ユニバースラヴァーズ 第6章
すいま
第1話 神託の巫女
冷えた空気が肌を突く。足元を照らす心ばかりの照明を頼りに、地下へと続く階段を一段、また一段と下っていく。
最後の一段を踏み締めると、目の前に現れた三重の錠がリクルの生体情報を読み取り、重たい鉄扉を開放した。中に入ると、空調の重低音の中に足音が響き渡る。
1分と歩いただろうか。暗中に並ぶ機器の、状態を知らせる小さなランプがそこかしこで点滅し、まるで星空のように広がっていた。
反響と光の海がその空間の広さを知らせる。気を抜くと飲み込まれそうになるその空間の中で、一際に煌々と光るものがあった。注意深く近づけば、リクルの身長の倍はあるであろうガラス張りのカプセルが眼の前に現れる。その中は緑色の培養液に満たされ、そして、まだ少女のあどけなさを残す女性の姿が浮かんでいた。全身に管が繋がれた状態でその瞼は閉じられ、一切の反応を示さない。
リクルは、カプセルに入る前にこの少女から問いかけられた言葉を心の中で反芻した。
『あなたは、この世界を愛していますか?』
ガラスの向こうの少女に触れようと手を伸ばす。その時、ガラスに写った自分の姿を見て震えた。百年以上を使い倒し、もはや生身の部位は15パーセントも残っていないだろう無骨な体は、眼の前の変わらぬ姿の少女と重ね合わせるには、あまりに無様すぎた。
「いま、迎えに行く」
リクルは一言つぶやくと、隣のカプセルを起動させた。
緑の葉が風にたじろいで、陽の光をその隙間からこぼす。
平穏を破るように、黒い影が木々の間を飛び回った。地上では荒々しい呼吸とその巨体にそぐわぬスピードで猪が駆け回っている。猪は後先も考えずに右へ左へと方向を変え、黒い影はそれに追従する。ついぞ袋小路に入り込んだ猪は覚悟を決めたように振り返った。飛び回っていた影もやがて一つの木に留まり、静寂の中に緊張感が満ちる。
カサカサと擦れる音に混じって、鳥の声が響いている。
リクルは木の枝が折れないように慎重に足を踏み出すと、地上へ向けて弓矢を構えた。
息を潜め、目を凝らす。そして小さくつぶやき、矢に硬化と先鋭化の術を施した。
弓を絞る音が静かに鳴ると、猪はそれに気づいたかのように駆け出し、木陰を縫うように走り抜けていく。
もう一度息を吸い、目をつぶると遠ざかる足音に集中した。
目を開け照準を合わせ矢を放つ。キーンと弦の音が響き、矢が弾き出されたその一瞬の後、獣の呻き声が響いた。
樹上から飛び降りると周囲を確認して獲物へ駆け寄る。
急所を射てもなお、生に執着する猪は四肢を動かしては血液を垂れ流し、次第に呼吸が浅くなっていく。
「ありがとう。いただきます。」
リクルは心からの感謝を伝え、腰に据えていたナイフでその心臓を突き、喉を切り裂いた。
血を抜き、縛り上げ、肩に背負う。
これでしばらくの食には困らないだろう。しかしダシン祭も近く、村が祭りの気配に包まれているとなると献上品として一枚噛むのもいいだろう。
世話になっているリンの家に鹿の一匹でも持っていってやろうかと次なる獲物を探して周囲を見回した。
狩りをした場所にはもう他の動物たちは寄り付かない。猪の声と血の匂いに警戒心が高まっているのがわかる。一度こいつを持ち帰って、狩場を変えようと思ったときだった。
生き物が森の中を移動する気配がある。穏やかなリズムの中に、意思を持って乱れているリズムを感じた。
「街道の方か?迷い込むような場所じゃないが」
気配は街道の方から道を外れ森の奥へと進んでいる。リクルは木々を飛び渡り、草木をかき分けて駆けた。
「近いな」
足音が近づいてくる。いかにも山道に慣れていない音だ。不規則で先を顧みずに進んでくる。
リクルは木に登り、その進路で待ち構えた。弓矢を引き、無警戒なその足音を待つ。
ガサガサと生い茂る草をかき分けて姿を表したのは旅人然とした一人の女だった。
腕や頬には擦り切ったであろう傷があり血が滲んでいる。小刻みに振り返るその様子と、後方から迫る集団の足音から察するに、何かから逃げているようだった。
その追跡者たちの姿を捉えるのに数十秒とかからなかった。
剣や斧といった得物を手に、レザーや鎧の防具で身を固めた男たちが走り抜ける。装備にまとまりがないところを見ると、あまり統制の取れた組織ではないようだ。
平地であればあの女など一捻りにしそうな屈強な男も、奔放に生い茂った草木の中では、その大きな体が邪魔のようだった。
どうやらあの女はそれなりに賢明らしいと分かると、リクルは女の後を追った。
いくら草木が邪魔をしようとも、追いつかれるのは時間の問題だろう。無闇に音を立てて逃げていては尚更だ。
斜面の傾き、植物の群生、谷の流れを知っていれば進路は予想がついた。
「見えた」
女が逃げる足取りも、もはや覚束ない。男どもの影がもうすぐそこまで迫っていた。
リクルは弓矢を女と男たちの間へ向けると一言念じて矢を射った。
矢は女へ手を伸ばす男の足元へ突き刺さるとボンという音とともに煙を吹き出した。
矢継ぎ早に射た矢の煙はやがて煙幕となり、男たちの視界を数秒でも遮ることができた。それ以上に、男たちはあまりに周囲に無警戒過ぎたことを自覚し、動揺と恐怖に足を止めていた。
リクルは地上へ飛び降りると女へ飛びかかり、そのまま谷間へと転がるように身を落とした。
二度三度と転がると踏ん張っていた足がようやく地を掴んだ。
谷の上を見上げるが、木々の影になって身が隠れている。滑り降りた痕跡も、根の強い植物がすぐに消してくれた。
リクルが女を見ると、腕を振り回して抵抗を始めた。力づくで抑え込むと、うめき声を上げながら呼吸を早くしていた。
