第6話 バンドマン。

12月を迎え、ここ原田市にも木枯らしが吹き点在する街路樹の桜や銀杏も見事に色づいて黄葉した葉っぱがアスファルトの上に散っている。そんな寒々とした季節でもここ原田の街は師走ともあって活気に満ちている。とくに夜は忘年会シーズンとあって居酒屋の多い繁華街は人波にあふれていた。

原田川沿いにある雑居ビルの一階で『鬱憤館』の店主・北川洋太郎は、今日も定刻の深夜12時にシャッターをボロロロロとあげて開店の準備をする。準備とはいっても明かりを点けて、ドリンクのグラスと氷を準備してカウンターをひと拭きすれば終わりである。

洋太郎は3席しかないバーカウンターの上にポインセチアを飾りポルトガル民謡のアマリア・ロドリゲスのレコードに針を落とした。



    *



「冬実ちゃん、頼むよ今度2万円でいいから、ね、ね、出世払い」

LINEから来る健太の無心は一体いつまで続くのだろう、冬実はいい加減健太の言葉に嫌気がさしていた。

河合(かわい)冬(ふゆ)実(み)は今年で33歳になる。有名私大を出て雑誌出版社に就職できたのは良かったが、結婚適齢期に職場の同僚と恋に落ち、あとはプロポーズ待ちというさなかに彼氏の浮気が発覚して、ついでに振られてしまい結婚はご破算になった。27歳のときである。

それ以来、恋愛は2度としないと仕事に邁進して気がつくと30歳を超えていた。


そんなとき同僚にライブハウスに行かないか、と誘われた。連れられて行った下北沢のライブハウス「客恋慕」で見たビジュアル系バンド「シナジー」に出会いそれ以来熱狂的なファンになった。とくにギタリスト健太のルックス、ファッションに感動しシナジーの追っかけになった。

「2万円何に使うの?」冬実はLINEを送り返す。

「携帯代がない! これから連絡が取れなくなるよ、お願い!」


「もういい加減にして!あたしだって限界があるの」冬実は返事を送る。

「そんなこと言わないで!今度食事に行こう!」健太のファンサービスが始まる。

「本当に最後ね、あたし100万以上は貢いでいるんだから」

「本当に助かる。今度のライブは吉祥寺Mの日曜日の18時からだよ」

「わかった、もう最後だよ、思いっきりサービスして」

「任せて」健太の返事が返ってきた。



     *



 バンド「シナジー」は10年前ボーカルのRUIを中心とした高校時代のメンバーで結成された。甘いルックスに派手な化粧、独特のビジュアル系バンドの衣装で結成当時こそは注目を集めた。事務所にスカウトされレコード会社からもデビューしたが、1,2枚のアルバムが売れたのを境に、人気は低迷したままだ。作詞・作曲のRUIにはそれなりの印税が入るがそれ以外のメンバーはわずか5万円ほどの給料とわずかな印税しか入らなかった。後の頼みはバンドのグッズ収入で、中にはおひねりと称して現金がもらえる時もある。メンバーはおのおのファンを集めてまるでホストクラブの男の子のようになってファンを呼び寄せてはお金をせびりとる。ファンとのLINE交換は当たり前のようになって健太も必死でファンサービスをする。握手会、ハグサービス、写メ撮影・・・何でもやる。メンバーにはそれぞれタニマチの彼女がいて同棲している。健太も1人のファンと同棲中だ。

 健太は昼間はパチンコか競馬で過ごす。いまさらプロデビューしてバイトなんてプライドが許さない。今日も昼前に起きてはパチンコ屋へ向かう。

 「おかしいな、今日も出ねえ、2万円すっ飛んじまった」健太は一人呟いて夕方に店を出る。同棲中の聖奈はキャバクラで働く25歳の女だ。出勤前に顔を出しておかないと聖奈の機嫌が悪くなる。

