幕間六   与えてくれた日常



 窓越しに今宵こよいの夜空を見れば、ちかちかと輝く星々ほしぼしの中に葉月ようげつが浮かんでいた。

 心を落ち着かせるはずの月は、今はどこか心許こころもとない印象をいだかせる――今の心境がそう思わせているだけで、普段であればそういった感想は持たないだろう。

 すべてにおいて整えられたよごれ一つない部屋に、シャルティーナはいた。

 鏡台に映る銀色の瞳はかなしみでややくすんでおり、表情もあまりえない。そんな顔をしてはいけないと自制するものの、自然と心を表してしまう。

 白い寝間着ねまきに自分の白い肌が、シャルティーナにはやけにかすんで映っている。

 銀髪を整えてくれている樹人じゅじんの女騎士を、シャルティーナは鏡越しに見た。純白の外套がいとうと鎧を組み合わせた格好の彼女は、てきぱきと就寝の準備をしてくれている。


「シャルティーナ様。やはり心を痛めておられるご様子ですね」

 ハーミット・エルミナ――ハーミィと呼んでいる彼女が、やさしい声をつむいだ。

「しかし……今回ばかりは我慢がまんするしかありません。討伐部隊や諜報員ちょうほういんからの連絡が完全に途絶とだえ、厳戒げんかい体制をめいじられましたから。しばらく、外出もできません」

「うん。それはわかっているけど……」

 シャルティーナは自然と肩を落とした。声に不満が混じっていたのを自覚する。

 銀髪をゆるやかにくしきながら、ハーミィは静かに苦笑をらした。

「本当に、彼のことが好きなのですね」

 シャルティーナは、極わずかに肩が跳ねた。


 好意であれば、紅髪べにがみの少女エレアノールに、マルティス帝国第八皇女アリシア――側近としてそばにいてくれているハーミィにもいだいている。悠真を想う好意との違いがどこにあるのか、シャルティーナにはいまだによくわからない。

 感覚的に違いがあるのはわかっている。しかしはっきりとした答えは出せない。

「彼のどこに、シャルティーナ様はかれているのですか?」

 混乱の極みと言ってもいい最中さなか、シャルティーナは静かに言葉を並べる。

「惹かれるって感覚が、まだよくわからないけど……ただ、彼は最初からずっと私を人として見てくれた。姿を見られたらおびえられるか、それか、殺そうとしてくるのがあたりまえだった私を、彼だけは反対に、命をしてまもろうとしてくれたの」


 シャルティーナは視線をせる。

「もしかしたら、それは……別に私じゃなくても、そうだったのかな。彼はだれにでもやさしくて、誰のためにでも命を賭して護ろうとするから……でも、そんな彼だから、きっといろいろ救われている人がいて、うれしい反面、ちょっといやな面もあるの」

 シャルティーナは自分の発言を振り返り、ひどく整理のできていない言葉であったと思う。自分でも何が言いたいのか、あまりよくわからない言葉だった。

 どう伝えればいいのか、考えれば考えるほど頭の中がこんがらがってしまう。

「だから、その……」

 ハーミィはくすりと笑った。シャルティーナは小首をかしげる。


「何も、あせる必要はありません。シャルティーナ様には、これから人としての幸せをたっぷりと学び、未来に向かって生きてほしいと心より思っております」

 鏡に映るハーミィはやさしく微笑んでおり、そしてゆっくりとうなずいた。

 ぼんやりと眺めたのち、シャルティーナは疑問を投げる。

「どうして……ハーミィは、悠真にだけあんなにもきびしく接するの?」

 彼女の片眉がぴくりと跳ね、しばらくしてから静かに語り出した。

「私の故郷こきょうは、深い森に囲まれた小さな村です。閉鎖的へいさてきというか差別的というか――樹人こそ上位の存在であると、樹人至上主義がいまだに根付いています。そんな村で育ったものですから、多種族が入り混じるみやこに来たときは、とても驚きました」