「おい女。お前は悪党か?」
女は暴れるのをやめ、会話する意志をその目で伝えた。リクルはゆっくりと手の力を緩める。
「あなたは」
「お前は悪党かと聞いている。この先には村がある。穏やかな良い村だ。お前はそこに災いを落とすのか?」
「そんなつもり、ないです。ただ、災いを連れてきてしまったのなら謝ります。」
「謝って済む問題か。あの男たちは何者なんだ。」
「無法者のギルドと聞いてます。」
「賞金稼ぎか?お前は何者だ?」
「私は」
しっ、と女の口をふさぎこみ、谷の上の気配を探る。足音が近づいて、男の声が響いた。
「どこ行った!出てこい!」
こちらに気付いていないことの証明だ。そのまま息を潜める。足音はだんだんと遠のき、戻る気も起きないほどの距離はとっただろう。
「私はただの旅人です。最近のギルドには略奪者と変わらない者もたくさんいると聞いています。それよりも村があると言いましたね。」
「奴らは何人だ?」
「わかりません。10人は超えていないようだったけれど」
「それくらいなら問題ない。村の奴らだって木偶の坊じゃない。自警団だってある。ギルドの奴らも、帝国の統治する村を無闇に襲ったりしないだろう。」
「ちょっと安心しました」
「だがお前は村には行かないほうが良い。出くわして良いことなんて何もないんだろう?」
「そうですが、私はその村に用があるのです」
リクルは置いてきた猪に思いを馳せた。とんだ面倒事に首を突っ込んでしまった。
今頃、獲物は他の動物達の餌になっているだろう。惜しいことをした。
「家事ぐらいはできるんだろうな?」
「え?」
「俺の家は村から程遠いところにある。普通の旅人は近寄らないところだ。二、三日は匿ってやるから、あいつらが去ったところで村に行けばいい。その代わり、家のことは手伝ってもらうからな」
「随分勝手ですね」
「提案だよ」
「でも、ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいます。ですが、私も馬鹿じゃありません。自衛手段は取らせてもらいます。」
「心外だな」
リクルは女の体を眺めた。確かに整った顔と健康的な体つきをしている。見たところ、17,8といったところか。だが、最低限の理性はあるつもりだ。
「陽が落ちる前に行こう」
リクルは周囲を見渡し、女の体を抱き起こし、谷を降りた。
道中、男たちの仲間に会うことはなかった。追手が三人ということは、後から後続が追いついてくるのだろう。女の向かう先がリクルの住むリヤナ村であることは明らかだった。家に着いたら村の自警団に事の些末を伝え、警戒するよう警告する必要があるだろう。やはり、面倒なことになった。
谷を回り込む形になり、思ったよりも時間がかかってしまった。リクルは家の裏の茂みから周囲を見渡す。村の外れから1kmほど山に入るところに切り開いたのがこの家だった。特に異常が見られないことを確認すると、リクルは女を引き連れて家の中へと入っていく。
「とりあえず、座って落ち着いたらどうだ」
所在なさげに玄関口に佇む女をダイニングのテーブルへと誘う。女は抜け目なく部屋の中を観察しながら席へ着いた。
「疲れただろう。まずは楽にしてくれ。」
自分も弓矢を所定の場所に起き、ナイフに付いた血を綺麗に洗い流す。いつもの狩り終わりのルーティンを終え、ようやくリクルも昂ぶっていた気持ちを落ち着かせることができた。
その間に、女は旅の荷物を床に置き、汚れたローブを脱ぐと防具を外して一息ついたらしい。胸当て、籠手、脛当てと、一通り身につけていた。
リクルがコップに一杯の水を入れて差し出し、正面に座った。
「さっきは乱暴な物言いをして悪かった。こちらも緊張していたんだ。」
「いえ、こちらこそ。改めて助けていただいたこと、感謝いたします。」
女はコップの水とリクルの顔を交互に見比べていた。
「気にせず飲んでくれ。このあたりは水が豊富なんだ。」
「ありがとうございます。いただきます。」
女は一口水を飲み下すと、残りを一気に飲み干し、本当に安堵した表情をした。リクルもそれをみて、加担する方を間違えていないことを感じた。
「早速ですまないが、村に状況を知らせる必要がある。話を聞かせてくれないか?」
「はい、あの、信じてもらえないかもしれませんが、私の名前はヒナミと申します」
リクルは反応に困った。そんな酔狂な名前は、冗談かよほど深刻な理由かのどちらかでしかない。普通の感覚では自分の娘にヒナミなんて名前をつけようとは思わないはずだ。
少しの間が空き、女が恥ずかしそうに顔を俯かせる。
「すまない、別にどんな名前であれ、俺は気にしないんだが」
「いえ、大丈夫です。事情を知らない方はまず同じ反応をしますから。ただ、これは冗談でつけられたのではなく、教会から正式に与えられた名前なのです。」
「教会から?いや、でもそれってつまり」
「はい、私は神託の巫女です」
『ヒナミ』はこの世界で絶対的な宗教であるセブンマイス教が信仰の象徴とする女神の名前である。それを騙るのは余程の恥知らずか、世間知らずである。つまり、ものを知っていればまずつけることを避ける名前なのだ。ただひとつ、例外があるとすれば、それは教団が正式に認めた神託の巫女、その人に与えられる神聖な名前である。
「待て、お前が神託の巫女だって?いや、それが本当なら俺はよほど失礼な物言いをしていると思うが、どうやって信じれば良い」
リクルは動揺が隠せないでいた。
「そうですよね。こんなチンチクリンが巫女だなんて、信じられませんよね」
「それに、巫女がなぜそんな心許ない姿で旅をしている。護衛はどうした?」
