日記

夜ノ帳

第n話 日記

 嫌い。自分が嫌い。


 自分が話す言葉はどれも中身がなく知識だけで半端。しかもそれをさもわかってる風に人に披露する。それで人が感心すると、自分が人よりモノを知ってることに酔っ払う。

 心底気持ち悪い。そして、人もどこかでそれに気づいているのだろう。だから僕には、本当に心から信頼を置ける人物が今だにできない。そうじゃない。自分に信頼を寄せてくれる人がいないのだ。だからこそ、自分が人に信頼を置けない。

 そうしてまた薄っぺらい言葉で、虫に喰われた作物のような言葉で、取り繕う。自分と人との心の間の溝が深まるばかりだ。

 いつからだろう、本気で口論を出来なくなったのは。いつからだろう、自分の意見を押し殺すようになったのは。周りに媚びへつらい、その時にあった適切な言葉を器用につまみあげるだけ、まるでゲームをしているような感覚だ。そう、ゲームだ。だから僕には人間らしい泥臭さがない。小綺麗な言葉で武装し、完璧にこなしている風を装う。そうして欠点を失くし、同時に人っぽさを失くした。

 欠点があってこそ人と呼ばれる。欠点を補い合えるから人は人足り得るのだ。その愛すべき欠点を必死に隠している僕は絶対的に人としての何かが欠如している。

 そうやってもうなんだったかも覚えてない何かを守り続け今欲しいと感じるモノを見失っていく。困っている人には手を貸し助けた。それは純粋な善意のつもりであったが、あとで思い返してみるとそうではなかったのでは、と思えてくる。誰かを助ける自分にまた酔っているだけではないのかと。そう考えたらキリが無く、どんどん自己嫌悪は増すばかり、偽善で独善ですごく気持ちの悪いものではないかと考えてしまう。

 何もしない善より何かする偽善の方がマシだと言うが本当だろうか。周りにはあたかも聖人の様に振る舞い騙し、心の底ではただただ酔っている。エゴの塊だ。酷く濁っていて、とても見ていられるものではない。

 嫌いだ。純粋に善だと自分を信じられない自分が嫌いだ。偽善を振りまいてるかもしれない自分が嫌いだ。今こうしている間もこう言う、所謂不幸話を書いている自分に陶酔しているだけかもしれない。それがとても醜く汚く不快で嫌いだ。僕は僕ほど淀んだ人間を見たことがない。自分の口から発せられるほとんどの言葉は解答例からそれらしいものを選んでいるだけで、本当の言葉を言えない。違う。言えないのではない、言わないのだ。関係性がどうのとか、自分の勝手な役付けとか、色々な要因から言い訳をつけて逃げているだけ、怖いんだ。仮に本当の自分の言葉を出した時、人がどんな顔をするのか。

 考えすぎだと言うのは自分でもよくわかっているつもりだ。だけど、だけどもし、万が一にも自分を否定されたらもう僕は生きていく価値がなくなってしまう。だから、価値があるかもわからない自分を守るために自分を作り演じるだけ。それが最も無意義で無価値で生産性なんて欠片もないことはわかっているのに。

 ああなんて、見苦しい存在なんだろう。オリンピックで活躍したり、ハリウッドスターになったり、そんなすごい人たちのプラスを打ち消すために僕は生み出されたのではないかと思う。

 人という種の幸せの均衡を保つために、こんな出来損ないで気持ちの悪い駄作を敢えて作ったんじゃないだろうかと思えてくる。こんなにも自分が嫌いだと誰かを恨むことさえ自分には厚かましい行為なのではという気になり、失せる。



 親には本当に申し訳ないと思う。こんな風に生まれて謝りたい。恩返しもできないし、自慢できる子供でもない。本当に何も生み出すことのできない自分をこの瞬間も育ててくれることに感謝しきれない。

 いっそ捨ててくれた方が良い、侮蔑の眼で見ていてくれた方が清々しい。そんな眼で見ないでくれ。愛を自分に向けないでくれ。僕はそんな大層なモノを受け取る資格も価値もないのだから。

 ありがとうより先にごめんなさいが溢れてくる。本当に本当にごめんなさい。人に触れた時、僕は勝手に傷付く。自分との差に、相手の心の綺麗なことに。自分を曝け出していることがとても羨ましい。同時に尊敬する。そしてその光に当てられ、自分のドス黒い醜い部分が膨れ上がるのを感じる。酷く辛い気持ちになる。自分はもうこの人とは違う生物なんだなと思う。みんなそうだ。優しくおはようと言ってくれる母親、行ってきますと僕より少しだけ早く家を出る弟、こんな僕を育てるために労力を惜しまない父親、学校に着くと笑顔で挨拶をしてくれるクラスメイト、昼休みに弁当を食べながら自分の趣味について語る友人、みんなみんな人なんだ。とても美しくて嫌になる。自分の醜さが浮き彫りになるから。嫌になってる自分を感じた時、酷く苛まれる。

 なんでこんなに気持ちの悪い物が人と同じ言葉を使っていて、あまつさえ人を羨んでいるのだ、正直信じられない程に、吐いてしまいそうだ。だけど自分はそうしない。吐いてしまえばいいのに、自分を曝け出してしまえばもしかすると良い方に転がるかもしれない。だけどそうしない。勿論怖いという感情もある。だが、それと同時に、自分すら愛せない気持ちの悪い存在である自分が幸せになんてなって良いはずがない。仮に、人が許しても僕が許さない。

 これは自分で自分を絞めているのではない。幸せになっている時ふと思い出すのだ。自分がどんなに不快で醜悪な物であるか。そんな瞬間を考えただけでゾッとする。だから一種の予防線でもあるのだ。

 こんな嫌いな自分に縋ってまだ傷つきたくないなどと思っている自分が心底卑しくてたまらない。もう無理だ。やめようか。そうは思うが踏ん切りはつかない。そんな情けないところがもう嫌で嫌で仕方がない。どうしようか。楽になろうか。楽になりたい。


 頭が窒息する------------------------。

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