 「今日は出たー?」聖奈のけだるそうな声。

 「いや、スッカラピン」健太は申し訳程度に声を出す。

 「もう完全ヒモなんだから、せめてパチンコくらいは当ててきてよ」聖奈は言う。

 「わかってるって。今度のライブは儲けるからさ」健太は胸を張る。

 「そのうちファンに刺されるよ、アンタ」聖奈は言った。

 「それもありだな。死んじまってもいいんだ、ライブさえあれば」健太は言った。

 実際、ライブは気持ちのいいものだった。ファンからの黄色い声、ド迫力で腹を突き抜けるサウンド、RUIの突き抜けたシャウト、七色の照明、動き回るビデオカメラ、アンコールの大合唱・・・。健太は酒を飲みながら演奏しているから余計にテンションが高くなる。自分が世界一格好よく見えたりもするんじゃないか、とも思う。とにかく一度このグルーブ感を味わったらやめられない。ライブは最高だ、と思っている。



    *



 冬実の部屋はシナジーのグッズでいっぱいだ。健太の団扇に、健太のタオル、シナジー全員のぬいぐるみ、法被、壁にはシナジーのポスターなどなど。健太の下敷きとマウスパッドには直接健太のサインが入っている。

 「お母さん、今日もシナジーに行ってくるね」冬実は仏壇に手を合わせた。冬実の母は冬実が25歳の時、ガンで夭折してしまった。ただでさえ母子家庭だったのに今ではすっかり独り身だ。兄弟姉妹もいない。1DKのマンションで今はぎりぎりの生活だ。なにせシナジーへの出費がかかる。最初におひねり1万円を渡したら、LINE交換が始まった。それ以来最初のころは健太からのお誘いがくるたび冬実は飛び上がって喜んだ。がどう考えても営業のメールだとわかってきて今ではすっかりチケット代+おひねりが定番となってしまった。(いったいコイツにいくら貢いだだろう?)冬実はそう思いながらも月4回はあるライブに足しげく通った。