「もちろん護衛はいました。ただ、あの追手の一団を足止めするため、最後の一人まで私を護ってくれました。とても勇敢でした。」
ヒナミの顔がみるみる曇り、声に震えが混ざってきた。
「私なんかのために、命を投げ出すなんて、こんな、ただの小娘にそんな価値があるわけ」
顔はすでにうつむき、大粒の涙がとめどなく溢れている。
「それでも、巫女なんだろう。その役目はきっと命を投げ出すには十分すぎる。」
「そんな、私はただの人間です。私一人で、これからどうやって行けばいいと言うんですか。」
命を投げ出して護ったその結果がこの始末であれば、死んでいった護衛も浮かばれないだろう。まさに護衛の覚悟も虚しく、危うく逆賊に捕らえられるところだったのだ。
ヒナミは次第に落ち着きを取り戻し、水を一口飲み込むと、毅然とした視線をリクルに向けた。先程飲み干していたようなので、コップの中は空のはずなのだが、気持ちを切り替えるスイッチなのかもしれない。そう考えると芯はしっかりしているのだろう。
「しかし、なぜ巫女が命を狙われる?」
「神託の巫女の使命は巡礼によって世の厄災を浄化することです。厄災が何を指すかはその世代によって変わりますが、多くはその時の世界のバランスを少なからず変えてしまいます。いつの時代も、優位にいる勢力がそれを嫌うのです。現に、前回の巡礼は巫女の死をもって失敗に終わっています。」
「とすれば、前回の変化を嫌った勢力が今回も暗躍してるってわけか」
しかし、曲がりなりにも巫女の護衛を任されるほどの手練が壊滅したとなると、村の自警団程度では歯が立たない可能性は高い。リクルはいよいよ居ても立っても居られない状況になった。
「巫女様、私は急ぎ、村へ行って事態を伝えなければなりません。しばらく一人にしてしまいますが外に出るより安全です。何かあれば、そのカーペットの下が地下室になっています。扉を閉めればカーペットが隠してくれるはずです。外の様子に注意して、隠れていてください。早ければ二、三時間後には戻れるはずです。」
リクルは最低限の装備を手に取り、ドアノブに手をかけた。
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしてすいません。あと、巫女様はやめてください。さっき、ヒナミと呼んでくれたじゃないですか。」
「しかし、無礼を働いたと知れれば打首もありえますので」
「それは私がさせません!それにあなた、ごめんなさい、まだ名前を聞いていませんでした。」
「私はリクル、リクル・オネストと申します。」
「リクルさんは年も近しいでしょう?私、ずっと友達が欲しかったんです。だから、ヒナミと呼んでください。口調もそれらしくお願いしますね。」
とても巫女とは思えない天真爛漫なその大きな目を向けられて、いや、むしろ巫女らしい屈託のない澄んだ瞳に魅せられて、どうにも心の奥がむず痒くなる。
「えっと、それでは、ヒナミ。十分注意して。」
「はい、リクルさんも」
リクルは窓から外の様子を観察し、異常なしと見ると素早く駆け出ていった。その姿はすぐに木々が生い茂る森の中へと消えていった。
ヒナミは一人取り残された部屋で、入っていたときから気になっている場所を凝視した。そこには到底、この片田舎では手に入らないような技術書、魔術書、学術書がずらりと並んでおり、リクルのどこか根底に感じる聡明さの理由を見つけた気がした。
「まるで、大賢者様のようね」
ヒナミは、自分の使命を諳んじるように呟いた。
村までの道は整備されておらず獣道の様相を呈していた。
しかし、リクルにとっては子供の頃から通い慣れた道で、いかに足元が不安定でも走って10分ほどで着くことができた。
村の様子に異常はない。近々始まるダシン祭の準備で盛り上がっていた。
村に入るなり、見知った顔が声をかけてくる。思い思いに呑気な挨拶を交わし、忙しなく働く者たちからは小言も言われた。
そして村の中心にある広場に出たときだった。
「リクル、今日の成果は?」
親の声より聞いた声、というのは比喩ではなく、子供の頃から兄妹同然に育ってきたリンの声が雑踏から聞こえた。
振り返ると、籠に大量の洗濯物を詰め込んで、のっそのっそと歩いてくる少女がいる。見かけによらず力がある。
「ああ、猪を捕まえたんだがな、ちょっと厄介事に巻き込まれた」
「厄介事?」
「そうだ、急いで村長に伝えたいんだが、どこにいるか分かるか?」
「この時間なら集会所じゃないかな?最近はずっと祭りの打ち合わせよ」
「そうか、それ手伝えなくて悪いな」
リクルはリンの手元から溢れる洗濯物を見つめた。
「いいよ。今日はまた顔出せる?レオンたちが会いたがってたわよ。また魔法見せてほしいって」
「そうだな、今日は難しいかもしれないけど、近いうちにまた行くよ」
「わかったそう伝えとく」
言葉を交わしながらもリクルは広場を見渡した。
中央には村の名所となっている噴水があり、それを中心に三重の同心円を描くように街が広がっている。
行商人だろうか。見知らぬ顔が見えるたびに疑心暗鬼にかられてしまう。もしかすると、すでに奴らの侵入を許しているかもしれない。こんな村には立派な城壁などありはしない。中から崩されればひとたまりもない。
考えながら、足は集会所へと向かっていた。
「なんと、巫女様が」
集会所へ入るやいなや村長の首根っこを掴み、事の顛末を聞かせた。
何事かと聞き耳を立てていた村の重役たちも同様の反応であった。
「神託の光が降りたときから、近々立ち寄られることも予見していたが、このタイミングとはな」
「祭りを延期してでも、おもてなしするべきでは?」
「むしろ祭りの主賓として一言貰えないか」
