第40話 隠居魔王が、亡き妻の面影を見ている

「確かに、魔王になればいつでもアストラル幽体になる資格はあるが」

 その役目をすでに終えているヴィルハーレンはぼやいた。じろりと睨まれて、その息子エイボニエルはすっとぼける。

 

 ……崩れた城を前に佇むヴィルハーレンとソフィエンの背後に、突然現れた若者がいた。

 振り向いたソフィエンは、身体をすくめた。

「モードレ!」

 すがりつく身体を抱き寄せたヴィルハーレンは、それほど驚きはしなかった。

「やはりお前か、エイボニエル」

 その名を聞いたソフィエンは、記憶をたぐるように若者の顔をしげしげと見つめた。だが、魔王が結婚させるつもりの相手だったとはいえ、まだ赤子だったソフィエンが覚えていようはずはなかった……。


 畑に鍬を下ろしながらの叱言は、面と向かってするよりも凄みがある。

「倒しに来た勇者からさっさと逃げるとは何事だ」

 ランバールの嘘とは、これだった。「処女狩り」を止めるために追い詰めた若き魔王を、勇者は仕留めることができなかったのだ。殺し合いを嫌ったエイボニエルは、魔王にだけ許された権利をさっさと使って、この悩み多き世界から、文字通り姿をくらましたのである。

 ランバールはランバールで魔王を倒したと吹聴し、その結果、ヴィルハーレンと戦って子どもに戻される憂き目を見たのであるが……。

 だが、そのいざこざの原因を作った者にも、相応の言い分があった。

「イヤだったんです、父上の探してきた相手と結婚させられるのが」

 この戦いで勇者ランバール一行が知ったのは、魔界には人間界との間を取り持つ存在として、身寄りをなくした人間の娘を新たな魔王にめあわせるしきたりがあるということだ。これで、再び「処女狩り」などという風聞が流れることはあるまい。

 魔界の律儀に守ったに過ぎないヴィルハーレンは、至極当然の道理を口にした。

「自分で探しもせんで」

「その気になるまで待ってくださいよ」

 それも道理である。本人の意思を持ち出されても無視すれば済むのが由緒ある家柄というものだが、将来の禍根は間違いなく残るものだ。だが、ヴィルハーレンはあくまでも己の非を認めなかった。

「おかげでとんでもないことに」

 背中を曲げて土中の石ころを除けた実の父親の背中に、どこまでも泥をかぶせられた息子は開き直ってみせる。

「だから、責任は取ったでしょう?」

 ヴィルハーレンがソフィエンを救い出そうと城に取って返してからこっち、話を複雑にした張本人であるエイボニエルは一瞬たりとも姿を見せてはいない。だが、父親は息子の発言をすんなりと受け入れた。

 遡れば、崩壊する城からの脱出も、「決闘の間」への移動も、果ては落下する吊り橋からの浮揚に至るまで、これまで都合よく進んだことは全てエイボニエルが見守っていたことだというわけである。

「確かに誰も死んでおらんが、そういう問題ではない」

 この大きな戦いの中、僭王モードレだけが例外である。王位をめぐる争いの中で、これだけ生きて帰ったことは魔界の歴史に残ることであろう。だが、そんな名誉など、ヴィルハーレンにはどうでもいいらしい。そらされた話は、強引に元に戻された。

