本編1 中央都市エミーリア

 ◆


 ──アトラスフィアに杭が打ち込まれた事による地震が起こった後の静寂の森。森に炎は広がり、最早手のつけ様が無い。


「私達の森が……」


 シエラは消火作業をしようとフェンリスへ提案をしたが、手遅れだと言われ悲しそうに顔を俯かせた。


「悪ぃ、フェンリス……お前との約束を破っちまって……どんな罰でも受けるつもりだ」

「ごめんなさい、私が強引に森に入ろうとしたせいです! ヴォルフ戦士長は悪くありません!」


 ハーフブラッドの戦士長は、横たわるフェンリスに向けて、あぐらをかいて頭を垂れた。レナは両膝を折って床に頭を叩きつけている。


「いや……危ない所を助けて貰ったのだ。守護者たる我々が守られていては我々も立つ瀬が無いというもの」


 フェンリスは頭を床に打ち付けるレナが少し心配そうだ。


「や、やめて下さいレナさん! 貴女は私たちの命の恩人、救世主なんですから!」


 シエラはレナの手を握り締めて、レナの目をしっかりと見つめた。


「救世主だなんてそんな……」


 レナも普段見られる機会の無いシエラの姿に興味があったので、まじまじと見つめてしまった。


「シエラって物凄く綺麗な緑色の目だね、吸い込まれそう……」

「レナさんの瞳もとっても綺麗ですよ、透き通っててまっすぐで……キラキラしてます」


 レナはシエラに好かれた。白い尻尾をフリフリと揺らしながら話しているので誰の目にも一目瞭然であった。


「すまないが今は現状を整理したい。それと、同胞たちを弔ってやらねば。皆、手伝ってくれ」


 フェンリスはそう言うと傷を負った自分の巨体をゆっくりと起こした。


 フェンリスは静寂の森の中にある大人の背丈程の高さの『癒しの石碑』に囲まれた中で療養し、傷を癒す事にした。

 大半のハーフブラッドたちには他のアトラスフィア・ウルフの生存確認をして貰っている。


「フェンリス、この石碑はなんだ? 何かぼんやりと光っているが……」

「これはシエラが石にルーンの刻印を刻み、傷を癒す効果を持った石碑だ」


 フェンリスは5本の石碑の中央の床に伏せると話を続ける。


「先程、地響きが5回あったのを皆も感じただろう。あれは恐らく、エストラの神であるメアクリスが作りし『吸命の杭』。それがアトラス


 フィアの大地に五本打ち込まれた。この癒しの石碑と対を成す、命を奪い続ける石碑と思って貰っていい」

 ハーフブラッドたちの間に動揺が走る。


「救命の杭によって、ある一つの美しい生命を育んだ星が死の星へと変貌した。命を吸った杭からは花が咲き、その種子から魔物が生まれる。一部のオアシスを残し、大地は砂漠と化した」

「そのオアシスってのは……?」


 ヴォルフが壮絶な話に狼狽えながらも質問を投げかける。


「救命の杭の効果範囲外を作り、わざと星に命を残したのだ。メアクリスは『生かさず殺さず』が信条でな、真性のドSと言う訳だ」

「ドSってお前……、それで何か俺たちに出来る事はあるか?」


 フェンリスは少しの間、考え込む様に沈黙したが、本来守るべきであるハーフブラッド達を頼る事にした。「


「ハーフブラッドの皆よ、シエラを護衛しつつ吸命の杭へ向かってくれ。すまないな……」


 大きな頭を下げフェンリスは謝罪した。そんな彼を責める者は一人もいなかった。

 ……そして。フェンリスはシエラの方を見つめアトラスフィア・ウルフの長として指示を出した。


「シエラのルーンの刻印が鍵だ。吸命の杭に、その効果を抑制するルーンを刻むのだ」

「分かりました、お父様。必ずや使命を全うしてみせます。皆様、唐突なお話ですがお願いできるでしょうか……?」


 シエラは真摯な瞳でハーフブラッドたちを見つめる。殺戮人形たちを容赦なく消滅させたその瞳だが、恐怖よりも誠実さと純心さを皆は感じていた。そして何より、彼女はハーフブラッドの皆にとって神に近しい存在であった。


「俺たちに任せておきな、天狼の巫女様!」

「守られてばかりの俺たちじゃないぜ!」


 ハーフブラッドという種族はアトラスフィア・ウルフと比べれば攻撃的ではあったが、誇りを持ち義を重んじる者達である。


「皆にシエラを任せる。杭が起動を開始するまでにはまだ時間がかかるだろう。前例から察するに二週間といった所か、ただ改良はされている可能性があるので油断は禁物だろう」