おお、それはいいと、老人たちは思い思いに盛り上がりを見せている。
「だから!そういうことじゃなくてだな。問題は、ヒナ……巫女さんを追ってるギルドの奴らが村に手出しをするかもしれないってことだろ」
「なるほど」
「それについてどう思うかね、団長」
団長と呼ばれた男は、一目で衛兵と分かる甲冑装備を纏い、腕を組んで話を聞いていた。帝国から派遣されている自警団の指導役ということだが、その実は首都でやらかして左遷された不届き者だという噂がある。
「当然、巫女様の命を狙うような輩からはお守りせねばなりませんでしょうな。しかし、この村にまで手出しをするかと考えると考えにくいのではないか。」
「そんなこと言って、村人一人でも人質に取られてみろ。俺たちにはどうしようもない以上、巫女さんは素直に従わざるを得なくなる。巫女様を差し出したとなれば、反逆の村として末代まで後ろ指を指されるぞ。」
「わかったわかった。それじゃあ閉門時間を17時にしよう。夜間の外出も可能な限り禁止。夜警も立てよう。それでいいか?」
「そんなんで十分だと思っているのか?」
まさに無能である。
リクルは長老たちの危機感のなさに辟易とした。賊のやり口は古今東西の書籍で語られている。どのような切り口で描かれていても、それが悪逆非道な行いであることには例外がない。
この村にはそれこそ外の世界に興味もなく、想像力も働かない者が大半を締めている。15年前に、大賢者が学校を建ててからは子どもたちの精神的な発達は目に見えて改善したが、やはり先代たちとの隔絶は年々目に見えるようになってきた。
「そんなんだから、若者が村を出ていっちまうんだよ」
「良いことじゃないか。アレンも騎士団で活躍していると聞くし、どんどん偉くなってこの村を盛り上げて言ってもらわんとな。それこそリクル。いつまでも森の中に閉じこもってないで、お前こそ世界を見てきたらどうだ。」
捨て台詞のように吐かれたその言葉が頭の中に反響する。
イライラとする気持ちを落ち着かせて家路へと向かうと、洗濯籠を空にしたリンが待ち構えていた。
「なんだよ、待ち伏せか?」
「今日はこの道かと思ったら正解だった」
無視して通り過ぎても後を追ってくる。
「巫女様を匿っているんだって?」
「まったく、この村には戸はないのか?」
「やっぱり、危ないの?」
「そう思っている。でも、あの老人たちの楽観的な態度に、俺も懐柔されそうになってる。さすがに村を潰すようなことはしないだろうって。」
「そう、なら良いんだけど。」
「不安か?」
「そりゃあ、この村に物騒な話は無縁だもの。」
「良いか、何かあったらすぐに地下に逃げ込んで立てこもるんだ。俺が必ず助けに行くからな。」
「ありがとう。かっこいいね、リクル。」
「馬鹿言うなよ。じゃあな」
数歩遠ざかったところで明るい声が響く。
「明後日の祭り楽しみにしてるからね。時間、間違えないでよ?」
「わかってる」
振り返って目に映ったリンの笑顔は、背後の夕陽に黒塗りされてよく見えなかった。でもきっと、子供の頃から変わらないあの笑顔で見送ってくれているのだろう。
リクルは、リンのその笑顔が好きだった。
家に帰る途中、木々のざわめきが妙に不安を掻き立てる。
獣の気配がそこかしこから感じられ、どうにも気が立っていることを自覚させられる。
家につくと、陽はすでに落ちているにも関わらず、明かりは点いていなかった。勝手が分からぬ他人の家、故に照明の扱いに困っているのかもしれない。
驚かせないように声をかけながら家の戸をくぐると、玄関口のガスランプに火をつける。そこからダイニング、居間と明るくしていったところで、ソファに横たわるヒナミを見つけた。
その無防備な姿に呆れながらも、彼女が辿ってきた旅路に思いを馳せる。
きっと、それなりに長い旅だったのだろう。幾度も危機を乗り越えたのだろう。
そしてたどり着いたこの村で、何を成そうというのだろうか。
そう考えると、少なくとも今だけは幸せそうなその寝顔を守ろうと思った。
頭の中に響く音があった。銀の食器をナイフで叩いているようだ。いや、フライパンをおたまで叩いているのか。違う。もっと、もっと大きく、甲高く、危機感を煽るような音。
「警鐘だと!?」
リクルは跳ね起きた。いつの間に眠ってしまったのだ。いや、今はそんなことはどうでもいい。村の鐘楼に取り付けられた鐘が、忙しなく異常を伝えている。
カンカンカンカン、とそれは絶え間ない。普段は平和の象徴としての音しか発してこなかったその鐘が、こんな音を出せるとは知らなかった。
「ヒナミ、起きろ!来たぞ!」
「は、はい。なんですか!」
「村が襲撃されている」
窓から見える村の方角の空が、赤々と燃え上がっていた。家の中にまで、焦げ臭い匂いが漂ってきている。
「なんてことを……」
ヒナミは口を抑えながら涙を堪えているようだった。しかし、今は感情に流されている時間はない。正しい判断をしろ。リクルは頭を冷静に保つことに必死だった。
「村の住人は巫女の居場所を知っている。ここも危ない。すぐに出るんだ。」
「私のせいで……」
「そう思うなら!立ち上がって準備をしろ。俺は村のみんなを助けに行く。お前はどうする。なんなら、お前を突き出してやっても良い。」
「わかりました。すいません。行きます。」
ヒナミは慣れた手付きで防具をつけると、杖を力強く握りしめた。
ヒナミがリクルの速さについて来られるとは予想外だった。見た目によらず、体力には自信があるらしい。巫女としての能力とでも言うのだろうか。生半可な教育はされていないと見える。何より、この暗い視野をものともせずに付いてこられるのは恐らく魔術の心得があるのだろう。