 息子も、今度は正攻法に転じる。

「原因を作ったのはお父様です」

 一歩も引かない頑固さは、誰に似たのか。笑顔さえ見せている息子をちらっと眺めたヴィルハーレンではあったが、再び鍬を振るいながら、不満たっぷりの口調で尋ねた。

「ランバールにもそう言ったんだな?」

 道理で、勇者からは「処女狩り」に関する詰問が一切なかったわけである。

 その場しのぎの責任逃れで父親に命懸けの苦労をかけたわけだが、息子に悪びれた様子はかけらもない。

「お父様なら何とかなさると思って」

 横着な一言でも、さらりと答えられると、かえって怒りに火をつけるのも忘れてしまうものである。ヴィルハーレンも続く言葉を失った。

「いい加減な」

「でも、丸く収まったでしょう?」

 僭王の反逆は抑えられ、勇者たちは魔界から去り、若き魔王は帰還した。いうことなしの結末である。

「モードレは自業自得というものだからな」

 そこで不肖の甥の名前を出したのは、1人だけを犠牲にしてしまったことへの負い目であろうか。それを慰めるかのように、エイボニエルは明るい調子で言い切った。

「この世界のどこかで、細々と生きていくことでしょう」

「確かめたのか」

 自信たっぷりの口調に、ヴィルハーレンは半分だけ呆れて、半分は誰も殺していないという安堵のもとに尋ねる。エイボニエルは勿体をつけて頷いた。

「身軽で便利です、アストラル幽体は」

 高次の世界に転移すると、それまでいた世界を自在に動き回れるものらしい。それがうらやましかったのか、ヴィルハーレンはため息まじりに愚痴を言った。

「ワシはもうなれんから、この通り魔界を出た」

 いったん魔王の位を離れたものの、その権利は行使されないままで終わった。僻地に隠棲したまま、老いて死んでいくのを待つしかない。

 だが、エイボニエルは重くなった空気を切って捨てるように畏まった。

「そこで相談なんですが」

「ワシも相談がある」

 最後に出てきてやりたい放題の息子をたしなめるように、ヴィルハーレンは厳粛に答える。もちろん、それで態度を改める息子ではない。

 軽いのと重いのと、両方の口が二部合唱のように答えを奏でる。

「子供」

「世継ぎ」

 ここで初めて、父と子の意見が合った。エイボニエルは会心の笑みを浮かべて宣言する。

「とりあえず、気楽な独身を通します。肉体のない感じ、覚えちゃったんでそういうのは、どうも」

 アストラルとして人目をはばからずに行動できる快感は、子孫を残すという本能さえも凌駕するものらしい。ある意味ではモードレよりも性質の悪い自由奔放さに、魔王は苦虫をかみつぶしたような顔で尋ねた。

「じゃあ、次の魔王は」

 このままでは、王家の血を引く者が生まれない。これは、魔界にとっての一大事であった。

 ところがこれにしても、息子はそれほど深刻に受け止めてはいなかった。

「お作り下さい、これから」

 余りといえば余りのことに、ヴィルハーレンは二の句が継げなかった。無責任にも程がある。軽率にも程がある。猥雑にもほどがある。しばらく絶句して、ヴィルハーレンはようやく非難の言葉を上げた。

「お前、何を」

 エイボニエルはエイボニエルで、言葉の意味することは分かっていたらしい。現実的で、筋の通った解決策を口にする。

「ご自分で相手を連れていらしたじゃありませんか、責任は取ってください」

 確かに、ヴィルハーレンとしては盲点だったろう。全ては、魔界と息子のためだったのだから。

 鍬を振る手を止めて、息子に向き直った。

「何をバカな」

 開いた口が塞がらないとはこのことだが、エイボニエルは真面目な顔をして説得を続けた。

「若い娘がこんなところまで、どうしてついてきたと思います?」

 その気になれば、勇者ランバールを父として、人間の世界でそれなりに不自由のない暮らしができたはずである。薄暗い魔界ではなく、日の当たるところで青春時代を過ごせたはずである。

 それなのに、ソフィエンはこちらを選んだ。

 わざわざ老いて現役を退いた魔族と共に、険しい山脈の麓にすがりつくが如きベルクレースイの、そのまた山奥の片隅でひっそりと暮らすことを。

「お爺様?」

 ちょっと機嫌を損ねたその声が、急な坂道を上がってくる。エイボニエルは、おどけて身を翻してみせた。

「よっ、と!」 

 その姿が消えたのは、別にアストラル幽体になったからではない。近くに、結界への入り口があるのだろう。

「おい、待て!」

 ヴィルハーレンの声に、ソフィエンは余計にムキになった。

「いつまで待たせるんですか! 朝ごはん、冷めてしまいました!」

 ぷっと膨れる顔は、まだまだ子供だ。

「冗談ではない……」

 既に結界を越えて魔界に戻ったであろう息子の入れ知恵に、ヴィルハーレンは呆れたようにつぶやいた。その一言を誤解したのか、ソフィエンはぷいと背中を向けて、山の斜面を駆け降りていく。

「勝手になさってください、もう知りません!」

 意外に癇の強いところを見せるソフィエンの後ろ姿を、ヴィルハーレンは見つめる。

 その眼差しは、遠い昔、若くして亡くした妻を見ていたときとよく似ていた。

 蛇はようやく、眠るべき巣穴を見つけたらしい。

(完)

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あなまどい隠居魔王の勇者ハーレム逆襲パーティ! 兵藤晴佳 @hyoudo

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