    *



 「冬実ちゃーん!」健太はすぐに声をかけた。ライブの後の握手会だ。

 「よかったよ、健太。Tシャツ変わったんだね、似合うよ。今度あたしがプレゼントするからそれ着てライブ出て」冬実は言った。

 「うん!もちろんだよ!さあハグしよ、ハグ!」健太は何の躊躇もない。

 「あーんもう仕方ない、はい、お小遣い」冬実はさっと封筒を渡す。

 「ありがとう、これで携帯代も払えるよ、感謝感謝!」健太はもう1回冬実を抱き寄せた。

 「甘えん坊なんだから、もう」冬実はそう言って顔を赤らめた。

 「僕はいつだって冬実ちゃんの傍にいるから。そうだ! 今度一緒に食事しよ」

 「えっ!? いいの? うん行こ、行こ」冬実は思わずとび跳ねた。

 「うん、俺、焼き肉がいいな」健太は言った。

 「うん、健太の好きなものおなかいっぱいにしてあげる」冬実は思わず健太の手を握る。

 「やったー、今度LINEで連絡するね」健太は言った。


    *


 「ってわけで今度ファンの子と食事に行ってくらあ」健太は聖奈に言った。

 「ついに食事か。あんたキャバ嬢の同伴やアフターと同じじゃん。いっそのことホストにでもなったら?」聖奈が言った。

 「ちょろいもんよ、ついでにまたお小遣い貰ってっと」

 「あんまり稼ぐようだと部屋代割り勘にするよ」聖奈は脅した。

 「わかった。わかった。食事だけだからさ、部屋代は勘弁してよ」

 「どうせならその冬実って子のとこに行けば?」

 「そりゃ勘弁だよ、俺は聖奈が好きなんだ。このままで一緒にいようぜ」

 「ったくバンドマンは口だけは上手いんだから」

 「へへへ、売れないバンドマンは、何だってするよ」健太は言った。



    *



「100万! 本当に同棲してくれるの?」冬実はもう1回繰り返して訊いた。

「うん、100万。そしたらずっと一緒に居れるね、冬実ちゃん」

焼き肉のカルビを裏返しながら健太はそう言って小皿に肉を取ってあげた。

 「100万円なんて何に使うのよ?」冬実は訊いた。

 「引っ越し代でしょ、それに楽器がガタがきてて、それにファッションな」健太はにべもなく答えるので冬実はあっけにとられてしまった。

 「あたしの部屋は1DKで狭いよ、それでもいいの?」

 「まあベッドはセミダブルにしてほしいかな」これまた健太が肉を返して言った。

 「うーん考えちゃうな、同棲か。あたし男運ないから」冬実は肉をほおばる。

 「うんとサービスするからさ」

 「考えちゃうな―あたしの貯金だってもう少ないし」

 「そんなこと言わないでさ、2人で暮らそうよ」健太はハラミについた炎を消した。

 「絶対に逃げない?」冬実は目を細めてビールを飲んだ。

 「逃げるわけないさ、俺もうどこにも行くところがないんだから」

 「まるで健太は私のヒモみたいじゃない」

 「へへへ、売れないバンドマンは何だってするよ」

 「んもーホントにホントに騙してない?」冬実は訊いた。

 「シナジー健太、どこにも逃げないよ、ライブがあるじゃん」

 「そうね。ライブからは逃げられないもんね、じゃあ同棲する?」

 「おお、そうしよう、荷物まとめる。来週の週末には冬実ちゃんちにいくからさ」

 「うん、わかった。お金はどうする?」

 「じゃあ、明日この通帳番号に振り込んで」健太は紙きれにメモを書いて渡した。

 「さ、ホルモン焼けたよ、熱いから気をつけて」健太は焼けたホルモンも小皿へと渡した。



     *



 繋がらない。LINEが既読にならない。電話にも出ない。

 冬実が100万円を振り込んでからすぐである。

 「何の、もう!」冬実は携帯を投げつけた。



    *


 健太は日曜日競馬場にいた。午後になって郊外の競馬場も人出でいっぱいだ。

 健太はいつも3連単(1着から3着までを着順通り当てる)狙いだ。当たれば10万馬券を狙っている。今日は懐が温かいから1レースにつき10万円分の馬券を買った。

レースが始まると場内の実況がけたたましくなってあっという間に馬群がゴール板に迫ってくる。

「先頭はウメノタイガー!まだ粘っている! そして中からユクサンムーン追い上げる! ウメノタイガー内でまだ粘っている! ユクサンムーンが伸びてきた。おっと!大外からリリーブミ―が飛んでくる!リリーブミ―!リリーブミ―がユクサンムーンを捉えたか!」場内の実況と歓声とため息が入り混じりレースは終わった。健太の買った20通りの馬券は見事に予想を外した。

(はあ、3連単は難しい・・・)当たっていても大した配当にはならなかった。(くっそー馬単勝負だ!)健太はやけになって馬券を破いて床に投げつけた。

気がつけば最終12レースを迎えていた。今度は大穴の馬が最後に差し切って健太はおけらになった。



    *




 冬実は原田の街の川沿いに住んでいる。駅から歩いて10分のマンションだ。

 健太に逃げられて今日、日曜日は1人原田の街の行きつけのバーでやけ酒を飲んでいた。

貯金は300万円あったもののやはり健太への100万円は大きい。

 店を出て外の新鮮な空気を吸う。川沿いを歩いて外のきりっとした寒空を眺める。星は見えないが半月(はんげつ)になった月が奇麗な冬の空だった。(どうせ捨て金だったのよ、あたしが馬鹿だった・・・)

 「ゴン」冬実は上を向いて歩いていたため道路傍の看板に足をぶつけた。

 (もう、なんなのよ、こんなところに)

 『鬱憤館』

 ほの白い看板にそう書いてあった。

 (怪しい・・・)と思うと同時に鬱憤の字に興味を惹かれた。

 (鬱憤を晴らすカラオケバーかしら?)冬実は後ろ髪を惹かれ店を見た。

 コンクリートの壁に年季の入った木製のドアが1つ。看板に明かりがついていたのでどうやら営業はしているようである。

 (中が見てみたい)冬実はそう思って踵を返した。

 真鍮製の金のドアノブを引いてみる。

  カランッコロンッ、小さなカウベルがノスタルジックな音を立てた。

 「いらっしゃい。」初老の男性の声が奥から聞こえる。

 冬実は眼を凝らし店の中を見回した。

 アマリア・ロドリゲスの歌声が店内に響いていた。

 幅3メートル、奥行きは10メートルほどだろうか、薄暗い店内の天井からは電球をちりばめたようなシャンデリアが垂れ下がっている。

 カウンターは3席。しかも誰もいない。赤いレザーでできたスツールが3つカウンターの前に並んでいる。カウンターの中には背が高くすらりとした老人がバーテンダーの格好で立っている。豊かな白髪は七三分けになっていてカーネルおじさんのような黒縁メガネで微笑んでいる。