村境に付いた。近づけば近づくほど黒煙が濃くなり、火勢が明らかになった。
村が燃えている。
「畜生!」
声を押し殺して叫んだ。何人が犠牲になった?ただの火事の可能性は?いや、タイミングが良すぎる。何よりも、村人の叫び声が今なお響き渡っているのだ。
「ヒナミはここにいてくれ。」
「でも」
「巫女さんに何ができるのか知らないが、村の道もわからないんじゃ足手まといになる。俺なら人の目をかいくぐって中の様子も見てくることができる。これがギルドの襲撃であったなら、始末をつけなきゃならない。ヒナミに人が殺せるか?」
「そんなこと言って、あなただって人を殺したことなんてないでしょうに!」
「命を奪うことなら慣れている」
ヒナミはリクルのその冷静すぎる表情に悪寒を覚えた。怒りを通り越して無心に憎悪を練り上げている。その身をも滅ぼしそうな程に。このままではいけない。リクルを止めなくては。そう思うだけではリクルは止められなかった。気づいたときにはすでにリクルの背中は見えなくなっていた。
村に入ると、幾人もの死体が路上に転がっていた。その多くに斬撃と刺突の傷があり、明らかに武器により惨殺されていた。リクルは焼け残った建物の屋根に登ると村を一望した。赤々と照らされた街路を逃げ惑う人の姿が見えた。皆、村の北から外へ避難しているようだった。襲撃者は自警団がなんとか押し戻し始めている。
その中で逃げ送れた者たちが襲撃者に追撃されている。リクルは速やかに移動し、弓を構えた。
一射、二射、追手の足を射抜く。下手に胸などを狙っても防具に防がれる可能性が高い。やるのは移動手段を削ぐこと。三射、四射。これで何人が救えたのだろうか。このままでは到底、みんなを救うことなんてできない。
移動の中、一つの建物が目に入った。広い園庭が火の回りを防いでくれたらしい。それは、リンが働いている孤児院だった。とても、子どもたちを連れて逃げる時間などなかっただろう。
リクルはすぐさま孤児院の地下室に向かった。
跳ね上げ式の扉を上げると、悲鳴とともに子どもたちの怯えた顔が見えた。他の従業員たちも一緒だ。しかし、肝心の顔が見当たらない。
「おい、リンはどこだ?」
「リン姉ちゃん、レオンを探しに行って」
「戻ってないのか?」
泣きじゃくりながらうんうんと頷く子供をなだめる。
「わかった。リンは俺が連れ戻す。レオンも一緒だ。だから、心配しなくて良い。また迎えに来るまで、ここにいるんだ。いいな?」
リクルは孤児院を後にすると、また屋根に登って村を移動しながら見渡した。気づけば鐘の音は止み、悲鳴すら聞こえなくなっていた。
「やめてええええええ!!」
その声を聞き間違えるはずがない。親の声より聞いた声だ。だが、こんな悲しみに染まった声は初めて聞いた。リクルは全速で声の方へ向かった。
そこは村の中心の広場だった。
武器を持った下衆共と、それを従えるような巨体がそこにはあった。
「次はお前だぞ。ほら、さっさと吐くんだ。巫女はどこにいる?」
巨体が問いかけている相手は、見間違えるはずもない。リンだった。傷だらけの体で膝をつき、力なく巨体を見上げている。その腕には、年端もいかない少年の体がぐったりと抱えられていた。
「言うわけ無いでしょう!この人でなし!」
叫ぶような声が聞こえる。
だめだ、リン。素直に言うんだ。巫女も、俺もどうなっても良い。
お前が助かることだけを考えるんだ。
気づけば、リクルは弓を引きながら3階建ての屋根の上から広場の中央へ向かって猛烈な勢いで飛び出していた。空中で狙いを定める。
巨体は頑強そうな鎧に包まれ、男の巨体と同じほどのハルバードを担いでいた。
狙いは頭、鎧の隙間。
「揺れ補正、加速、抵抗低減、硬化」
リクルは呪文を唱えながら弓矢の性能を強化していく。そして、一度に2本の矢を放った。
これを防ぐなんて、化け物か。
リクルの放った2本の矢は無情にもハルバードの鉄の板によって弾かれた。それも、的確に一振りで。
だめだった。あれが最後のチャンスだった。あぁ、もっと真面目に魔法を研究しておくんだった。
着地の勢いに踏ん張りきれず、地面を転がったリクルが顔を上げる。そこからはすべてがゆっくりと、はっきりと感じられた。
巨体の男が目をカッと見開いてリクルを捉えると、二カッと不敵な笑みを浮かべる。
そして、ハルバードを横薙ぎに構えるとそれはゆっくりと振り回された。
男の前に跪くリンがリクルを振り返る。
燃え盛る炎がその表情をはっきりと浮かび上がらせ、リクルの目に焼き付かせる。恐怖と後悔と諦めが混じった、子供の頃から変わらないあの笑顔を。
男のハルバードが、リンの頭を切り落とした。
「うううああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
叫び声はどこに届いただろうか。頭に血が上り、遠のく意識の中、立ち上がり、脱兎のごとく飛び出すと弓矢を乱射した。周りにいた襲撃者共を一人、二人と射止めるが巨体の男には届かない。
男はもう目の前だ。一撃、食らわせてやる。
気づけばリクルの足は止まっていた。いや、動かなかったのだ。
胸を貫いた槍が、腹を破った剣が、リクルの動きを止めていた。
あぁ、なんて最後だろう。昨日まではあんなに幸せだったのにな。平凡で良かったんだ。毎日狩りをして、必要なだけ食べて、みんなで笑って、喧嘩して、リンと一緒に歳をとって、子供なんかもできたらいいなぁ。どんな病気でも、こんな最後よりはマシだったろう。リンの手を握りながら、死にたかったなぁ。
リクルはだんだんと遠のく意識の中で、最後までリンの笑顔を忘れなかった。