 話は纏まり、アトラスフィア・ウルフ達の葬儀も終える。ほとんどの亡骸が焼け焦げてしまっていたのでそう時間は掛からなかった。シエラは両手を重ね合わせ、まだ見ぬ優しい神様に祈りを捧げる。誇り高き同胞達の魂が安らかに眠れる様に──。


「フェンリス、少しいいか?」


 その後、ヴォルフはフェンリスを呼びだし、少し会話をする。


「どうしたヴォルフ、何か聞きたそうだが?」


 少し間を置いて、意を決してからヴォルフは心に引っかかっていた質問を直接投げかけた。


「俺たち、アトラスフィアの民に勝算はあるのか……?」


 その問いに白銀の巨狼は大きく息を吐き、空を見上げながら答えた。


「勝算は限りなく低いだろう。神に対抗し得るのは神の力のみ。それを持つシエラだけが対抗し得る鍵となるが……」


 フェンリスは空を見つめ、少し間を置いてから結論を言う。


「育て方を間違えた訳でも才能が無い訳でもない。ただ純粋な魂の力の差がメアクリスと比べて有り過ぎる」

「……そうか」


 ヴォルフは、想像していた通りの答えだったのか、目を閉じながら落ちついた様子でもあった。


「そういえば、明日はアトラスフィア生誕祭なんだろう? 早めに戻って少しは気を休めるといい……それと、イヴ・イルシオンが落として行った軍刀だが、レナに渡しておいてくれないか?」


 どういう意図がありそうするのかはヴォルフには分からなかったが、イヴの軍刀が業物である事は確かだった。


「分かった、あの馬鹿に渡しておくぜ。まああいつの提案に乗った俺はもっと大馬鹿だがな!」

「若き戦士の魂に此度は救われたな」


 ──長い長い夜が明け、日の光が上り、アトラスフィアの空を照らし始めた。




 ◆


 ──リンゴーン、リンゴーン。

 街の中央にある大きなリボンで飾られた高台の鐘が、昼時を告げるその美しい音色を青い空へと鳴り響かせた。静寂の森の近くに位置するハーフブラッドと人間の住む大都市エミーリア。今日はアトラスフィアの生誕祭で外からの街の客も多く、ひと際賑わっていた。

 静寂の森の火災や巨大な地震があったにも関わらず決行するあたり、この街の人々は気丈だった。

 大都市の一角である、賑わいのある露店通りにレナとシエラは食料の買い出しに来ていた。


「おぉ、レナ! 静寂の森に行って来たんだろう!? 大丈夫だったのか!?」


「大丈夫だよ! 我ら獣戦士団『ランページ』が負ける訳ないよ!」


 レナは大切なお祭りの日に人々の不安を煽らない様に、天狼達に大きな被害が出た事については触れなかった。


「そうだ! 美味しい肉仕入れてるぜ、焼き立てだ喰ってけよ! 隣の子の分もやるよ、ほら!」

「おぉー! ありがとう、おっちゃん! 今日もいい男だねー!」


 レナはこの街では顔が広く、親しみ易い若い娘であり人気があった。


「このお肉おいしぃー♪ シエラも食べてみて!」

「わぁ、本当! この街って活気があって色々な物もあって生きた宝石箱みたいですねレナさん!」


 二人とも歳が同じと言う事もあり、お互いの興味も尽きない様子であったのであっという間に仲良くなっていた。

 歩いているとレナは色々な人から声をかけられた。


「あ、レナだー! 隣に居るのはお友達? すごーい! まるで天狼の巫女様みたいに真っ白だね!」

「お、浮気かなー? 悪い子は食べちゃうぞー、がおー!」


 楽し気にハーフブラッドの子供の脇をくすぐってじゃれあうレナ。

 シエラはそんなレナを微笑ましげに、しかしどこか悲しさを混じえた表情で見ていた。


「シエラ、そんなに悲しまないで」

「……え?」


 そんなに悲しげな雰囲気を出してしまっただろうか、とシエラは少しびっくりして目を逸らす。

「私には正直、凄く不幸な事が私自身に降りかかった事がないから何とも言えないんだけどさ」


 レナは少し申し訳無さそうに言いつつも、まっすぐに語りかける。


「悲しい想いをしてる人がいると私も悲しくなっちゃうんだ、大事な人なら尚更だよ」

「……有難うございます、レナさん、本当に……」


 ──ふと外で結婚式が開かれているのが二人の目に入る。アトラスフィア生誕祭の日に永遠の愛を約束し合う恋人も少なくは無かった。ハーフブラッドの二人は首輪をお互いに装着し合い、誓いの言葉をかけ合う。


