幕間五   男同士



 はなやかな匂いに満ちた小さな庭は、赤々あかあかとした明かりで染まっていた。

 瑞々みずみずしい若草や色とりどりの花はやや黒みを帯びており、どこか心をしずませる色に変化している。そんな夕焼けで彩られた庭の片隅かたすみに、悠真はセド達といた。

「あなた達には、本当にお世話せわになったわね」

 ネーアは涙でらした目を細めて微笑んだ。悠真はぼんやりとした疑問を投げる。

「ネーアさんは、これからどうするんだ?」

「マルティス帝国に行った友人が、お店を開いているの。そこに、住み込みで働きにこないかっておさそいがあるから、そちらへ行こうかしらね」

 マルティス帝国と聞き、悠真は少しばかり驚く。


「ここは私の思い出の場所……だから、ここを維持いじするためにも頑張りたいの」

「そっか」

 ネーアに短く返答してから、悠真は意識的に笑みを作った。

「もし困ったことがあれば、マルティス帝国第八皇女こうじょのアリシアをたずねれば、きっと力になってくれる。悠真からの紹介だって言えば、あいつならわかると思う」

 ネーアと一緒に、セドも目を白黒させた。

「あ、あなた……ずいぶんと顔が広いのね。あのエヴァンス家どころか、マルティス帝国の皇女様ともお知り合いなの?」

「まあ、ただの偶然ぐうぜんだ。俺も、あいつにはちょっと世話になっているからな」


「ちょっとちょっと、悠真君! 俺もそんな人達とお知り合いになりたいぃ!」

 セドの懇願こんがんに、悠真は苦笑する。

「まあ、そのうちな」

「おお、よっしゃ! 言質げんち取れたぜ!」

 セドは謎の小躍こおどりを始め、悠真はややほおを引きつらせる。

「もし、マルティス帝国に来ることがあれば……私のところにも立ち寄りなさいね。あなた達には、お礼してもしきれない恩があるから、手料理を振る舞ってあげる」

「ああ。機会があれば、ぜひ寄らせてもらうよ」

 悠真の言葉に、ネーアは静かにうなずいた。


「依頼の報酬金ほうしゅうきんは、商霊のほうから受け取ってちょうだいね」

「あ、そうそう。別に俺、報酬金はいらないや」

 何気ない声で言ったセドの発言に、ネーアが呆気あっけに取られた顔をする。

「もともと、報酬金が目当てじゃないんだ。女神様のお告げで来ただけだから」

「その女神様って、なんなのよ」

「俺に命を吹き込んでくれた、崇拝すうはいすべき女神様さ! それに、金は少しでもあったほうがいいだろ。屋敷の維持いじに回せば、少しは楽になるだろうし」

「あなたって本当、よくわからない人ね」

 セドのやさしさに、悠真は短く笑う。


「じゃあ、俺もいらない。今回の件で俺はもう、充分じゅうぶんな報酬はられたからな」

 悠真は黒い指輪を見てから、驚きの眼差しをしていたネーアに視線を移した。

「俺もさ、今すぐ金が必要だってわけじゃない。ただ、たくわえがあるならあったほうがいいかなってぐらいだ。もし、いつかマルティス帝国に行ったら手料理を頼むよ」

 戸惑とまどった様子を見せたのち、ネーアは諦めたように溜め息をついた。

「本当、変な人達ね。ええ、手料理を振る舞ってあげるからいつでも来なさい」

「ふっふっふっ。じゃあ、これは新たな旅立ちをするお嬢様へおくろうかな」

 セドは鞄から一つの革袋かわぶくろを取り出し、そっとネーアに手渡した。

 ネーアは困惑こんわくげに受け取り、袋の口を開く。七色の光が袋の口かられる。


「ちょ、これって……」

「実は、なんと! こっそり集めていたんだな。原石でもそれだけあればさ、新しい土地に慣れるまでは、屋敷を気にしなくてものんびりとできるだろ」

「これ……私が用意した報酬額なんか、比べものにならないぐらいのがくになるわよ。私に渡すぐらいなら、あなた達二人で分けたほうがいいのでは?」

 あたふたとするネーアをよそに、セドはからからと笑った。

「新たな旅立ちへのいわいなんだ。素直に受け取りなされよ。それに、ちゃんと一つは自分のお土産として持っているし」

 セドが結晶の一つを見せびらかす。悠真はそこでふと思いだした。


「あ、ける雰囲気じゃなかったからなんだが……俺も一つだけは持ってる」

 パズルのような結晶を、ポケットから出して見せた。

「悠真君! 意外と抜け目ないね!」

「はは……いや、袋一つ分集めてたお前には負けるよ」

 ネーアがくすりと笑ったのが聞こえる。

「依頼を受けてくれたのが、あなた達でよかったわ」

 ネーアは、屋敷を振り返った。それから悠真達側に振り向き、そっと微笑んだ。

 夕焼けに彩られた屋敷を背景にした彼女の姿が、悠真の目には何より美しく映る。

「本当にありがとう」


 これから先、どんな困難こんなんにも立ち向かえる――そんな意志の強さがにじんだ、とてもんだ笑顔であった。自分とは違い、彼女はもうちゃんと前を向いている。

(心配する必要なんか、なかったみたいだな)