「リクルさん!」
響いた雄叫びを頼りに、慣れない道をひた走る。
襲撃者の目を盗んで進むのはもどかしいほどの時間がかかった。
ヒナミがリクルの姿を捉えたときには、すでに血溜まりが広がった後だった。
「あ、あああ!」
声にならない悲鳴をあげ、込み上げてくる涙を押し殺し、ヒナミは杖を強く握りしめた。失血、胸部、腹部は内臓もやられているだろう。あとは?遠目では細かな損傷はわからない。近づいて、直接触れるしか手はない。
「俊足、筋力増強」
自分の身体能力を押し上げる。効果はそう長くは続かない。
狙いを、リクルの胸部を前から貫いた襲撃者に絞った。しかし、奥からあの巨体が迫っている。一瞬が勝負だ。
ヒナミは、自分の足に力をため、矢のように弾き飛んだ。
それはまさに一瞬で100メートルを詰めるような動きだった。
ヒナミは襲撃者の後顔面を鷲掴みにすると、そのまま地面に叩きつける。勢いでリクルの体を前後から貫いていた剣と槍が抜け、血が吹き出した。
返り血を浴びながらも、同時にリクルの頭を掴むと、ためらいもなく口づけをした。
しかし、剣で腹を貫いていたもう一人の襲撃者が脊髄反射でヒナミへ刃を振りかざす。
迫る矛先を首筋に感じてもなお、口づけをやめず、斬撃を覚悟した瞬間だった。
襲撃者の体が吹き飛び、間一髪で刃はヒナミの首を逸れた。
「ばかやろう。そいつが巫女だろうが」
巨体の男はためらいなく仲間を殺した。
そしてしゃがみこんでヒナミの首を掴むと、力に任せて持ち上げる。ヒナミの体は軽々と宙に浮かび、苦しさにもがくことしかできなかった。
「はじめまして、神託の巫女さま。わたくしの名前はボガードと申します。以後、お見知りおきを。実は、巫女様に会いたがっている依頼主の方が居りましてな。ずいぶんここまで手こずらせていただきましたが、やっと帰れそうです。ほんとうはここまでやるつもりはなかったんですよ。素直に巡礼などやめていただいていれば。」
「離しなさい・・・・・・この外道が!」
わずかに漏れる声に怒気を込もらせ精一杯の抵抗をする。
「本当は死んでいてもいいと言われてるんですが、報酬が半分になっちまうんです。あまり俺を怒らせんといてください。」
ボガードの手を掴みながらヒナミは地面に横たわるリクルを見ようとした。揺れる体の陰で一瞬見えた様子では、大きな傷は塞げたようだ。
ただ、時間は十分ではなかった。内臓まで修復できているかはわからない。
「お願い!生きて!」
何か聞こえたような気がして、はっと目が覚める。いつの間にか眠ってしまっていたのだろう。ダイニングテーブルの上には、見たことのない本が置かれていた。
「おい、ぼんくら。いつまでそこにいるんだ?」
顔を上げると、リクルがいた。
「誰だお前は。なぜ俺と同じ顔をしている?」
「お前は死んだんだ。覚えているだろう?」
死の瞬間の記憶が湧き上がり、貫かれた胸に痛みが走る。
「ここは、なんだ」
「死を待つ部屋さ。次第に、お前もメモリーの奔流に飲み込まれて世界へと還っていく。」
「そうか、俺はもうダメなんだな。じゃあ、お前は何者だ?」
「そんなことは知る必要はない。」
「いや、わかる。お前は、俺の代わりに生き返ろうとしているな?」
「同じ頭の中ってのはなんでも筒抜けになって不便だな」
「ヒナミが治癒してくれたのか」
「まぁそういうことだが、お前が生き返ったとしても、あのデブにゃ勝てやしないぞ。大人しく俺に体を開け渡せ。向こうにはリンだって待っている。」
「リン」
その名前を聞くだけで、涙がポロポロと溢れてくる。
「情けねぇな。俺が仇を取ってやる。お前は安心してそのドアからあの世に帰るんだ。」
「お前は俺の体で何をするつもりなんだ?」
「そんなの決まってるだろ。世界を救うんだよ。」
「似合わないセリフだな。」
リクルは数秒の間、思案した。
「分かった、あとはお前に任せるよ。」
リクルは言われるがままにドアノブを掴んだ。
『生きて!』
その声が頭に響き渡る。
ふと振り返ると、テーブルの上の本のページが風で捲られている。
それはリクルの人生の記録のようだった。あぁ、思ったより悪い人生じゃなかったな。朝起きた時に母親がいなかった時の絶望はよく覚えている。
そして、その前日に珍しくリクルを抱き抱え、耳元で優しく教えてくれた言葉も。
『生きるのを諦めちゃダメよ。本当に困った時は、強く願ってこの言葉をつぶやくの。』
「グレイスフル・リ・スタート」
「なんだって?」
「グレイスフル・リ・スタートって言ったんだ。知らないか?おまじないだよ」
馬鹿馬鹿しいと言いかけたリクルだったが、次第にその顔が青ざめていく。
「ちくしょう!どこでその言葉を!」
意識がだんだんと遠のいていく。
最後の言葉はもう、はっきりとは聞こえなかった。
「よーし、巫女さんは捕まえた!今夜は宴だ!準備をしろ!」
そこかしこから下品な雄叫びが上がる。
あぁ、ダメだったか。このまま巡礼も失敗に終わるのだろう。
やはり、私はダメな巫女だった。必死に期待に応えようと踏ん張ってきた。どんなにやりたいことがあっても、諦めてきた。
私なんて巫女の器じゃないのだ。なぜ、私なんかが選ばれたのだろう。
誰か、この状況から、この運命から、助け出してほしい。誰か。誰か。
「誰か、たすけて」
吐き出す息に溶け込んだその声は音にならずに霧散したはずだった。
しかし、思いが届いたかのようにボガードの手から力が抜けた。
え?と思った時だった。ボガードは反射的にその手を引くと、ガンッと鈍い金属音が響いた。眼前で剣先がボガードの籠手を弾き飛ばした。もし手を引いていなければ、ボガードの前腕は切り飛ばされていたであろう。