「あれがお外の結婚式……こんなに華やかだったなんて、驚きです……」


 シエラは興味深げに偶然教会の前で開催されていた結婚式に目を向けて居た。


「シエラは結婚式を見るのは初めて? いいよねー結婚式! 私もあんな風にみんなにお祝いされたいよ!」

「静寂の森では婚姻の儀で使用するのは指輪ですね……それにもっと儀式が凄く静かです」

「へぇー! 興味あるなぁー! シエラの世界はなんだか凄く神聖そう!」


 楽しく雑談してる間に花火が盛大に上がり、花嫁からブーケが放物線を描きながら青空に天高く投げられた。


「わぁ……」

「あれは!!」


 皆がブーケに気を取られ空を見上げる中、その瞬間を見計らったかのように一人の婦人の高級そうなバッグを掠め取った人影にレナは気付いていた。


「え!? レナさんどこへ!?」


 シエラは慌てレナを追いかける。人影は人ごみの中を器用にすり抜けて裏路地へと入り込んだ。レナは器用というレベルでは無く、人ごみ一人ひとりの向かう方向があらかじめ分かっているかの如く避けながら進む。


「レ、レナさん凄い……でも、私も負けてられません!」


 シエラは魔力で練り上げた糸に『存在の力』を流し込み、地面に突き刺すとそのまま空に飛んだ様に浮き上がり……路地裏の左右の建物にも糸を張り巡らせ体を空中で巧みに操る。すると、あっという間に人影の行く先を遮る様に着地し双剣を構えた。


「え、ちょ、凄……」


 レナが驚きながら天狼の巫女の力を改めて再確認した。


「さぁ、止まって下さい! レナさんが何故か追っているフード被った妖しい人!」

「あ、そこは分かって無いんだ……」


 レナは少し脱力しながらバッグを盗んだ犯人の後ろへ回り込みながらヴォルフ戦士長から預かったイヴ・イルシオンの軍刀を構えた。


「チッ……ランページ獣戦士団の奴らか、退けよ、死にたく無かったらな」


 (男……かな)

 (女の子……?)


 心の中でレナとシエラの予想がすれ違う中、フード姿の盗人が銀色の拳銃を抜き放つ。

 ──速い。だがそれを上回る速度でレナは拳銃を弾き飛ばそうと軍刀を一閃する。しかし盗人はわずかに上体を沈めるのみで攻撃を回避し、レナに銃口を向けて発砲した。

 乾いた銃声が裏路地に響き渡る──。


「退かなければ次は当てる……つまりは殺すと言う事だ」


 レナは銃弾には目もくれずにフードを被った盗人に不敵な笑みを向けた。


「へぇ、面白いね……お姉さんちょっと燃えて来たよ」


 気配を消していたシエラがそんな二人のやりとりの最中、盗人に後ろからここぞとばかりに抱きついた。


 そしてそのまま……脇を容赦なく、くすぐり始めた。


「!! 何をするお前!? やめ……あは……あははははは!」

「こんな所で悪い事をする子にはおしおきです!」


 レナは今の状況に驚いた、シエラの「存在」がさっきまで極限まで薄くなっていて、気付いたら今の状態になっていた、とでも言えば良いのか。


「驚きました? 私は気配消失させる事ができるのです、注意を向けられてさえいなければそう簡単に見つかりません」


 騒がしくしていたせいか、街のハーフブラッドの三人の自警団達が何事かと思いやってきた。レナはひょいっと盗人から銃を取り上げて素早く体の後ろに隠した。


「何事だ!?」

「あ、自警団の方達、お疲れ様~! ちょっとクラッカーでイタズラする子がいたので、この通りお仕置き中であります!」

「あなたは『ランページ』のレナ・バレスティさん!? 任務お疲れ様です! お、お取り込み中の所、失礼致しました!」


 自警団はレナに敬礼をし、そそくさその場を去っていく。


「何だかあの方たち、レナさんを怖がってませんでした?」

「いやー、最近ヴォルフ戦士長に喧嘩売っちゃったからかなぁ? それよりも……とうっ!」


 レナは笑いすぎてうなだれている盗人のフードを上げるとそこには、アクアマリン色の瞳と髪を持ち、後ろ髪を縛った美少女(美少年?)が姿を現した。歳はレナ達と同い年くらいだろうか。


「美少女だ」「美少女ですね」


 盗人は余力を振り絞り、目を鋭くさせながら全力で否定した。


「──俺は男だ!!」

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アトラスフィア ~神に背きし天狼の牙達~ シエラ @siera01

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