 悠真は自然と微笑み、ネーアに告げる。

「ネーアさん。マルティス帝国に行ってもお元気で」

「ええ。必ずまた会いましょう」

 そして、それぞれが別れの挨拶あいさつを済ませていく。

 どこかさびしさをかかえつつも、いつか再会できるという未来を胸に秘め――

 悠真は一人、屋敷を後にした。






 日も暮れた夜の商業都市を、多くの街燈がいとうが明るく照らしていた。

 今夜の月は、とても綺麗な緑色をしている。緑色をした月は葉月ようげつと呼ばれており、木属性の秘力を宿した者達が活発化かっぱつかする日となっている。

 道中、見世物として木属性の者達が芸を披露ひろうしている姿もうかがえた。そういった街の中を眺めながら、悠真は商業都市の東側を目指していく。

 商業都市の東側のほうは北側と違い、庶民でも楽しめる飲食店が多くある。

 そこの店の一つに、光の聖女と会える特殊な構造こうぞうをしたカフェがあるのだ。

 時刻はまだ十九時頃――約束の時間までは、あと一時間以上も余裕よゆうがある。

 のんびりと人々の流れに沿い、悠真は足を進めていく。ふと、聞き覚えのある男の声で、後ろから名前を呼ばれた気がする。振り返って辺りを探った。


「おぉい! 悠真!」

 小豆あずき色の髪を揺らし、セドが片手をげて向かってきている。

 そばで立ち止まり、セドはにっこりと笑う。

「よっ! さっき振りだな!」

「セ、セド。いったいどうしたんだ? つか、よく俺を見つけられたな」

 商業都市はかなり広い。待ち合わせも何もしなければ、ばったりと出会える確率は低いと思われる。ただ、絶対にありえないというわけでもない。

 セドが不敵ふてきに笑い、鞄から見覚えのある品を一つ取り出した。

追跡用ついせきようの錬成具を渡したままだっただろ? だから、これで追って来たんだ」


「あっ! そういうことか。そういえば、ちゃんと返してなかったな」

 再会した理由を把握はあくし、悠真はポケットから追跡用の錬成具をセドに手渡した。

 セドは受け取るや、鞄の中に錬成具を戻していく。

「ところで……悠真は、この辺に住んでいるのか?」

「いや、近いのは近いが、この付近じゃない。これからちょっと約束があるんだ」

 生返事をしたセドが、途端とたんにいやらしい笑みを浮かべる。

「女か? まさか、女か?」

「はは……まあ、そうだな」

 ややほおが引きつったのを自覚しつつ、悠真は素直に答えた。


 セドはげんなりとした顔で肩を落とし、なげきの声をあげる。

「そうかぁ、これから逢引あいびきかぁ……そうかぁ、そうかぁ」

「そんなんじゃねぇよ。つか、なんだよ」

 ちらちらと目配せしてきたセドが、今度はレネキス結晶を鞄から取り出した。

「もし時間があるならさ、レネキス結晶を加工してくれるところに行こうかなって。せっかく手に入れたんだし、加工したほうが綺麗じゃろ?」

 セドの提案ていあんに、悠真は少し心が揺れ動いた。ただ、どれぐらい時間を取られるかはわからない。少なくとも、シャルと会う時間まで終わらせるのは無理だろう。

 悠真は申し訳なさそうな声を作る。


「いや、魅力的みりょくてきな話だけど……すまん。さすがに時間的にちょっときびしいかな」

「そっかぁ……じゃあ、また今度にしようか。なんか、邪魔じゃまして悪かったな」

 セドはわざとらしく、泣いた仕種しぐさを見せた。悠真は苦笑するしかない。

 不意に、電子音が鳴り響く。これは悠真からすれば、聞き覚えのある音であった。

「ん……?」

 悠真がポケットから取り出したのは、スマートフォンに等しい通信具だった。まだあまり使いこなせていないものの、通話とメッセージぐらいはやり取りできる。

 光の聖女から、どうやら一通のメッセージが届いているようだ。

(うわぁ……マジかよ。何があったんだ)


 文字を勉強中の悠真は、必須的ひっすてきに覚えた文字がある。最初に覚えた文字は数字で、通信具を入手したとき、今度は〝はい〟と〝いいえ〟に相当そうとうする文字を覚えた。

 基本は会っているときに、次に会う日時を決めている。もし会えなくなった場合は〝いいえ〟を送り、約束外で会える場合は〝はい〟と時間を送ると決めていた。

 これまで〝いいえ〟を送ってくることなど、一度もなかった。

 一抹いちまつの不安が、悠真の胸につのる。

「どうしたんだ、悠真」

「ああ、いや……今日の約束、ちょっと無理になったみたいだな」

 セドはやや困惑こんわくの表情を浮かべ、小首をかしげた。


「そうなのか。何か予定でも入っちまったのかな」

「わからない。でも、まあ……そうなんだろうな」

 今度は、悠真がげんなりと肩を落とすはめとなった。レネキス結晶を採りに行った話や、進化した錬成武具の話をしたかったのだが、今日はできそうにない。

 何があったのかわからない不安に比例して、悠真の気分が徐々じょじょしずんでいく。

 しばらくの沈黙が続き、セドが悠真の背を力強くたたいた。

「元気出せよ! それなら、これから一緒に結晶の加工にでも行こうぜ!」

「まあ、そうだな……」

 かろうじてこたえられたものの、別に気分は上昇しない。むしろ沈み続けていた。


 セドは仰々ぎょうぎょうしく驚いた仕種しぐさを見せてくる。

「どんだけ落ち込んでんだ! そういうときもあるってば!」

「まあ、そうだな……」

 まったく同じ返しをしたと自覚しつつ、それに反応する気力もない。

「加工している間、飯でも食って気を取り直そう! ほら、行くぞ!」

 セドが肩に腕を組んできた。なかば無理矢理に引っ張られていく。

 げんなりと肩を落としたまま、悠真は無言でとぼとぼと歩き始めた。

 夜の賑やかな喧騒けんそうが悠真にはひどさびしく、そして遠くに聞こえる。セドが頑張ってはげましてくれているが、今の悠真にまったく効果はない。


 会えない事実を受け入れるまでの間、悠真は気落ちしたまま歩き続けた。



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