ふわりと浮いた体ががっしりと抱き抱えられ、ボガードから離れていく。
優しく地面に降ろされると、ヒナミはむせ返り、地面に手をついた。
見上げると、リクルがリガードに相対していた。手には先程まで自身の体を貫いていた剣が握られている。
「大丈夫か?」
「無事、だったんですね!」
「やっぱり、お前はヒナミじゃあねぇな」
「なんですか?」
しかし、ヒナミの声に応答はない。リクルの眼はただただリガードを睨みつけていた。気を抜けば殺される。そんな間合いだった。
「ハハハッ!こりゃ驚いた。巫女の力ってぇのは死んだ人間も生き返らせられるのかい?こりゃ俺もひとり欲しくなってきたぞ。うちで飼い殺してやるのも悪くねぇなぁ?」
「黙れよデブ。そういうのは生きて帰ってからやるんだな。」
「どうした小僧。まるで生まれ変わったみたいに活きが良いじゃねぇか。」
「こちとらさっき生まれたばっかりよ。誕生日プレゼントにお前の首もらってくぜ!」
言い終わると同時にリクルは強く地面を蹴り、リガードに肉薄する。剣を振りかざし、リガードがハルバードの柄で受け流した。この男、巨体の割に動きが良い。さっきの腕を引いた反応も想定外だった。完全に隙をつき前腕を切り落としたはずだった。これは少し苦戦するかもしれない。
リクルは弾かれた勢いを使って間合いを取った。ハルバードがすかさず逆振りで空を切り裂いた。体を引いていなければ、体が切り裂かれていただろう。
「ほう、戦い慣れしているな。本当に別人のようだ。」
「来ないのか?」
「俺は何時間でも相手にしてやるぞ。だが、その体、いつまで持つかな?」
バレていた。外見からわかる怪我は塞がっているが、内臓はまだ治癒しきっていなかった。このまま無理に動き続ければ30分と持たずに死ぬだろう。
そして、リガードを相手にしてはいるが、ギルドの雑魚どもがまだ残っている。集結されては厄介だ。後ろにいるヒナミもフォローしなくてはならない。時間をかければ勝敗は目に見えていた。
「リクルさん。私の方は気にしないでください。自分の身は、自分で守ります。」
「それができなかったからこうなってんだろうに!」
「もう!」
赤面する巫女に襲撃者が迫る。リクルが駆け寄ろうとするより早く、ヒナミは術式を展開していた。合わせて杖の殴打が襲撃者を昏倒させる。
これは、思ったよりもやれるのかもしれない。
それならば、とリクルはリガードを注意深く観察した。右足を前に出し、ハルバードの矛先をこちらに向け、斧の刃を左に向けている。左への薙ぎ払いの構えだ。右手を上に、左手で下を支えている。先程の振りは予想外に早かった。この巨大なハルバードを武器に選んでいることだけはある。
「仕方ないな。後悔するなよ!」
リクルはリガードを中心に右回りで円を描いて走り出す。
リガードは一歩、二歩と足踏みをし、リクルの動きを正面に捉えるように追っている。一歩、二歩、一歩、二歩。今だ。
リクルは進行方向を直角に変え、中心のリガードに飛びかかる。足を上げていたリガードの反応が一瞬遅れたが、横薙ぎの一閃がリクルの動きを止めた。
「こりゃ参ったな」
リクルはまた円を描いて走り出した。
「おいおい、いつまで茶番を続けるつもりだ。」
「そう焦るなよ、おっさん!」
またリクルが仕掛ける。上はだめだ。空中では回避行動が取れない。とすれば、下しかない。横薙ぎの構えをするリガードに迫るとその初動を見極めた。リガードの腕が動いた。その軌道を避けるように足元へ滑り込んだときだった。ハルバードの先端の槍が下を向き、地面に向かって突き刺さってきた。動きが見えていなければ、今頃リクルは串刺しになっていただろう。リクルは滑り込んだ足でブレーキを掛け、その力を使って飛び上がった。前方に回転しながらガラ空きとなったリガードの頭に斬りかかる。
「ふんっ!」
荒々しい息と共に突き刺さっていたハルバードが引き抜かれ、斧の刃が眼前へと迫った。とんでもない力をしている。こんなに大きく重いものを、いとも軽々と振り回すとは。
寸でのところで剣の腹で受け止めたが、その勢いで体ごと吹き飛ばされ、剣は砕けて使い物にならなくなった。
「バケモンかよ」
どうにも隙がない。あのハルバードがこうも俊敏に振り回されるとは。戦いの中で最大の隙は攻撃をした直後だ。奴は待ちの構えの上、力任せの小回りが利く。ハルバードはそのリーチも驚異的だ。
リクルは、しれっと落ちている剣を拾う。
「リクル!」
聞いたような声だ。振り返ると、自警団の面々がこちらに駆けつけている。先頭を務めるのは以外にもあの団長だった。
「お、置物団長じゃねぇか」
「お、置物?」
「ちょうどいい、そこの巫女さんの護衛を頼む。」
「お前は良いのか?」
「ああ、人数は余計に邪魔になるだけだ。」
「無理はするなよ……」
ひとつ懸念が減るだけでこれだけ思考が楽になるのかと実感する。
これで頭が冷静さを取り戻した。
リクルは周りを見渡した。地面には切り崩した襲撃者たちの武器が散乱している。背中には矢が2本あるが弓がない。
魔術は、あとどれだけ使えるだろうか。内臓が張り裂けているのが感じられる。
リガードは相変わらず横薙ぎの構えをしている。
「ったく、巫女一人に何を手間取ってやがる。応援が来ちまったじゃねぇか。めんどくせぇなぁ」
スピードで削るしかない。あの防具を砕くだけの武器と力はここには存在しない。
動き回らない分、リガードの体力はまだまだ尽きることはないだろう。対して、こちらはもう何度仕掛けられるかわからない。体が動く内に、手数で動きを鈍らせる。
やつの体の連動が乱れたときに、必ず隙が生まれるはずだ。