「あ、あの、ここはバーですか?」冬実は勇気を持って訊いた。

「初めてでいらっしゃいますね。」北川はゆっくりと落ち着いた声で言った。

「はい、家はこの先にあるんですが・・・」冬実は言った。

「怪しい、と思いましたか?」北川はにこやかに言った。

「ええ、まあ。ここは飲み屋さんですか?」

「うっぷんかん、と申します。私は店主・北川です。どうぞお見知りおきを」

「よくわかりませんが、あたしは河合といいます。お酒でも出してくださる?」冬実は言った。

「ええ河合様、まずはおかけになってメニューをどうぞ」

冬実はスツールに腰掛けた。

北川はフレンチの料理屋にあるような黒いメニューを冬実の前に広げた。


   

    ●シェフ北川の気まぐれ鬱憤プラン(1万円~時価)


    ●有機で育てた北川さん家(ち)の鬱憤プラン(2万円~時価)


    ●アニバーサリー・鬱憤とのマリアージュ(50万~)



「まあ、面白い、どんな飲み物かしら。ちょっと高いけど」冬実はまだこの店がバーだと思っている。

「いえいえ。お飲み物は無料サービスです」北川は棚の酒類を指差した。

「無料? では何でもいいです、すっきりした気分になるカクテルをお願いします」

「わかりました。河合様も随分と傷心されているようですな、よろしければ胸の内をすっきり吐き出して気まぐれ鬱憤プランなんていうのはいかがですか?」北川はゆっくりと微笑みながら語りかけた。

「河合様男性に甘すぎるんではないですか」

「なんで知ってるんですか!?」

「まあ長年やっていますから」

 冬実は健太とのやり取りを語り始めた。



    *



 北川は「ええ」「おや」「そうですか」を繰り返し、熱心に、そして穏やかに聞いているだけだった。ひと通り冬実が話し終えると、

 「河合様、それはご傷心でございましょう、どうぞ鬱憤を晴らして頂きましょう」と言って麻葱色のカクテルをカウンターに差し出した。

 「え? 本当に話を聞いてもらうだけじゃないんですか?」冬実は訊いた。

 「とんでもございません、サービスはこれからでございます。」

 「いったい何をしてくれるんですか?」

 「では、今から私がご提案させていただきます。」北川はそう言って語り始めた。



    *


 それから数日後の夜。

 「カキーン!」

 「当たった!当たりましたよ、北川さん!」冬実はやっとバッティングに成功した。

 「おめでとうございます、もう打って打ちまくってください」北川はネット裏で声をかける。2人はバッティングセンターに居るのだ。それも貸し切りだ。

 「カキーン!」冬実はやっと急速80キロの球にタイミングを合わせることができた。

 「シナジーの馬鹿野郎! 健太馬鹿野郎!」「カキーン!」

 「いいですよ、その調子!」北川は拍手をした。

 「あたしの百万円返せ―!」「カキーン!」

 「バンドマンのヒモ野郎!」「カキーン!」

 何発撃ったことだろう?北川が声をかけた。

 「さ、店に戻りましょう、店の屋上ですよ」



    *


 鬱憤館のあるビルの屋上は寒々とした風が吹いていた。

冬実は段ボールに詰め込んだシナジーグッズを次々に取り出した。

 ポスターや団扇はその場でビリビリに破いた。

 タオルや法被にはその場で火をつける。

 「サヨナラ!健太!」

 「サヨナラ!シナジー!」ぬいぐるみは屋上から思いっきり北の空へと飛んで行った。

 健太の姿を模したぬいぐるみは遠くネオンの広がる街へと吸い込まれていった。

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今宵の鬱憤館 青鷺たくや @taku6537

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