


「どうします、降参しますか?」

「はっ、冗談だろ」


 指揮者のようなポーズをしたゼロワンの提案に詩音は不敵に笑ってみせる。


 敵は多数の手下を従え、詩音には味方は誰一人としていない。


 まさに多勢に無勢。

 だが、もう後には引けない。


 昔の自分は弱かった。

 だから強くなったのに目の前の親友を傷つけた敵を前に逃げ出すことなどできない。


 かつて誓ったのだ。

 大切なものは己で守ると。

 自分の決めた覚悟くらいは守り通したかった。


「じゃあ、最後まで足掻いてみてください」


 その言葉とともにゼロワンの手が動き、合図とばかりに男たちが一斉に飛びかかってくる。


 詩音は瞬時に能力を発動。

 彼らの間にできた僅かな死角を認知し、そこに自分の体を滑りこませ、視界から消え去る。

 そして今度は目標を見失った敵の背後から現れ、首筋に警棒を叩きこんだ。


 相手は昏倒して前のめりに倒れ、詩音は刀を払うように警棒を振ってから動きを止める他の男たちへと向けた。


「私を倒すなら覚悟決めてかかってこいッ、全力でぶっ潰してやる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る