リクルは落ちていた剣をもう一本握り、二刀流の構えを出した。
「ハハハッ!奇をてらって俺が隙を見せるとでも思ったか?」
「加速、加速、加速」
「ほぉ。お前、魔術が使えるのか。こんな辺鄙な村にも洗礼が受けられるような奴がいたとはな。どおりで、俺とやり合えるはずだ。」
リクルは構わずリガードに突進する。右の剣で突きを繰り出すがハルバードを回転させて弾かれた。すかさず左手の剣で切りを入れるがこれも柄で弾かれる。逆にこちらの隙が生まれ、右脇腹に蹴りが入るが致命となる前にギリギリでガードできた。
弾かれた勢いを踏ん張り、間髪入れずに飛びかかる。横薙ぎをジャンプで避けるとボガードの頭上を飛び越え背後を取った。今だ。
「させん!」
ボガードは大きく一歩踏み出し、背を向けたままリクルの間合いから抜け出ると、振り向きざまの回転の勢いでリクルに切りかかった。
「そう来ると思ったよ!」
リクルはガラ空きの背中を深追いせず、回転してくるハルバードの間合いの内側に入り、剣を突き上げた。リガードの左腕は自らの回転のままにリクルの構えた剣に向かっていき、その腱を切り裂いた。
リガードはリクルの目的を見誤った。ガラ空きの背後を取れば、当然そこを狙ってくる。一歩踏み出した間合いは、リクルの剣先がリガードの背に届くよりも先に、ハルバードがリクルを切り倒すはずだった。だから、飛び込んでくるであろう背後にその刃を回したのだ。しかし、現実はその振りかざす腕を、リクルが待っていた。
左腕の籠手は、リクルが目覚めたときの一撃で弾き飛ばされている。無防備だった腕の肉が、切り込まれた。
リガードは、一気に間合いを広げた。
「くそう。この俺を出し抜くとはやるじゃねぇか。おいお前ら!ここは一旦引くぞ!」
刻まれた左腕をだらりと垂らし、村中に響く声で咆哮した。
「おいおい、何を勘違いしてるんだ。」
リクルは、剣についた血を振り払うと、剣先をリガードへと向ける。
「なんだと?」
「たかだか、左腕一本やられただけじゃねぇか」
「俺はな、引き際というものを心得ている。だから大戦だって生き残ってこれた。この痛手はお前とやり合うには致命傷になりかねん。」
「意見が一致して安心したよ。お前はもう、あの速度でそのハルバードは振れない。まぁこっちも満身創痍だからまだ五分五分だろう。だけどな、こっちにはお前を殺さなきゃならない理由が山ほどある。」
「これはお前のためにも言っているんだぞ小僧。次来るときまでに、その巫女を差し渡す準備をしておけ。」
そう言いつつも、一切の油断をしない。背を向けた瞬間切りかかってくることを理解しているのだ。最後のひと押しだ。
リクルは地面に転がっていた剣を拾い、リガードの足元に投げつけた。
最大の侮辱に、リガードの顔面が紅潮する。
「後悔するなよ、クソガキがあああ!!」
リガードがハルバードを構え直す。その目は今までにも増して殺気に満ちていた。次の立ち合いで、すべてを決める。
リクルは剣を握る手を締め直した。
一気に駆け出す。
リガードの横薙ぎが始まる。前ほどのスピードはない。いや、違う。これは突きだ。振り抜くと見せかけて急制動し、先端が向き直ったのだ。
今まで見せてこなかった動きにリクルは瞬時に状態を仰け反らせた。待ち構えていた尖端は、更に突き出されてリクルの顔面を貫くところだった。リクルはのけぞった状態からハルバードの柄を握りしめると足を振り上げ、逆上がりの要領で態勢を立て直し左手に構えた剣を振るい上げた。リガードの顔を捉えたそれは右腕の籠手で受け止められた。リガードはハルバードを手放していた。
剣が砕け、リクルの手から滑り落ちる。互いに丸腰となった。体格差、力、リーチでは明らかにリクルに勝ち目はなかった。リガードが、ニヤリと確信の笑みを浮かべた。
リクルは手のひらに隠し持っていた矢先をリガードの左首に突き刺した。
「ちっ」
動脈を切るには至らなかった。首筋の筋肉を引き締め、食い込みを抑え込んでいる。局所的に肉体強化系の術式も展開されていたようだ。鎧の隙間、急所となるところをカバーしているようだ。抜け目がない。
「ふんぬ!」
リガードの右手がリクルの左腕を捻りあげる。
「惜しかったな!小僧!」
「急速酸化」
リクルがつぶやくと、術式が施された矢先が熱を帯び赤色化し、激しく光を出し爆発をした。
リガードの首が飛び、血しぶきが噴水のように飛び散った。いつの間にか迎えていた日の出に、空が白んでいる。
血の雨を浴びながら、リクルはリガードの頭を掴み上げた。
「聞け!お前ら!俺の名前はリクル・オネスト!」
声が響き渡ると、襲撃者と自警団は互いに見合いながらも間合いを取った。状況をわかっているのだ。
「お前らの指揮官は俺が討ち取った。お前らのカタキはこの俺だ。帰って親玉に伝えてやれ。俺はこの村を出て帝都に行く。この村には二度と戻らん。」
リクルは襲撃者の一人に歩み寄ると、折れた剣を突きつけた。
「俺を追ってこい」
襲撃者は尻餅をついて逃げ出した。それに呼応するように残っていた襲撃者たちが村を出ていく。自警団も深追いはしない。
「リクルさん」
「あぁ、巫女さんか無事でなによ、り……」
「リクルさん!」
リクルはヒナミの胸に倒れ込み、剣が手から滑り落ちる。ヒナミはリクルを抱えたまま地面に座り込んだ。すぐに治癒を始めると、リクルは小さく寝息を立て始めた。
「ありがとうございました。みんなを護ってくれて」
ヒナミの声は、惨状の悲しみを乗せて、小さく響いていた。
ユニバースラヴァーズ 第6章 すいま @SuimA7
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