第36話 照らされた真実 2/2
龍二が詩音と再会する数時間前。
姫宮夫人からメモを受け取った龍二は、紙に書かれた住所のひとつ――休日に詩音と出会ったあの病院へと来ていた。
友達が入院してるんだ。
以前病院近くで話した時、詩音はそう言った。
その時の彼女の罰するような苦しげな表情と口ぶりを思えば、過去にその友人となにかあったであろうことは龍二にもすぐに察せられる。
おそらくそれにゼロワンが関わっていると龍二はアタリをつけたのだ。
少なくとも、姫宮夫人が候補として挙げ、病室の番号まで書いてあったのだから、なにかしら彼女の過去を知ることができるだろう。
そう思い、あるいは願いながら龍二は目の前のベッドに座る同い年くらいの大きな瞳の少女に訊ねた。
「それで教えてもらえますか、ゼロワンについて」
そう言うと、詩音の友人――桜木日奈子は険しい表情で口を噤む。
途中で捕まえた看護師から聞いた話によれば彼女は中学時代の詩音の友人でここには半年以上前から入院しているらしい。
互いに初対面だが、日奈子は龍二に対して警戒心を露わにしているのははっきりとわかった。
それもそうだろう。
いきなり見知らぬ少年がやってきたと思ったら、一方的に思い出したくもない過去の質問をしてくるのだから。
しかし、それも踏まえても彼女の警戒心は強かった。
もはや怯えに近いくらいだったし、実際に怯えているのかもしれない。
本来ならじっくりと時間をかけて警戒を解きほぐしていきたいところなのだが、あまり時間は残されていない。
龍二は真剣な表情で訴える。
「教えてください。詩音はあなたの友達でしょう? 彼女は何も言わずに一人でゼロワンを追ってる。彼女の力になりたいが話してくれないからなにもできない。お願いします。彼女の手助けしたいんです」
「…………」
日奈子の沈黙は続く。
だが、その手は足にかかったかけ布団をギュッと掴んでおり、しばしの沈黙ののち彼女はゆっくりと口を開いた。
「ゼロワンは……私と詩音の人生を狂わせたんです」
絞り出すようにそう言うと耐えきれなくなった日奈子は嗚咽を漏らして顔を俯ける。
流れた涙が白いシーツにシミを作り濡らしていく。
全体像が掴めない龍二に日奈子は続けた。
「私……、中学時代に不良に強姦されかけたんです。けど、襲った側は私が誘ってきたと言っていて……」
「事実は違うのですか」
「わからない……記憶がないんです。でも記憶がなくなる直前にある男から命じられたことは覚えてる。でもそのことを話しても警察は信じてくれなくて……」
「詩音だけが信じてくれた。つまりその命じたのがゼロワンってことですか」
日奈子はコクリと頷く。
彼女の話は常人には納得しがたいし、人によれば自分への責任回避しているよう思えるだろう。
しかし龍二には信じられた。
「すいません、辛いことを聞いてしまって。でも僕は信じます。そういうのに心当たりがありますから」
確かに普通なら、他人に操られたなんて話はにわかには信じられない話だ。
だが他人を操る能力者が関わっている場合なら別である。
いままで龍二の出会った能力者の中でそういう能力を持った者はいなかったが、可能性はゼロではない。
そして自身も能力者である詩音もそのことに気づいていたのだろう。
「ありがとう。正面からそういってくれる人はいままでいなかったから」
涙をゴシゴシと拭きながらお礼を言って日奈子は笑う。
「出会った頃の詩音は人を寄せ付けなくて、でも私が不良に襲われたところを助けてくれて仲良くなったんです。だから本当は優しいんです。ただ他の人よりも不器用なだけで」
自分よりも旧知の間柄である日奈子の言葉を龍二はしっかりと受け止める。
まだ一ヵ月も経っていないが、友人の無実を晴らすためだけに動くのを見ていれば彼女の優しさは龍二にも理解できた。
「私は、これ以上傷ついて欲しくない。笑顔でいてほしいんです。だからお願いします。詩音の力になってあげてください」
そう言って日奈子は深々と頭を下げた。
―――――
そうして病室での会話を話し終えた龍二に詩音が震えた声で呟く。
「日奈子がそんなことを……」
龍二は頷き、彼女の肩を強く掴んだまま問いかける。
「そうだ。友人を思うなら彼女の意思を尊重してやれ。お前が傷ついて悲しむ人間は大勢いるんだぞ。もしこの件に能力者が関わってるなら警察の能力者対策室が再捜査してくれる。これでもまだ一人でゼロワンを追う気か?」