 ハーミィはやや遠い目をした。

「ただ私は、思いのほかあっさりと都に溶け込めました」

「それは、どうして?」

「そんな閉鎖的な村に、ある他種族の伝承でんしょうが一つあるのです。それは……二代目光の聖女様の物語です。ああ、二代目だとわかったのは、例の書物で知りました」

 苦い笑みを浮かべたハーミィは、何かを振り払うように首を横に振った。

「槍を思わせる長剣を携えた光の聖女様は、見返りなど求めることなく、勇猛果敢ゆうもうかかんに村の危機と立ち向かい、誰に対しても等しくいつくしみを与えた。要約すればこういった物語なのですが、村では唯一ゆいいつ、他種族でも軽視しないほどの存在なのです」


 ハーミィはぴたりと手を止め、視線をせた。

「種族など、関係ありません。すべてをまもろうとした光の聖女様に……小さなころから心を奪われ、強いあこがれをいだきました。だから容易に溶け込めたのだと思います」

 再び手を動かし始め、ハーミィは小さく微笑んだ。

「伝説の存在でしかなかった光の聖女様……シャルティーナ様に、今こうしておそばでお仕えすることができて、私はとても幸せ者ですね」

 きっと彼女が語った光の聖女と比較すれば、自分はそれほど立派りっぱな存在ではない。シャルティーナからすれば、恐れ多いことにすら感じられる。

 静かに語った彼女に、シャルティーナは何も言葉を返せなかった。


「例の書物を読み、私は心に大きな傷を受けました。私の憧れた光の聖女様が悪神あくじん謀略ぼうりゃくおとしめられ、事実を残したままじ曲げられていたのだと知り……そう、あんな閉鎖的な村の伝承ですら、悪徒あくとに黒く塗り潰されていたということです」

 少し沈黙して、ハーミィはまたゆるやかに声をつむいだ。

「正直……私は怖いです。悪徒がどこに潜んでいるのか、何もわかりませんからね。そう。彼がまた、光の聖女様を危険にさらしたのは、まぎれもない事実なのです」

 世界の情勢も、ここがどんな世界なのかも、悠真は何も知らない。なぜなら彼は、こことは違う異なる世界の住人であり、こちらをおとずれてまだ間もないのだ。

 しかし何も知らない彼だったからこそ、シャルティーナは心から救われた。


「それは違うよ。悠真は……うんん。だれもがそんなことを考えもしなかったから」

「ええ、そうですね……があるらしい彼だからこそ、シャルティーナ様を救え、何も知らないからこそ、シャルティーナ様をまた危険へと貶めた。しかし彼の存在があったからこそ、人類は悪神の謀略だと知り、私はお仕えできている」

 ハーミィは重い溜め息をついた。

「心とは複雑なものですね。わかってはいても、ゆるせないといった気持ちと、感謝の気持ちが複雑に混ざり合ってしまい……ただ、私は非常にくやしく思っているのです。シャルティーナ様を救ったのが、どうして私ではなく彼だったのか」

 シャルティーナは素直にうれしく思う。もしそうだったらと、少しだけ夢想する。


「そう、これはただの嫉妬しっとにすぎませんね。彼につらく当たってしまうのは、きっと単純にそういった悔しさや嫉妬によるもので、彼がきらいなわけではありません」

「ハーミィ……」

「ですが……これからは違います。シャルティーナ様が幸せになるのであれば、私は命をしてそれをまもりましょう。彼と会える時間が増えるよう死力もくします」

 シャルティーナはそっと微笑み、首を横に振る。

「それはだめよ、ハーミィ。命は賭さないで、ちゃんと生きて護ってください」

「……はい」

 少し呆気あっけに取られた顔をしたハーミィは、やや泣きそうな顔に変わってうなずいた。


 唐突とうとつに扉が大きく開かれ、その激しい物音にシャルの肩が少し飛び跳ねる。

「聖女様ぁ……聞いてくださいよ。ルネスがまた私のことをいじめるんですぅ」

 入室して来たのは、ミクト・マクト――猫型の獣人じゅうじんと人間との混族で、人間に近い容姿をした赤毛の少女であった。その隣には魔人まびとであるルネス・フィアレアという、頭部に二本の黒い巻角を生やした桃色の髪の少女もいる。