そう龍二が告げると、詩音は顔を歪ませて俯く。
いま、詩音は心の中で葛藤しているのだろう。
友人の言葉を無視してゼロワンを追うのか、それとも友人の意見を優先し、ここでゼロワンを追うのをやめるのかを。
それに龍二は口を出すことができない。だが背中を押すことはできる。
もしもの時は姉に直接相談を持ちこめば動いてくれるはずだ。
だがしかし、龍二や日奈子の気持ちを裏切るように詩音は顔を上げて呟いた。
「……そうだ。私は奴を追う」
「ッ! 正気かッ、友人の言葉を無視してまで追うっていうのか」
思わず掴んだ肩の手に力を込めて、龍二は声を荒げる。
しかし、詩音は一瞬視線を彷徨わせたもののすぐに表情を取り繕う。
「
言葉とともに拳を握り、覚悟を決めた表情で龍二を見返す。
逆に龍二の方がその眼光に気圧されてしまうほどだ。しかし、それでも龍二は引き下がらない。
「さっき言っただろ! 彼女はそれを――」
龍二のセリフが不自然に途切れ、胃の中のものを戻しそうなほどの衝撃が体を貫く。
突然の痛みと嘔吐感に視線を下げると詩音の拳がみぞおちにめり込んでいた。
予備動作もなかった攻撃に対処できるわけがなく、あまりの痛みに言葉も出せずに龍二の体がゆらりと倒れようとする。
その手が詩音の襟首を掴んだが、詩音はその手を振り払い、龍二は体をくの字に曲げてその場に崩れるように倒れた。
激痛で体が震えていうことを聞かない。意識も徐々に遠のき始める。
だがその中でも龍二は懸命にもがいて立ち上がろうとした。
そんな彼に詩音の声が降りかかる。
「ゼロワンは私が裁く。これは私の意思だ」
自分の感情を押し殺すような、何者にも弱さを見せまいとする硬く冷淡な声。
カツカツと詩音が歩き去っていく音が鼓膜を震わせる。
待て……。
龍二はそう叫んだつもりだったが、口から漏れるのは声にならない呟きだけだ。
遠くなっていく彼女の足音はやがて消え、残された龍二の意識もそこで途絶えた。
―――――
学校の教室で一人の少年が自分の席でポツンと俯いていた。
クラスメイト達はそれを遠巻きに眺めながら、ひそひそ囁き合っている。
「なぁなぁ、アイツって冬川と付き合ってんの?」
「家が隣同士だもんな」
「キスとかしちゃったりして」
そんなかすかに聞こえてくる囁き声に耳を塞ぎたくなりながら、少年はチラッと顔を上げて黒板に目を向ける。
黒板には目一杯に描かれた相合い傘の下に少年と少女の名前が並んで書かれている。
背後を盗み見る。
前から二番目の少年から見て、斜め二つほどの席に少女が座っており、彼女も少年と同じようにクラスメイトからの視線に晒されていた。
少年と少女は家が隣同士のいわゆる幼馴染だった。
前から他の友達に比べて距離が近かったが、それをクラスメイトたちがこのような形でからかったのだ。
ふと視線に気づいたのか、少女と視線が合う。
助けて、と彼女の目は訴えていた。
その無言の訴えを少年は理解しながら避けるように顔を背け、何もしなかった。
いま動けばクラスメイトからの好奇の視線を一斉に浴びることが恥ずかしくて動けなかった。
もし少年がここで、いますぐ立ち上がって少女の手を取ることができたならば……その決断さえ下せれば、何かが変わったかもしれない。
だが、小学生である少年にはその決断ができなかった。
クラスメイトの誰かが遊び半分で描いたものだ。
特に珍しくもない。こんなものはよくあるからかいだ。
大人から見ればそれは他愛もないものだったが、少年はまだそういうことをうまくやり過ごせる年齢でもなかったし、第一、そうして名前を書かれていることに深く傷つき動揺していた。
やがて顔を背けられた少女は、こぼれ落ちそうになる涙をこらえるように顔を伏せて足早に教室から出ていく。
クラスメイトの視線が出ていった彼女に向けられているのを感じながら少年は食いしばる。
助けられなかった。
幼馴染が助けを求めているのに応えることができなかった。
そしてなによりクラスメイトの視線が自分に注がれていないことに安心している自分がいることが許せなかった。
自分の不甲斐なさに少年は誰に気づかれることなく静かに涙し、そしてこの時のことを一生悔やむこととなった。
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