「こら、ミクト! シャルティーナ様に失礼でしょう!」

「だってぇ、ルネスが意地悪いじわるするんだもん……痛い痛い、ちぃぎぃれぇるぅ!」

 喋っている最中に、ルネスがミクトの頭部にある耳を引っ張った。

「おい、お前達……」


 ハーミィは小刻こきざみに肩を震わせながら、ミクト達のほうを向いた。

「首をねられる覚悟があって、シャルティーナ様の部屋に侵入してきたのか?」

 声音を低くして言ったハーミィに、あわてた素振そぶりでルネスは頭を下げる。

「す、すみません……ほら、だから言ったじゃない!」

「だってぇ……」

 ミクトはぴょんと飛び跳ね、シャルティーナの寝台に飛び込んで丸まった。

 ハーミィのほほが大きく引きつっている。

「あぁ……この寝台、聖女様の匂いがみ込んでいて落ち着くぅ」

 そんな匂いがあるのか、シャルティーナは手首を鼻に近づけて確認する。


 ハーミィはそばに置いていた剣を手に取り、すらりと抜いた。

「その幸福を感じたまま、お前の首を刎ねてやる」

「わぁああっ! わぁあああっ! わぁあああっ!」

 激怒げきどするハーミィに、大慌おおあわてをしているルネス、そして落ち着き払ったミクト――三人のやり取りをなか茫然ぼうぜんと眺め、シャルティーナの心が温かい何かで満ちる。

 禁忌きんきの悪魔と呼ばれていたころの自分が、現在の自分を見たらどう感じるのか、少し想像してみる。これらすべてが、彼が与えてくれた新しい日常の一つなのだ。

「というか……お前達、自分の持ち場はどうした!」

 剣をさやに戻しながら言ったハーミィに、ミクトはおだやかな口調で答える。


根暗ねくらな子を置いてきたから、問題にゃい」

「問題ないわけあるか! だれかが侵入してきたらどうするつもりだ!」

 激昂げっこうするハーミィの脇を擦り抜け、ミクトがシャルティーナにきついた。

「そのときは、聖女様にミクトの勇姿ゆうしを見せるの。ここへ侵入してくる馬鹿ばかなんか、瞬時に駆除してやるし。ねぇ、聖女様ぁ。聖女様の肌とてもすべすべだぁ……」

 ミクトは子猫のように、ほおを擦り合わせてくる。

 ルネスが悲鳴みた声をあげた。

「あぁああ! ずるいよ、ミクト! 私もシャルティーナ様にすりすりしたい!」

 ミクトの反対側で、ルネスもシャルティーナの頬に擦り合わせてくる。

 

 対応に困っていると、ハーミィの拳がミクトとルネスの頭上に降り注いだ。

「いっ……ったぁい!」

「何をするんですか、ハーミットさん」

「馬鹿者はお前達だ! 整えた寝台どころか、シャルティーナ様までけがすな!」

 ミクトとルネスはうめきを上げながら頭をかかえて、その場にすとんとへたり込んだ。また日常的なやり取りを始めた三人を眺めつつ、シャルティーナは微笑んだ。

 たっぷりと二呼吸ほどの間を置き、シャルティーナは胸に手を当てた。

(悠真……今日、会えなかったのは本当に残念ざんねんで、とてもさびしいけど……こんなにもしたってくれる人達がいっぱいできて、私ね、毎日が凄く楽しいよ)


 脳裏のうりに悠真の姿を思いえがき、シャルティーナは心にとどめる。

(今、悠真は何をしているのかな? 危ないことをしていなければいいけど……)

 胸に一抹いちまつの不安をいだき、シャルティーナは悠真に早くまた会えるように祈った。

「聖女様ぁ……助けてくださぁい」

 ミクトの言葉に、シャルティーナは心からの笑顔を浮かべ、首を縦に振る。

 今日の葉月ようげつは、心を落ち着かせるやさしい光で夜空を明るく照らしていた。



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異なる世界から仰ぎ見る空 タイトル:K @phantom-K-

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